ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

幻想の研鑽会

2008-10-24 14:13:02 | Weblog
ヤマギシでは物事の”ありかた”について「きめつけ・とらわれ」を放して、”ほんとうはどうか”と調べることを「研鑽」と呼び慣わしているようです。
「きめつけ・とらわれ」を放せない人は、”我執"のある人”零位”にたてない人に分類され、「研鑽」する資格を疑われるようです。
我執のない零位にたてた人が寄り集まって「研鑽」することを「研鑽会」と呼びます。
そこで大きな疑問を感じます。
まず、参加者の誰でもよい誰かは、どのようにして「我執がなく零位にたてている」と自覚できるのでしょう。
さらに、他の参加者が「我執がなく零位にたてている」と判るのでしょうか。
きっと彼等は言うでしょう、「「我執がなく零位にたてている」かどうかは判りません、だがその方向に向かって生きていることは判ります」と。
つまりは個人幻想であり共同幻想であるところのものを、確かなものみたいな勘違い・すり替えがあり、そのことを自覚できていないようです。
もし自覚できていたら、彼らにもっと謙虚な態度が感じられるはずです。