ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

むかし・むかし

2013-03-08 15:18:51 | Weblog
ある時期、ヤマギシの中央試験場や実顕地の中で、”ヤマギシズム”を、すでに体系化され完成された思想としてとらえた人達がいました。

その人達は、”ヤマギシズム”をどれだけ正確に理解できているかを基準に、意識的にあるいは無意識の内に、メンバーを階層化していきました。

彼らは、さらに、正確に理解できたと思い始めた時、「ヤマギシズム」は確信にかわりました。

そんな時、「”ヤマギシズム”は、寄り集まった人達が、毎日の生活の中で創りあげていくもので、山岸巳の残したものもメンバーの意見の一つでは」などと、ほざく者が現れました。

正確に理解できている人達は、正確に理解できてない人を排除することにしました。

排除された人は、”ヤマギシズム”は体系化され完成された思想であってはならないと、いまだに思っていました。


公人の完成

2012-06-07 16:59:06 | Weblog
「「こだわらない生き方」にこだわらない生き方」」にこだわらない生き方・・・・・・

「「とらわれない私」にとらわれない私」にとらわれない私・・・・・・

「「宗教にあらず」という「宗教にあらず」という宗教にあらず・・・・・・

「「無所有」を所有しない」を所有しないを所有しない・・・・・・

    ”あしたはどっちだ!”


「研鑽」

2012-03-21 08:42:31 | Weblog
昨日、奇しくも彼岸の中日に、親しい先輩が82年の生涯を閉じた。
彼は、三重県伊賀の春日山にヤマギシズムの拠点を設立した頃からのメンバーで、いわゆる「クーデター」のおり、「バス」に乗ることを拒否され、春日山を去った。
長い間、春日山の財務に深く関わり、「山岸会事件」後の困難な時期を乗り切る等、春日山の事情に通じており、「クーデター」に冷静に対応していた彼は、「クーデター」推進派にとって、眼の上の瘤だったようである。
当時の春日山の人事係との「研鑽」の末、関西の地方都市に居を移し、もともと身体に障害を持つ彼は、果敢に新たな困難へ立ち向かい、そして昨日静かに退いた。
彼は「研鑽」の結果の「公意行」として、その人生を引き受けた。
だが、誰かを排除するような「研鑽」が成り立つのであろうか?
「反省なし」のヤマギシに、それを言ってもせんかたないこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・3月21日通夜、22日葬式・・・・・・・・・・・・・・・・・


まかし、まかされる

2011-06-20 14:56:50 | Weblog
ヤマギシのスローガンのひとつに「まかし合いの社会」というのがあるみたいです。
乱暴な例えで言うと、野菜ひとつにしても、それを生産するひとに”まかし”ており、また衣服も同じようにそれぞれ生産するひとに”まかし”ている。
そして今自分のしている仕事は、他の人に”まかされ”ている。
つまり”まかし、まかされる”関係が社会的”事実”で、その事実に基づいて生きるのが”ほんとう”ではなかろうかと言ったことでしょうか。
(ヤマギシが立ち上がるどこかの段階で行われた”研鑽会”で出てきた話しでしょう。)
研鑽学校での研鑽テーマとしてもとり上げられていた気がします。
”まかし、まかされる”の中身は別の機会に考えるとして、「人に”まかし”きれないのは我執が強いから」と言う定式はどうもイタダケません。
異議を申す人、さらには疑問を感じる人等々は皆この中に放り込まれてしまいます。
ヤマギシの中のもうひとつのスローガン「ハイ・ハイ実践」(今もあるのかな)にも、つながってきます。
どうも、すでに教条化してしまった感のあるいくつもの”言葉”を一度解体し、閉ざされた”言葉”を開かれたものにしないと、ヤマギシの再生は望めない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。(いらぬお節介でした)

”勘違い”講習

2011-01-06 14:08:33 | Weblog
ヤマギシの「特別講習研鑽会」で、いつの頃からか「○○○がほんとうではなかろうか」と言った結論に誘導しだした。
ヤマギシの考え方を「講習」するのだそうである。
所謂”クーデター”以前には、「考え方」を講習するなどおこがましいことはしなかった気がする。
「怒り研」を例にとってみると、個々人の具体的な「腹が立った」経験について、各人がなぜその時「腹が立った」のかを執拗に考え、その「考え」を研鑽会の場に出す。
係はテーマから外れない様に気を配り、「考え」が出し尽くされたらそのテーマの研鑽会は一応終了。
他のテーマについても、「考え」が出し尽くされたらそのテーマの研鑽会は一応終了。
ヤマギシで言うところの”放す”(すべての「考え」を対等な条件で出し尽くす?)ことの実践を体験講習しているわけである。
結論めいたものが出されることもあるが、あくまで個々人の受け止め方の問題として先延ばしされる。
ヤマギシは各人に考えてもらいたい「テーマ」を提供し続け、結論や答を提示しない。
(もっとも提示できる結論や答を持っていたら不思議であるが)
このようにして混乱と欲求不満の「特別講習研鑽会」は「研鑽学校」へと続くのである。
そのようなヤマギシは非常に解りにくかった。


特講

2010-09-02 09:00:52 | Weblog
「洗脳の楽園」の中に特別講習研鑽会でのベテランの係の話があったような気がします。
テクニックとして、個々の参加者の状態を分析しながらどのように誘導するか、と言った内容だったと記憶していますが間違っていたらゴメンなさい。
そのとき、「アレ?」と思ったので「アレ?」を整理してみました。
たとえば「怒り」についての徹夜研鑽で係は「なぜその時怒ったか」をしつこく訊ねます。
そのときの係は、研鑽会の進行上形式的に訊ねているわけではないはずです、「もしかしたら”怒りの原因”がどこかにあるのかもしれない」と言った気持ちのはずです。
「怒らないのがほんとうだ」とか「事実と思いは別だ」とかが係の頭の中にあったら、零位に立った研鑽などと言えません。
ベテランの係の話は、ヤマギシが自分たちで基本を曲げて言った傷痕でしょうか?

研鑽会2

2010-07-01 16:48:04 | Weblog
島田裕己著「無欲のすすめ」のなかで、かっての村の”寄り合い”とヤマギシの”研鑽会”が、多数決に依らない”全員一致”という理想的な決議形態だと持上げています。
これは皮相的にすぎます。
「かっての村」(ヤマギシの村)のように限定された閉鎖空間では、異質なものの存在は集団の命取りになりかねません。
そのため”全員一致”までには”根回し・説得・脅し・賺し・囲い込み・等々”なんでもありだったはずです。
また発言の重さもいろいろでしょう、最後は長老の一言だったりして。
また最後の切り札は”村八分”でしょう。
そこまで含んで”寄り合い”と”研鑽会”の相似を言っているのでしたら、島田さんごめんなさい。

世界は変わるか?

2010-04-17 07:54:49 | Weblog
「わたしが変われば世界が変わる」
これは1970年代のヤマギシのキャツチコピーです。
(最近、某巨大教団も似たようなことを標榜しているとか、いないとか。)
ところでこのところ、脳に対する生理学的と言うか科学的と言うか、とにかく研究の結果いろいろなことが言われているみたいで。
「わたしが変わる」の「わたし」ですが、「わたし」として意識できる「わたし」より無意識の「わたし」のほうが圧倒的に多いとか。
「我執」の「我」を根本的に掴まえ直せなければ「無我執」の中身もカビたりして。
もっとも山岸巳の書き散らした物を経典にしてしまった人達には、カビなど何の問題もないでしょう。

自由

2009-12-05 07:54:52 | Weblog
ヤマギシの自由の要件に「とらわれない」と言うのがあるようです。
ヤマギシのメンバーのほとんどが「イズム」にとらわれているように観えるのは、偏見でしょうか。思想集団の宿命でしょうか。
「とらわれない」にとらわれないところは、言葉や観念を超えた世界なのでしょう。
いずれの日にか、窮屈な「イズム」からの解放がありますように・・・・・・・。