今年の夏も暑い。私の子供の頃を振り返るとこのような暑さは経験していないように思うが、明らかに気温が上がっていることは間違いない。
その頃にはエアコンなどは無かったが、裕福な家庭では扇風機があったようだが、我が家のような貧しい家庭ではそのような高価な道具は身近に感じることもできなかった。そんな扇風機が無くても、打ち水したり、団扇で仰いだりとして結構、涼しかったように記憶している。
ここに転居してからいつも空堀川沿いを歩いているが、最近気付いたのは 「昨年と違う様子」 だった。
空堀川沿いで見る樹木や雑草の延び方が昨年と比べると勢いが増していることだ。写真のように水気が無くてもその繁茂の状況は異常に進んでいる。
そのいい例が所々の植え込みにある山吹だ。春が終るとすぐに咲き出したが、今年は花数が少ない内に花を終えてしまい、その後は葉の勢いが異常に多く繁っている。昨年まではこのような山吹を見たことはない。
今年、東京での桜の開花も早かったのは気温が高めなのが原因なのだろうが、その影響が川沿いの樹木にも明らかに現れている。
このように真夏日が続くと熱中症で救急搬送される人のニュースを聞くが、私の若い頃には熱中症と言う言葉自体も聞いたこともなかった。
私は高校では軟式野球部に入ったが、夏の特訓の厳しさは今でも想い出す。暑くても、苦しくても水が飲めない練習はきつかったが、誰一人ぶっ倒れる者はいなかった。よくもあのような練習に耐えたものだと、今でも驚きの夏の特訓だった。
だがその特訓のお陰で野球守備が上手になり、社内でのソフトボール試合では 「体は小さいがエラーしない三塁手」 との評判を頂いてして活躍することでできました。
今日も暑くなりましたが、この暑さでも妻との散歩は終わりました。11時過ぎ、庭の外気温は35度、この暑さはいつまで続くのだろうか?
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ここにも居たんですね、赤とんぼ さまが
野球選手だったとは・・想像も付きません
でした。私はブラスバンドでしたので・・
運動部の応援に何度かでかけていきました
昔は熱中症に対する抵抗力が・・戦後の
食生活の変化でいろんな病気が発症しました
その因果関係は判りませんが、昔は熱中症
なんて言葉もきいたことありませんでしたよね
この熱中症侮ることなかれ、毎年1000人
以上の人が亡くなっている、決して遠くの
出来事ではありません、暑い日は出歩かない
水分補給して家の涼しいところにいること
お互いに気をつけましょうね
あれは連鎖反応みたいに増えるのでしょうか?
でも昔は水も飲まずによくも真夏で部活をしたものです。
それが当たり前でしたが誰もが
体が丈夫だったのかもしれませんが
何よりも今より気温も低かったのでしょう。
それと部活で想い出すのは
体育の先生がよく殴るので有名でした。
でも文句も言わず、言えずでしょうが
ことある毎に殴る、それもその時代には通用したものです。
でも殴り過ぎ、その先生の名は今でも憶えています。
今だったら大問題でしょうが
その当時は殴る先生は他にもいました。
そんな私の高校時代でした。
夏場の野球部の特訓
今、想い出しても苦しかったけれど
半面、楽しさもありました。
懐かしいですね。
かつて活躍した「名三塁手」 でしたが
今はその面影も薄れてしまいました。