ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

けんさん 2

2007-04-27 08:54:37 | Weblog
ヤマギシの「特講」(特別講習研鑽会)の進行係の姿勢にちょと一言。
進行係として”聞く”ことに徹底すべきでは、たとえば「怒り研」で、「腹のたたないのがほんとう」と言う方向に誘導するのではなく、”腹のたつ理由”を徹底して聞くことにより、参加者自身が「気付く」のが原則。
”誘導”は、他を自分の思いどうりにする心根が満々。反Z革命です。

けんさん

2007-04-20 16:52:51 | Weblog
ヤマギシでは、全てのことがらについて「ほんとうはどうか」と「研鑽」するようです。
乱暴に言うと、集まったメンバーがそれぞれの考えを話し(放し)それを基に、さらにそれぞれの考えを話し(放し)といったことを繰り返します、全メンバーが納得できたら、そのことがらの「その時点」での結論とします。
なぜ(放し)と付けたかと言うと、メンバーが「自分の考え」に執着すると「研鑽」が成り立たなくなるからです。
たとえメンバーの何人かが「ほんとうではなかろうか」との考えに到ったとしても、自分の考えを他に押し付ける為の「研鑽」会など在りません。
ヤマギシには固定的に「すでに決まったこと」は在りません、つねに「その時点」での結論で、その「結論」は絶えず「ほんとうはどうか」と「研鑽」に引き戻されます。
いっけん非能率に思えますが、「能率」そのものを「研鑽」してみると良いでしょう。
メンバーの何人かが自分の考えに執着し、「研鑽」会を利用してヤマギシを思いどうりにするといった、楽しくない過去もありましたが、ヤマギシの成長過程にはまだ何度もそうしたことはあるでしょう。