IT翻訳 Nobuyuki の仕事部屋

ボランティアでソフトウエアーローカライズのために翻訳をしている。

告知一周期

2008-03-20 19:13:21 |  Mozilla Org.


昨年の3月22日に食道がんの告知を受けてからまもなく一年が経過する。摘出手術を受けたのが4月18日だから、一年近く生き延びたことになる。生き延びたとは何とも大げさな言い方だが、病気ががんだから思わずそんな風に言ってしまう。

この一年間は、実に様々なことがあった。告知、摘出手術、術後の不安、義父の死、相続をめぐるいざこざなど、私の人生でも最も長い一年間であった。

先月術後9ヶ月で、食道の精密検査を受けた。この前受けたのがその半年前である。術後3ヶ月での検査だった。特に問題はなく、がんは綺麗に切除されたのが確認された。今回も、検査工程は全く同じである。カメラを飲んで、食道を詳細に調べる。ルゴールという薬品を散布して、粘膜の状態を見る。

前回問題はなかったので心配はしていなかった。ただ、摘出手術前後から継続している右胸のなんとなくしっくりいかない感覚はその後も継続していた。医者に、がんとは関係ないと言われたが、なんとも嫌な感じである。晴天一片の雲なしとはいかない。

検査結果は前回同様問題なしとのことだった。採取した細胞も良性であり、検査結果から言えることは、がん細胞は完全に切除されてその後の経過も順調ということである。

昨年の3月22日に、病院長からがんの告知を受けた時に言われたことを思い出す。がんであるが、不幸中の幸いは早期に発見されたことでした。内視鏡を使い一週間程度の入院で、摘出できます。もし当病院で手術するならば、1ヵ月以内に、EMRの専門医を呼んで手術する手配をします。セカンドオピニオンが必要なら、それも自由です。というような事を言われた。

私は即断即決で、その病院での処置をお願いした。すると病院長はでは1ヵ月後に手術する手配をしましょうと言った。だだし、仕事が忙しかったりして都合がつかない場合は再度連絡くださいというようなことも言った。仕事が忙しいので、がんの手術を延期する人が世の中にいるとは不思議だが、なんとも大らかなものの言い方である。多分、そういう言い方で、がん患者を安心させると言う配慮だったかもしれない。

結局その後の経過は、全く院長先生の言われたとおりになった。手術のための入院期間は8日であった。入院の翌日まで、普通に仕事をしていた。そして、退院の翌日から普通に働いた。その後の検査で確認できたのは、手術は上手く行った事であった。

今回の結果をうけて、主治医から次回の検査は一年後ですよと言われた。今後毎年一回は検査を継続的に受けたほうがいいとのことだった。

こうして、50歳を超えて食道がんを患い、強運もあって早期発見のお陰で克服した。命拾したものだ。運が悪ければ、どうなっていたか分からない。死ぬのには早すぎる。すくなくとも世間的には。しかし、人間の運命など分からない。こうして生き続けることができたのだから、残りの人生がなんとも大切に思えてきた。

ここからは話が飛躍する。

昨年義父が亡くなった。心臓を患ってずっと入院していた。晩年は病気になったと言え、義父の人生は傍で見ていて恵まれた人生に思えた。大企業ではないが、現役時代は、中堅企業の役員であった。二人の息子がいて、それぞれ立派な地位についておられる。経済的にも恵まれていた。病院には住み込みで、家政婦を雇っておられた。義母は数年前に亡くなっていた。

しかし、ある日家内と入院先の病院に見舞いに行ったときの事である。病床のベットでしんみりと、「俺の人生はいいことは無かった。」と嘆いた。なぜだろう。若い頃は小説家希望と聞いたことがある。読書家であった。子どもが幼い頃、家内の実家を訪れるといつも離れで布団に横たわって本を読んでいた。小説家となる夢は叶わなかった。それで、不幸と感じておられたのだろうか。死後知ったことだが、かなりの小説を書き貯めておられたようだ。結局、なぜそんな風に嘆かれたのか分からない。傍目には十分幸せな人生にみえる。

がんを患って今思うのは、私はあと何年生きられるかわからない。しかし、祖父には申し訳ないが、死ぬ時は少なくとも自分の人生は楽しかったと思って死にたい。そう思うためには、これからの人生をどう生きるかにかかっているような気がする。過去はわからない。モーパッサンではないが、人生は思うほど楽しくも辛くもないのかもしれない。しかし、納得できる人生を生きたいと思う。そのためにはどうすればいいであろうか。自己実現を図りたい。そういえば、なんとなく、こうしたいと思う事があるようだ。漠然であるがこうしたいということがある。それを、育みながら生きていこうと思っている。