人間には法律型人間と、倫理型人間がいると言えます。
法律型人間とは、法律に従って生きる人間のことです。つまり、法律を遵守して生きれば問題がないと考える人間のことです。卑近な例で言うと、飲酒した時は、車を運転しないとか。拾得物を横領しないとか。通常の社会人は、法律に従って生きています。
一方倫理型人間とは倫理に従って生きる人間のことです。法律に従って生きるだけでなく、倫理に従って生きることを規範とする人です。たとえば、電車で老人に席を譲るなど、別にそうしなくても、法律には触れないのですが、あえてそうします。まあ言わば、良心によって生きる人のことですね。
このように、2種類の人間がいるのですが、実際は明確に人間を分類できるわけではなく、それぞれの人が自分の中にこの二種類の在り方を合わせ持っているように思います。法律に従って生きるのは当然としても、それだけで生きている人間はいないのではと思います。むしろ、倫理と言うか、良心というか、実際に最後に人の判断や行動を決定するのは、法律以上のものがあると思います。
ここ数日世間の話題になっている、農林水産大臣の自殺の報道を見てそう思いました。重責にある人間が最後に、自殺という手段を選んだのは、何故でしょうか。自殺をする人間の動機は本人以外に分からないのですが、大臣が、すくなくとも法律を遵守していれば良いと考えていた訳で無い事は確かだと思います。そんな風に、納得していれば自殺することは無かったでしょうから。
しかし、多くの報道関係者が正論として、大臣は自殺するのではなく、きちんと自分のした事に説明責任を果たすべきだったと言っています。それはおそらく、正しいのでしょうが、決して容易なことではないように思います。
鈴木宗男が、自殺の前に大臣に会った時に、大臣が国対からの指示で(疑惑について)国民にきちんと説明し、お詫びすることができなかったと言った事が話題になりました。この件が公になると、国対はそのような事実は無いと強く否定しました。それが事実かどうかは別として、大臣の複雑な立場を物語っているように思います。もし、本人が忌憚無く本心を吐露できていたなら、あるいは、自殺することも無かったのかもしれません。しかし、そうすることで、政治家としての立場を失っていたのかもしれません。
結局大臣が出した応えは自らの命を絶つことでした。国会答弁で野党からの追求に対して、無表情に決まり文句を繰り返していた厚顔そうな態度の奥底に、政局運営の渦中で苦悩する政治家の素顔を封じ込めていたことは、少なくとも、今となっては間違いのない事なのでしょう。