ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

Z革命

2007-05-31 08:33:32 | Weblog
ヤマギシでは「Z革命」を標榜し、「全人幸福社会」の実現を目指しています。
「幸福」とはなにかと言うと、「不幸」でないことで、では「不幸」とはなにかと言えば、「幸福」でないことです。(ほとんど馬鹿にしているとお思いでしょうが現実はこんなところでしょう)
ヤマギシでは「思い」と「事実」を切り離して捉えます。(「特講」怒り研参照)
「全人幸福社会」の実現という「思い」と「その実現」は、どのように考えましょう。
ただヤマギシでは、「全ては、遊び」と言う考え方もあるようです。

我執

2007-05-29 08:18:27 | Weblog
ヤマギシは、全てについて執着の無い生き方をめざしています。
イズムについて、一言で言うとこれに尽きます。
ヤマギシズムに執着するという、わけの解らないことは絶対ありません。

ほんとうはどうか?

2007-05-16 08:38:13 | Weblog
ヤマギシでは全てについて、「ほんとうはどうか?」と研鑽して、ものごとを考え行うようです。
”ほんとう”とは何でしょう、”ほんとう”はあるのだろうか?
”ほんとう”があるとしたら、”ほんとう”以外のものはなんなのか?
”ほんとう”は一つしかないのか?いくつもあるのか?
何千年もまえからのテーマのような気がします。
”ほんとう”は有ったほうが気が楽なようだが、”ほんとう”が無かったら、「ほんとうはどうか?」と研鑽するとは、どう言う事になるのだろう?

いったい(一体)

2007-05-02 11:19:22 | Weblog
ヤマギシの世界観に「一体」と言うのがあり、”世界は一繋がり、孤立して存在するものは無い”みたいなことのようです。
「洗脳の楽園」という本のなかで、著者が豊里実顕地を訪れた際、案内に立った久保田夫人が「私達は”一体”でやっています。」と説明する部分があったように記憶しています。自信たっぷりなもの言いだったろうと、二十歳前の彼女を思い出すとともに、三十年近い年月も思想の進化、深化と関係なかったかと感じます。
「私達は”一体”でやっています。」と言う考えは、”一体”を”私達”で切り取っており、すでに”一体”ではありません。
私達というのは世界中の私(当然著者も)のことですよ”カコ”ちゃん。