■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■
ウキツリボク (浮釣木)
空堀川沿いの民家にて (撮影: H290728)
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遠くの他県に住んでいる知人のKさんから、突然、電話がかかってきた。もう永い間逢っていないから、話すことは山ほどあるはずだった。
だが冒頭 「主人が今年一杯の命だと言われました」 と、寂しげな声が聞こえてきた。
この言葉を聞いて私はどのような思いを伝えたらいいのか判らなくて、電話回線は暫し沈黙の時間となってしまった。
年賀状だけはやり取りしていたので、数年前にご主人が胃の手術をしたとのことが年賀状にメモ書きしてあったが、その後、また再発してしまったとのことだった。
かつて妻が元気な頃は車でKさん宅へ行き、泊めて貰ったこともあったが、妻が病気してからは途絶えてしまった付き合いだった。
Kさんによると、何故か、私たちのことを想い出して急に声を聞きたくなって電話したとのことだった。
私に対して妻のことなども心配してくれたが、私はまだ冒頭の言葉が気になってあまり話す気も少な目になっていた。
少し長めに話した電話だったが、人間の命ということに対して考えさせられる内容だった。
余命の期間を宣告された時にその人もご家族の人たちもどのような感情を持つのだろうか? 「お前だったらどうする?」 と、聞かれても私は即答できない。しかし、取り乱して混乱しないようにとの願いがあるが、果たしてそのように感情を抑えられるかは自信がない。
だが人間は平等だと言うことを私は信じない。100歳を越えても自転車に乗って買い物に行く人もいれば、若くして病を得て逝く人もいる。明らかに不平等だ。
Kさんの苦悩はまだまだ続くことだろうが、月並みの励ましの言葉を送るより、静かにKさんの安寧を祈るしか私にはできることがない。
もう少し時が経ったら、Kさんに電話するつもりだ。それにしても 「人間の命は何よりも尊い」 と、私は深く考えている。
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ますが・・その寿命の中で精一杯生きたのだ
と思ってあげると、気持ちも少し楽になります
寿命は神様だけが知っていて、我々には判り
ませんが、この命頂いたときからその寿命
の日まで決まっていて、予定通り・・と
考える事にしています。
明日は我が身と思って、今のこの時間この
瞬間を大切に心残りの無い生き方に勤める
と心残りはありません でも周りの人は悲し
みますが其れも月日が解決してくれます
こんな悲しいことはありません。
でも人の命は天命ですからそれに従うしかありません。
誰にも必ず終りがありますから
大きく考えると平等かもしれません。