ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

あほらしさ 決定版

2007-09-29 08:52:29 | Weblog
ヤマギシの「らしさ」について最終決定版です。
最終決定版にあったて、「ヤマギシストらしさ」(ヤマギシのメンバーは自分達を指してヤマギシストと言う)について考えてみます。
固定的なイメージとしての「ヤマギシスト」はまず間違いです。なぜならヤマギシが言うところの「無固定」と相反します。
固定できないイメージはどのように考えればよいのでしょうか。と言うはしから「らしさ」はどんどん溶けて流れ出ていくようです。
そうすると、「らしさ」などに「こだわったり」「とらわれたり」しないことに落ち着きます。このことはすべての「らしさ」にあてはまるのでは。

あほらしさ 2!

2007-09-28 18:15:40 | Weblog
ヤマギシでは「ほんとうの男らしさ・女らしさ」てなことを、真面目に「研鑽」します。
「ほんとう」の「在り方」としての男・女のことらしいのですが、「在り方」を考える前に、既成概念をいっさい取り払ったところの「男・女」について「研鑽」してみたらどうでしょう。
その結果「ほんとう」の「在り方」と言うような方向に繫がるようでしたら、いままでのヤマギシを超えた男女観がでてくる気がしますし。「ほんとう」の「在り方」が在るのかどうかも観えてくるのでは。

乱暴な話 つづき

2007-09-25 09:29:58 | Weblog
「研鑽学校」での時間についての「研鑽」で別の捉え方がありました。
あれは、時間に囚われている自分を解放し、時間に対して自由な私になる為の「研鑽」だそうです。(でしょうね!)
その結果長時間労働にも耐えられる強固な精神を獲得するのでしょうか。
少しでも不満めいた事を言おうものなら、「あなたはまだ時間に囚われている」などと、親切に助言してくれます。(それも最近は少ないか)
「時間に囚われている自分を解放、時間に対して自由な私」と言った意識すら無いところへ、どうぞ!

乱暴な話

2007-09-22 10:28:40 | Weblog
ヤマギシの研鑽学校でのテーマの中に、「時間は何処にあるか?」といったのがあります。
たとえばなにかに集中している時、人はしばしば時間を忘れることがある、などなど。てなことから時間とは観念の産物であるといった方向へ一直線。
あれー、「時間」って何だっけ! アインシュタイン先生はなんだか難しいことを書いてたけれど、まあここは常識的な「時間」ってことにしておこう。
あれー、常識的な「時間」何なんですか?
ということから、徹底的に「研鑽」するなどと言う幻想の話でした。

研鑽会

2007-09-21 16:59:19 | Weblog
ヤマギシの中ではいろいろな研鑽会があります。研鑽することを根本に揚げている集団ですので当然です。
このいろいろな研鑽会に共通する問題点がいくつかあります。
ひとつめはヤマギシに限らないのですが、どうしても自分達に不都合な結論にはなりにくい。
ふたつめは、大なり小なり過去の結論のほうに引っ張られてしまう傾向がある。
みっつめは、メンバーに理解しにくい「概念」等はどうしても避けてしまう。
ほかにもいろいろゾロゾロと。
具体的には、1日2食の問題。小学生以上の子供達を一纏めにして親から放す事。炊事、洗濯は女子の仕事。などなど。
しばらく全部止めてみるのも面白いかな。そうしたら「一体」についての考えも違うものが出てくるかも。

え!ちょと待ってください

2007-09-18 09:26:48 | Weblog
ヤマギシでは話の流れの中、意見の食違いが感じられる場面で、「ほんとうはどうか、しらべましょう」などとのたまう人をよく見掛けます。
これはヤマギシでの生活が長い人に顕著にみられる傾向です。
自分達のペースに引き込む為の常套手段であり、テーマのすり替えであり、頑固さの表明です。
ここで、「ほんとうはどうか、しらべましょう」といったコメントがあったら、拍手です。

Z革命 2

2007-09-15 17:50:32 | Weblog
ヤマギシでの「零位」とか、「無所有」とかもろもろを考えてみると、すべて「執着」に行き着くのではないでしょうか。
自分の中の「執着」のひとつひとつに気付き、そこから離れる過程こそが「Z革命」そのもので、理想社会の実現でしょう。
山岸巳の書散らしたものに囚われている人達は、山岸巳の真意からどんどん遠くへ。
まして「Z革命」などとてもとても・・・・・。

基本の基本 4

2007-09-14 15:12:04 | Weblog
これは一番初めに断らなければならないことだったのですが、当然このブログに書かれていることは、書いてみただけと言う事です。
見る位置によっては、このように見え、違う位置から見ると、また別の様に見えると思われます。
書いてみただけと言うといかにもいい加減ですが、何よりも確かな一歩のように見えますが、いかがでしょう。
違う位置から見るとどのように見えるのか教えてください。

けんさん 6

2007-09-10 08:27:28 | Weblog
ヤマギシでは、ほんとうの「ゆたかさ」とはなにか?について「研鑽」したとすると、「ゆたかさ」について、あれやこれやと放しあい、メンバーのそれぞれが何らかの「ゆたかさ」のイメージを抱いて終わるでしょう。
そのイメージすら放してしまい、言葉の世界を突き抜けるのはまだまだ遠い話でしょうか。

実顕地

2007-09-06 09:07:36 | Weblog
ヤマギシズム社会は「かってない新しい社会」だそうです。
「きめつけ」「とらわれ」「こだわり」等々、一切の「執着」から最も遠い社会でもあります。
我々の「想像」など受け付けない・・・・・・・・「新しい社会」のはずです。
そうすると「実顕地」とは何なんでしょう?