IT翻訳 Nobuyuki の仕事部屋

ボランティアでソフトウエアーローカライズのために翻訳をしている。

コスモス最後の日

2007-10-21 12:51:56 |  Mozilla Org.



夏から秋にかけてコスモスの開花を期待していた。順調に生育し、素朴で温かい風情の花を咲かせてくれることだろう。しかし、台風5号のせいで生育していた茎が変形してしまった。ぽっきりと折れることは少なかったが、くにゃっと、しなだれるように下を向いてしまった花が多かった。とんぼの頭のような、芽をつけ始めてこれから開花しようかと言う時に、ダメージを受けてしまった。

そのためか、風にゆらゆら満開のコスモスという風情を楽しむことはできなかった。それでも白やピンクの花をつけたコスモスを切花にして、家内が亡き父母の写真の前に供えたりした。義母が生前愛したのがコスモスだった。

そのコスモスも今日根こそぎにした。10月も半ばである。そろそろ、来春の花の種を蒔くリミットとなった。パンジーであれば、もう蒔くのは遅すぎる。スイートピーは今年堪能したので、来年はお休みの年だ。何を蒔こうか。カスミソウ、デイジー、キンセンカ、キンギョソウ、ストック、色々考えた末、アスターにした。ぽんぽん咲きと、そうでないのと2種類の種を直播にした。それとあと、チューリップ。恒例の花だ。春を告げる使者かな。

家内と二人で、コスモスを抜いたあと雑草を除去する。秋晴れの今日気温もあがり、なぜか蚊が多い。香取線香を焚くも、あちらこちら刺される。やれやれ、ガーデニングも楽でない。ふと、肥料を買いに行こうと思い立つ。街中に肥料の無人販売所があり、主に牛糞を主原料とした、乾燥堆肥を売っている。車を飛ばして、購入に行くことにした。種蒔きまで、今日中に終わらせるつもりだった。家内に雑草とりを託して、車を出す。

帰宅すると、家内の姿がない。雑草取りが完了したのだろうか。花壇にプランタの土が、プランタの形を留めたまま、置かれている。そこで、その土を崩し、もとからあった花壇の土と混ぜ合わせる。途中プランタの土から、大きなみみずが出てきた。プランタに住み着いていたらしい。見ると一匹だけではなかった。

ははあ、虫の嫌いな家内が作業を途中放棄したらしい。後ほど本人から「みみずを見てテンションが下がった。」との説明があった。虫嫌いがガーディニングをすると、確かに辛いものがあるのかもしれない。

そんなわけで、それからの作業は、亭主どの孤軍奮闘。雑草を除去し、チューリップの球根を埋め込み、アスターの種を蒔き、最後にホースから水を撒いて終わり。

うららかな小春日和の午前。この秋も無精していた花壇を、遅まきながら整えました。いい汗かいたな。お昼はごほうびの缶ビールがついたとさ。


クライマックス!

2007-10-17 23:15:19 |  Mozilla Org.


クライマックスシリーズで日本ハムとロッテの対戦成績が2勝2敗となり、明日3勝目をかけて激突する。ここまでは、お互い譲らず、闘志のぶつかり合いで、実力互角というところである。5戦目は、ダルビッシュと成瀬の先発が予想されて興味深い。どちらが勝つか予断を許さない状況である。監督もアメリカ人どうして、采配ぶりを見るのも楽しみである。

一方のセリーグは中日と巨人で、これも、阪神に2連勝して勢いのある中日が巨人とどう戦うか興味深々である。日本ハムとロッテのように、がっぷりと組み合って5戦目までもつれる可能性もありそうだ。中日投手対、巨人打線の対決が楽しみである。

ところで、阪神ファンの私としては、クライマックスの初戦の状況はかなり辛いものであった。名古屋ドームでの2試合をNHKBSが、試合開始から終了まで完全放送してくれたので、全部見ることができた。しかし、阪神の不甲斐なさには、失望したものだ。

レギュラーシーズンは、中日、阪神とも勝ち星は拮抗していた。従って本来の戦力から言うと、クライマックスシリーズのように、中日の一方的勝利に終わることはないはずだ。わずか2勝したほうが勝ちと言う短期決戦を、中日のほうがうまく戦ったと思う。

端的に言って、両監督の技量の差が出た2試合であった。戦力的に阪神が極端に劣っているわけでない。確かに、阪神は先発投手陣や打力では中日に劣っていたが、豊富なリリース投手陣を抱えている。その、強みを生かすような試合運びができなかったのだと思う。これは、選手の責任というより、岡田監督の試合運びのまずさのせいだと試合を見ていて感じた。

2試合敗戦後、岡田監督はあれくらい阪神の先発投手が悪ければしょうがないというようなことを言ったそうだ。しかし、先発投手が弱いことや、打力が中日に劣ることは最初言うから分かっていた話だった。解説者も言っていたが、失点を押さえて逃げ切るのが阪神の勝利への道であった。自分のチームの欠点を理解し、それを補う采配をふるうのが監督の役目であろう。監督のコメントは、選手に敗戦の責任転嫁をしているにすぎないように感じた。

第一戦については、先発の下柳が最初に点を取られた時点で、すぐに投手交代をするべきだったのではないか。続けて、タイロンウッツにホームランを許すのは余計である。1点でも失点されたり、その可能性がある時は、投手交代をして失点を最小限に抑えるしかないと思う。また、同様にリリーフした久保田が最初に失点した時点で投手交代をするべきでもあった。その後、森野に3ランを食ったのは決定的であった。岡田監督の采配は、座して失点を待つような趣が強かった。2勝で決着が着くような短期決戦に対して、戦略、戦術がまるでないようであった。

第二戦も同様である。先発の上園投手が中日中村選手にタイムリーヒットをうたれ、2点失点した時点で、投手交代すべきであった。その後の、李選手のホームランは余計であった。結局初回の5失点が阪神側に重くのしかかり、後半の好機にくつがえすには、貧打の阪神にしては挽回不能な得点になった。

優秀なリリーフ投手陣を抱える阪神である。2勝必勝の短期決戦では、先発が5回まで投げるという概念を打ち壊して、初回からリリーフ投手を準備するくらいの戦術を持てないものかと、苦々しい気持ちで試合を見ていた。岡田監督は、落合監督や、はたまたヒルマン、バレンタイン監督などと比較しても、決断がスローであり、クライマックスの2試合で見たように、投手交代のテンポが、遅すぎるように感じる。

今回の阪神の敗因は、8割がた監督の技量の問題ではないだろうか。敗戦理由を先発が悪かったの一言で、片付けるのもどうだろう。

本日岡田氏は阪神本社を訪ねて、オーナに「今季の数字が悪かった分などは来年まで鍛え上げて、来年も当然、優勝を狙わないといけない」と意気込みを語ったそうである。一番鍛え上げなければならないのは、ご自分の監督としてのスキルではないかと思ったりしたものだ。



レクイエムを聴く

2007-10-10 01:00:31 |  Mozilla Org.


先週の土曜日に、ミューザ川崎でモーツアルトのレクイエムを聴いた。この曲は中学生の頃から聴きなれた曲だ。初めてLPレコードで聴き、その後30年以上に渡り、CDでも繰り返し聞いてきた。しかし、生演奏を聴くのは今回が初めてである。

オーケストラの後ろに、合唱団が並んだがその数およそ200人くらいであろうか。その他、バス、テノール、アルト、ソプラノの各歌手が指揮台の前に並んで、合唱と交互に歌った。何と言っても圧巻は、合唱の迫力である。モーツアルトの変化に富んだ美しいメロディを朗々と歌い上げる。コンサートホール中に響き渡る歌声は、ホールの天井を突き抜けて、天空へ届くのではと思われるほど、力強いものだった。モーツアルトの時代には、教会で歌われる曲だったのだろうか。レクイエムとは、日本語で鎮魂歌と言うようだ。あるいは死者のためのミサ曲とも言う。教会のような神々しい雰囲気で披露されると、聴衆にはさぞ強烈な印象と感動を与えた事だろう。

ところで、今回初めて知ったのだが、この曲はモーツアルトの未完の作品となったようだ。彼の死後、弟子によって最終的な完成を見た。健康を損なっていたモーツアルトの下へ、匿名の依頼主の使者が現れ、レクイエムの作曲を依頼する。モーツアルトの要求した作曲料の半額を、その場で使者は支払った。残金は曲の完成後支払う約束になったようだ。しかし残念ながら、未完のままモーツアルトは生涯を終える。この辺の事情はモーツアルトの生涯を描いた映画『アマディウス』に、謎の使者の訪問を受けるシーンにおいて表現されていたように記憶している。

未亡人となった妻コンスタンツエは、レクイエムの完成に執念を燃やす。その訳は、作曲を完成できないと、作曲料をもらえないためである。それどころか、モーツアルトが受け取った前金を返却しなければならなくなる事を、彼女は恐れた。何とも、やりきれない話である。晩年貧困に喘いだモーツアルトが、死後共同墓地に葬られたという話を思い出した。それほど、晩年は不遇に見舞われていた。真の天才であり、永遠の作品を生み出しながら、この末期は酷すぎるように思える。

結果的に弟子によって完成されたレクイエムは、モーツアルト自身へのレクイエムとなったと言える。しかし、あまりにも、美しく見事なこの作品は、作曲者の不遇を越えた永遠の芸術作品そのものだ。時を越えて、今も聴衆に感動と共感を与え続けている。