ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

提案 2

2007-03-26 17:57:18 | Weblog
ヤマギシでは一定年齢以上の年寄りを「老蘇(おいそ)」さんと言って、その人達は不自由無い毎日を過ごしているようです。
そこでヤマギシの広大な土地と豊富な資金を利用して、老人福祉施設をあちらこちらに造ったらどうでしょう。福祉関係の人材も、介護保険に詳しい人も豊富に居る筈ですから。 ただヤマギシズム学園の轍を踏まないように気を付けてください。

さんかく・しかく 5

2007-03-12 18:32:44 | Weblog
1970頃ヤマギシの村に来る(参画)若者は、年間で両手両足で足りる位でした。「来る者は拒まず・去る者は追わず」と言うことで、ふらっと来て1週間くらい居たと思ったら、いつの間にか居ないと言った若者も結構居ました。
「村に居るのが適さない」などと言って、村から排除する様なことが行われ始めたのは何時頃からなんだろう。
今の世の中「ワーキング・プア」などと呼ばれる大勢の若者が居るようですが、彼等を一挙に村に招いたら面白いでしょうね。
「いわゆる社会常識から遠く離れるのがヤマギシです。」なんて1970年頃に言われていたような気がします。

所有 3

2007-03-10 09:35:51 | Weblog
ヤマギシには莫大な資産が”在る”ようです。  ”在る”ようです、と書く理由は、”財産を所有している”と言う意味合いを薄める為です。「無所有」を標榜している人達に失礼かと思ってのことです。
ヤマギシの人達によると、「所有している」と言う意識(観念)が無ければ問題なしなのではないでしょうか。
そういえば、TPOで「生産」とか「流通」とか「雇用」等々の言葉の持つ意味を、付けたり除いたりする傾向がみられます。”意味を除いた”場合は”事実だけを観たとき”とか言います。
だから近隣のオバチャンに賃金を払ってニワトリの世話をしてもらっても、当然問題なしです。”所有”を人間の関係のありかたと考えるか、意識(観念)と考えるかは各人の自由です。   でもなんか無理があり、うそっぽく思えるのは、事実だけを観れないからでしょうか。

さんかく・しかく 4

2007-03-07 18:23:29 | Weblog
ヤマギシの宗旨に”われひとと共に繁栄せん”てなのがあるみたいです。
”繁栄”は、うさん臭いですね。なにを、どう、繁栄させるのか、いろいろ問題ありですよ。とうぜん”ほんとうはどうか”と”研鑽”するでしょうが。”ほんとうに研鑽出来ているか”常に”研鑽”する必要を感じませんか。(これはもう蟻地獄ですね)
話は変わりますが、同じ志を持った人達が集まって”実顕地”が作られているみたいですが。”同じ志”と言うのもめちゃくちゃ、うさん臭くないですか。
”同じ志”というのも、”ほんとうはどうか”と”研鑽”してみてください。
実は”同じ志”というのは、山岸巳が書散らしたものに賛同すると言う意味らしく、”その考え方に賛同”しない者は排除された歴史が何度もあるようです。
”われひとと共に・・・・”から考えると、   怖いですねえ・・・・・・

さんかく・しかく 3

2007-03-02 10:00:26 | Weblog
ヤマギシの村で生活するには、順調にいくと”特講”→”研鑽学校”→”参画”と言ったコースが用意されております。
”参画”の直前に”参画請願書”を”○○本庁”に提出することになります。”参画請願書”は”Z革命運動”に生命・財産のすべてを提供するといった内容です。
提出先の”○○本庁”が謎で、たぶんヤマギシ社会の”機関”なのでしょうが、特定の人”K””S””O”等々と錯覚する危険が無いことも無いので気をつけましょう。
”参画請願書”よく観てもらうと”一枚の紙に文字が書かれた物”だと解ります。このことは肝に銘じておきましょう。さもないと途轍もなく強力な鎖になりかねません。
”参画請願書”とは、”ほんとう”は当人の決意表明程度の物だと腑に落ちると、もう立派な”ヤマギシスト”です。