ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

手懸り

2006-11-21 11:52:26 | Weblog
「特講」特別講習研鑽会では、言葉(概念)の解体作業がかなり徹底しておこなわれるのではないか。その過程で今までに見えなかった世界がかすかに見え、おおかたの人は感動するのでは、そして感動の原因を「研鑽会」の"場"にあると勘違いする例が見られ、その延長で「実顕地」と言う"場"へと。
"場"には何も無いですよ!!
かすかに見えた世界は自分の中にありますよ!!
すべての幻想(言葉)の解体作業から「ほの見えた世界」へ。

クイズ  答え(おおきな落し穴)

2006-11-20 10:00:07 | Weblog
ヤマギシズムに接触した動機の多くが、今の社会に対する不安や不満ではないかと推測される。
そこで「暗黒社会から幸福社会へ」などと言うスローガンめいたものが出てくる。
ところが「暗黒社会」や「幸福社会」などという「社会」は無い。
あるのは、今生きているこの「社会」であり、この「社会」を”あるがままに”認めることからの出発しか無い。
「暗黒社会」「幸福社会」などと言う執着は離れましょう。
そうすれば「わたし達は・・・・・」「わたし達は・・・・・」「わたし達は・・・・・」・・・・・・と言う発想も(性質の悪い無意識か?)、もしかしたら



クイズ

2006-11-12 10:07:05 | Weblog
わたし達は「無所有」でやっています。
わたし達は「無我執」でやっています。
わたし達は「無固定」でやっています。
わたし達は「研鑽」でやっています。
わたし達は「公意行」でやっています。
わたし達は「任し合い」でやっています。
わたし達は「幸福一色」でやっています。
わたし達は「一体」でやっています。
わたし達は「・・・・・」でやっています。
わたし達は「・・・・・」でやっています。
わたし達は「・・・・・」でやっています。

この中で「一体」の考え方に外れるのはどれでしょう。

基本 1

2006-11-06 06:20:47 | Weblog
これが「ヤマギシズム」などと言うのはすでに「ヤマギシズム」ではない、と言うのが「ヤマギシズム」です。
名付けに捕らわれて死んだ者の書き散らしたものを、あれこれ解釈しても、そこにはなにもありません。

重大な問題

2006-11-04 15:12:41 | Weblog
ヤマギシの二世・三世は、子供の頃から毎日の生活のなかで「研鑽」「零位」「公意行」等々ヤマギシ特有の”言葉”に晒される。「刷込み」である。
本来ヤマギシ特有の”言葉”には「今の時点で、ほぼこのような事ではなかろうか」といった時間的条件と、かなりの曖昧さを含んでいる。そうでなければ彼らの言う「無固定前進」と矛盾を起こす。
ところが刷込まれた言葉は曖昧さを排除する。彼らは”言葉”に疑問を持たない。
曖昧なまま固定された”言葉”によるヤマギシの明日は?