IT翻訳 Nobuyuki の仕事部屋

ボランティアでソフトウエアーローカライズのために翻訳をしている。

セキニンノトリカタ

2007-05-30 23:07:22 |  Mozilla Org.


人間には法律型人間と、倫理型人間がいると言えます。

法律型人間とは、法律に従って生きる人間のことです。つまり、法律を遵守して生きれば問題がないと考える人間のことです。卑近な例で言うと、飲酒した時は、車を運転しないとか。拾得物を横領しないとか。通常の社会人は、法律に従って生きています。

一方倫理型人間とは倫理に従って生きる人間のことです。法律に従って生きるだけでなく、倫理に従って生きることを規範とする人です。たとえば、電車で老人に席を譲るなど、別にそうしなくても、法律には触れないのですが、あえてそうします。まあ言わば、良心によって生きる人のことですね。

このように、2種類の人間がいるのですが、実際は明確に人間を分類できるわけではなく、それぞれの人が自分の中にこの二種類の在り方を合わせ持っているように思います。法律に従って生きるのは当然としても、それだけで生きている人間はいないのではと思います。むしろ、倫理と言うか、良心というか、実際に最後に人の判断や行動を決定するのは、法律以上のものがあると思います。

ここ数日世間の話題になっている、農林水産大臣の自殺の報道を見てそう思いました。重責にある人間が最後に、自殺という手段を選んだのは、何故でしょうか。自殺をする人間の動機は本人以外に分からないのですが、大臣が、すくなくとも法律を遵守していれば良いと考えていた訳で無い事は確かだと思います。そんな風に、納得していれば自殺することは無かったでしょうから。

しかし、多くの報道関係者が正論として、大臣は自殺するのではなく、きちんと自分のした事に説明責任を果たすべきだったと言っています。それはおそらく、正しいのでしょうが、決して容易なことではないように思います。

鈴木宗男が、自殺の前に大臣に会った時に、大臣が国対からの指示で(疑惑について)国民にきちんと説明し、お詫びすることができなかったと言った事が話題になりました。この件が公になると、国対はそのような事実は無いと強く否定しました。それが事実かどうかは別として、大臣の複雑な立場を物語っているように思います。もし、本人が忌憚無く本心を吐露できていたなら、あるいは、自殺することも無かったのかもしれません。しかし、そうすることで、政治家としての立場を失っていたのかもしれません。

結局大臣が出した応えは自らの命を絶つことでした。国会答弁で野党からの追求に対して、無表情に決まり文句を繰り返していた厚顔そうな態度の奥底に、政局運営の渦中で苦悩する政治家の素顔を封じ込めていたことは、少なくとも、今となっては間違いのない事なのでしょう。



スイートピー繚乱

2007-05-13 17:53:38 |  Mozilla Org.


このところ爽やかな晴れの日が続いています。
今日は庭の草取りに精を出したのです。

小さな庭なのに草が伸び放題です。高麗芝に雑草がはびこって、その昔美しかった芝生は雑草畑に近い状態になっています。

家内も気にして時間のあるたびに、草取りをしています。園芸フォークを雑草に突き刺して、てこの原理で根元から引き抜きます。ところが、その作業を繰り返すと、手首に負担がかかって、とうとう彼女はけんしょう炎になってしまいました。湿布を手首に巻いて、その上からリストバンドをしています。それを見ると、なにやらテニススクール通いの奥さんのようだねと言って二人で笑っています。

家内に任せきりにしても申し訳ないので、伸び放題の雑草を草刈バサミで切除しました。午前中にホームセンタで砥石を買ってきました。そして、切れ味の鈍っている、草刈バサミを砥石で丹念に研いだところ、俄然はさみの切れ味が良くなったので、勢いづいてバサバサと蔓延している雑草を切り倒していきました。

時間にして一時間以上かかったように思います。最後に熊手で雑草をかき集めたときは、さすがにぐったりして、思わず、縁側へ座り込みました。

花壇へ目を転じると、スイートピーが百花繚乱という勢いです。GW中に地を蔓延るようにつるが延びていたのを、支柱を立てて上へ持ち上げました。まるで緑の壁のように、花壇に沿って蔓が間断なく絡み合っています。そこに、赤を中心に、藤色、ピンクの花が今は咲き誇っています。さながら、スイートピー燃えるという風情です。

ここ数年、スイートピーを植えていなかったので、今年は数年分の養分を花壇から吸収して自ら誇示するように圧倒的な存在感を見せつけています。昨秋に正露丸のような種を5、6粒直播にした時は、ここまで咲き誇るとは予想もしておりませんでした。5月になってから晴天続きであったので、ここに来て一気に打ち上げ花火がクライマックスに至るように、燃え盛っています。

意外な咲きっぷりに家内もよろこんで、早速色違いの花を切花にして家に飾りました。その鎌首を持ち上げるような、独特な花姿は、名前どおりの甘い香りと相まって、室内を明るく染めています。

夫婦二人の生活に、彩りを添えてくれたこの花に感謝、感謝。

たおやかな春の恵みよ。



快気祝い

2007-05-04 23:51:57 |  Mozilla Org.


今日は家内と一緒に夕食を外で取った。繁華街まで車を使わずに、歩いた。およそ、2キロの距離だ。往復で4,5キロくらいを歩いたことになる。以前から、健康のために一緒に歩こうといいながらも、なかなか実行できずにいた。外食するのに歩いて行くというのは、良い考えだと思った。

ビールと和食のコースを頼んだ。ビールは家内の許可が必要だった。手術の後は、お酒などの刺激物は控えるように、主治医から言われていた。少なくとも、2週間はお酒を我慢するようにとのことだった。しかし、すでに2週間は経過していたので、家内を説得してビールを注文した。まあ、快気祝いの乾杯のようなものである。

ところで、家内が私の飲酒に抵抗するのには理由があった。手術の予後に飲酒を控えるのは当然なのだが、先月新聞にお酒を飲んで顔が赤くなる人は食道がんになり易いという記事が掲載されて、それを読んでいたからだ。私はその典型で、お酒は嫌いではないが、飲むとすぐに顔が赤くなるタイプである。そして、その記事を実証するかのように実際食道がんになってしまった。その新聞記事が正しいかどうかは分からない。正しければ、私が食道がんになったのは、私がお酒を飲むと顔が赤くなるタイプだからという事になる。いずれにしても、そういう説がある以上、素人としては影響を受ける。

しかし、主治医は酒を止めろとは言わなかった。2週間程度は控えたほうがいいと言っただけである。それは、刺激のある食べ物は、食道の粘膜を切除した跡の潰瘍に良くないという理由による。上記の説が医学の常識であれば、主治医は直ちに禁酒しろというであろう。だが、そうは言われなかった。従って、それは1つの説であるが、明確な因果関係が確立されたわけではなさそうだ。

だからと言って、私は何も酒を飲む習慣を堅持したいわけではない。むしろ、これを機会に禁酒できれば、それはそれで良いと思う。しかし、すぐに禁酒しようとは思わない。やはり、仕事を終えた後の一杯は魅力的である。大げさに言うとそれが人生の大きな喜びであり、目的であるかもしれない。だから、がんになったからと言って、即禁酒はできない。

しかし、あなたはお酒を飲むとがんが再発しますよ、と言われたらどうだろう。それにもかかわらず、飲酒を止められないだろうか。否、その場合はもちろん禁酒するだろう。

私は大酒飲みではない。がんと分かった時、主治医にあなたは大酒飲みですか、と聞かれた。大酒飲みは食道がんになり易いのは事実のようだ。とくに強い酒―アルコールの度数が高い、ウイスキーやウオッカをストレートで飲む習慣のある人はそうなりやすいと聞いた事がある。いずれにしても、飲酒は食道がんの原因ではないが、遠因になりうる事は間違いないようである。そういう認識にたてば、今後は禁酒とは言わないまでも、できる限り飲酒は控えようと思う。一度がんになったという事実は重い。

今夜は、家内と快気祝いという事で、二人でビールを一本あけた。久しぶりに飲むお酒はとても美味しかった。健康を回復したからこそ、こうして美味しいお酒が飲めた。

これからは、健康であるためにどうあろうか考えて行こう。また、自分を心配してくれる家族の心にも配慮しよう。少なくとも、今回は命拾いをしたのだから。