ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

所有 5

2007-07-31 18:19:38 | Weblog
多くの情報に接し、それを最大限利用できる立場にある者は、それだけで大きな力を持つことになる。
ヤマギシでは「調整機関の各係」がそれにあたる。
情報の開示などを迫ると、「あなたは、まかしきれない人ですね」てなことになり、「一度研鑽学校に入りますか」などと言われるのが落ちです。
情報の独占的所有の状態がどのような人間関係を創るのか。
「一度研鑽学校で研鑽してください」

権力

2007-07-26 17:16:01 | Weblog
ヤマギシでは「所有」も「差別」も「権力」も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社会的概念、関係概念と言われるものを、個人の観念に還元してしまう。
それは、そのひと個人の姿勢生き方の問題のはずが「ほんとうの在り方」として他にもそれを主張する、いわゆる「我抜き」だ。
世界的な「我抜き」が「Z革命」と言うことになる。
長いヤマギシの歴史で付いた垢を落とし、まず「私が変われば世界が変わる」の、初心の私に返ることが・・・・・・・・・・・・・・・・。



赤本研

2007-07-21 17:28:12 | Weblog
前回「クーデター」に触れたので、関連したエピソード。
「バス」を運転しようとした人達は、極めて周到な準備の一環として「農業養鶏研鑽会」なるものを用意し、自分達の考え方に賛同してくれそうな人に参加を呼びかけた。
「農業養鶏研鑽会」のテキストに使われたのが、ヤマギシで言う所の「赤本」です。(ちなみに「特別講習研鑽会」では「青本」がテキストとして使用される)
この研鑽会で進行係を務めるメンバーは、どこかで徹底的に「赤本」の内容について研鑽?したらしく、「農業養鶏研鑽会」は「答」(すでに研鑽された内容)に、参加者を誘導する意図がみえみえで、さらには「バスに乗るか、乗らないか」の踏み絵的なものも含んでいたと思われる。
こうなるともう「宗教」で、「研鑽」から遥か遠いものを感じた。
このような事を積み重ねて「クーデター」に至ったのです。
(どこで「ヤマギシズム」がネジ曲がったのかの参考に。)

けんさん 5

2007-07-12 09:00:53 | Weblog
30余年前、現在のヤマギシ内部に居る人達の認めたがらない事件がありました。
いわゆる「クーデター」と呼ばれ、伊賀の春日山から津の豊里に運動の実権が移動しました。(この事件の根は、伊賀の春日山から分かれて豊里実顕地を造った当時、運動の中心的存在だった人達の確執に在るようです。)
この時春日山で、バスに乗った人達(クーデターに積極的に参加した人)が、バスに乗るのを躊躇した人達に執った対応は、「村八分」「いやがらせ」「いじめ」「脅迫」等々、このような場合の典型的な状況が観られました。
都合の良い事に、ヤマギシは過ぎた事には執着しないらしいので、これからも同じ様な事を何度も繰り返します。
(これまでも、これからも、「権力」が「観念」である内は。)

伝説の愛情研

2007-07-07 09:20:06 | Weblog
ヤマギシズム社会は、「親愛の情」を基底として成り立つ。てなことも言っているみたいですね。
「親愛の情」とは、「親が子に対して持つ、無条件無制限の愛情」ではなかろうかと、「研鑽」されたこともあるようです。
「親が子に対して持つ、無条件無制限の愛情」そのものが極めて曖昧で、いろいろ問題を感じられますが。
「夫婦の愛」となると、これまた大変で、これについては「研鑽」する「資格」の有無から「研鑽」しなければならないようです。
すでに伝説になっている話ですが、1960年頃「夫婦の愛」をテーマに「愛情研」が行われ、「夫婦は、その連れ合いがどんな時でもゆるがない愛で結ばれる」と言う事を証明する為、Aの夫婦の男とBの夫婦の女が「研鑽」会の場で「交合」すると言うようなことも行われたようです。
これはどうも「山岸巳」の趣味・性癖の範疇では、などと推測したりして。
お釈迦様は、「愛」そのものがすでに「執着」なのだ、てなことを言ったとか、言わなかったとか。