ヤマギシズム・ルネッサンス

現代のヤマギシズムがかかえる問題を多方面から考えていきたい。

”勘違い”講習

2011-01-06 14:08:33 | Weblog
ヤマギシの「特別講習研鑽会」で、いつの頃からか「○○○がほんとうではなかろうか」と言った結論に誘導しだした。
ヤマギシの考え方を「講習」するのだそうである。
所謂”クーデター”以前には、「考え方」を講習するなどおこがましいことはしなかった気がする。
「怒り研」を例にとってみると、個々人の具体的な「腹が立った」経験について、各人がなぜその時「腹が立った」のかを執拗に考え、その「考え」を研鑽会の場に出す。
係はテーマから外れない様に気を配り、「考え」が出し尽くされたらそのテーマの研鑽会は一応終了。
他のテーマについても、「考え」が出し尽くされたらそのテーマの研鑽会は一応終了。
ヤマギシで言うところの”放す”(すべての「考え」を対等な条件で出し尽くす?)ことの実践を体験講習しているわけである。
結論めいたものが出されることもあるが、あくまで個々人の受け止め方の問題として先延ばしされる。
ヤマギシは各人に考えてもらいたい「テーマ」を提供し続け、結論や答を提示しない。
(もっとも提示できる結論や答を持っていたら不思議であるが)
このようにして混乱と欲求不満の「特別講習研鑽会」は「研鑽学校」へと続くのである。
そのようなヤマギシは非常に解りにくかった。



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