平成16年4月2日 (金曜日) 私たち夫婦は知覧を訪れるため羽田発ANA619便で鹿児島空港へ飛んだ。帰らなかった多くの特攻隊員たちに少しでも慰霊の気持ちを捧げたいとの想いを抱いて知覧の地をぜひ訪れたいと願ったからだ。
帰りの便はANA630便。機体はエアバスA320の予定であったがジャンボ機B747-400LR (JA8174) に変更された。当時、この機体はANAでも最新鋭機で国際線仕様である。
着席するとスーパーシート (ファーストクラス) への転席が可能とのアナウンスがあった。追加料金を払うので妻は渋ったが私は懇願、説得して転席することになった。
飛行機好きな私にとっては千載一遇のチャンスで、今後飛行機に乗ることはあってもスーパーシートを使うことなど絶対に無いと思ったからだ。ぜひ、スーパーシートに座って帰りたかった。
客室乗務員にエスコートされて二階へ。操縦席の真後ろがスーパーシートである。座席は両側に二席だけで広い洋間風の感じである。座席番号は72J、72K。CからHまでは席は無いが一般席と席番は同じのようだ。とにかく広いのでゆったりできる。 「スリッパをどうぞ」 とか 「毛布は如何ですか?」 と専属の客室乗務員が面倒を見てくれた。二人とも殿様と姫様気分のようになった。
19時15分、定刻より10分遅れて離陸した。水平飛行になると夕食も出て "お飲物は何でもどうぞ" とのことだったが、私たちはウーロン茶で我慢した。本音はビールかウイスキーのオンザロックを飲みたかったが妻からブレーキがかかったので止めた。
だが夜間飛行なので下界が見えないのは残念であった。
元来、私たちは田舎者なのでいろいろと珍しがっていると機体はもう高度を下げている。羽田に近くなると東京の夜景は綺麗だ。
だがここでまたタイムスリップして特攻隊の若者たちが出撃した頃の東京を想い出した。
米軍機の無差別爆撃で東京は火の海と化して焼け野原となってしまった。その東京がこのように煌々と夜の帷の中に息づいている。荒廃から繁栄へと時が無造作に流れたようだが決してそうでは無い。幾多の人命が散ってその礎を作った。多くの涙を流した人たちが苦難を乗り超えて立ち直った。 "統率の外道" と言われた特攻作戦で散華した若者たちへ今、再び哀悼の念を捧げずにはいられなかった。
21時過ぎANA630便ジャンボ機は静かに着陸した。これで私たちの知覧への旅も無事に終わったが、スーパーシートで帰るなんて夢にも思っていなかったので、この想い出は今でも胸の中に大切にしまってあります。
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