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我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

春爛漫

2023-04-08 10:46:02 | 花 及び植物

わが庭は春爛漫、

色々な花が咲き誇る、

パンジー、サクラソウ、ハナニラ、

手前の赤い花は分からない、

庭の奥では椿が毎朝何百もの花を落とす、

花びらばかりではない、

額片をバラバラに散らかすのが憎らしい、

わが家の庭には小砂利が敷いてある、

その中に散らすので一片一片拾わなければならない、

それを拾うのが私の毎朝の仕事、

今朝も拾いながらこんな歌(短歌)が出来た、

❝あと何年 この庭掃除 出来るやら

  思えば楽し 椿の落花❞

出来た歌を友人2人に送った、

反応はまだない。


帰省旅,第七話(フェリー・サンフラワー)

2023-04-06 15:58:30 | 老いの暮し

              サンフラワー・パール号

フェリーは船会社によって乗船の仕方が違う、

一昨年小樽から新潟まで乗船した新日本海フェリーでは

車の同乗者は車とは別の乗船口から乗ったが

今回は車に一緒に乗ったまま乗船した、

スタンダードの客室はシティーホテルと全く同じ、

乗船手続きの時に渡されたカード式のキーを使って

6階の部屋に入った、

4畳ほどの細長い部屋には2段式のベッドがあり、

部屋にはクローゼットからテレビ、洗面台、

部屋着も洗面用具まで供えられていた、

サンフラワーは他のフェリーに比べて

車を使用しない❝歩き乗船客❞が多いのもうなづける、

ロビーは乗船客で込み合っていたので

風呂も混んでいることを想定して

2時間ほど遅らせて入った、

大分~神戸航路は瀬戸内海を航行する、

明け方5時過ぎ明石海峡大橋下を通行するので

写真を撮りたかったが暗すぎて

満足のいく映像は撮れなかった、

               明石海峡大橋

残念至極、

旅行支援兵庫県限定のクーポン券4,000円分は

船内でお土産代として使った、

6時半過ぎ神戸着、

ナビをセットして高速道に乗る、

大阪市内で通勤時間帯と事故が重なって大渋滞、

都市部ではトイレが少ないので自分も含めて

同居人のトイレが気になって仕方がなかった、

京都が近づいて桂川パーキングで休憩した、

小牧から来た道と同じ中央高速道を選択、

岡谷インターから一般道を佐久まで、

佐久から再び高速道は行きと全く同じ、

暗くなる前の6時頃

わが家にたどり着いた。

 

メモ書き

走行距離:2,742キロメートル

ガソリン使用量:124リッター

フェリーによる移動距離:約500キロメートル

宿泊日数:8泊9日

 


帰省旅,第六話(芝原善光寺、杵築城)

2023-04-05 06:09:37 | 老いの暮し

実家で4泊を過ごした、

その間博多に住む甥が家族連れで会いに来てくれた、

1才になる娘のカワイイこと、

人見知りすることもなく私の膝の上に来て

写真を撮らせてくれた、

                真帆ちゃん  

兄の家に滞在していた時予告もなく

横浜に住む甥が突然現れた、

兄の所有する車の廃車手続きをするために

帰って来たらしい、

兄本人はまだ車の運転に未練を感じて

手放したくはない様子だったが

そこは周りの意見も聞いて甥が決断したらしい、

老いては子に従え

必要な事だ、

この日一族郎党10人の大集結になった、

写真を撮った、

この幸せがいつまで続くことやら?

滞在5日目の朝帰宅の途に就いた、

アマリリスの鉢植え、スズランの鉢植えなど

車に積みきれないほどの土産を載せて

8時実家を後にした、

目指すは大分港、

ここから神戸までフェリー サンフラワーでの船旅だ、

北九州から東京までのフェリーもあるが

運賃が約8万円と高すぎて手が出ない、

出航までには余裕がたっぷりある、

そこであちこちより道をした、

まず豊前善光寺、

別名芝原善光寺、

                芝原善光寺

善光寺と言えば長野県だけど大分にもある、

詳しいことは分からない、

ところがその昔

祖父は毎年縁日にはこの寺にお参りしていた、

土産には決まって❝ケンポナシ❞と言う

干しブドウのような果実を買ってきた、

この正体は今もって何なのか分からない、

その寺は広い敷地を持ち

歴史のある寺の様相を呈していたが

人影は無く寂しいものだった、

祖父の思いも込めてお賽銭を上げてお参りした、

次の寄り道は杵築城、

杵築市は国東半島に西海岸沿いにある、

今に色濃く残る城下町としても

又坂の多い街としても知られている、

城の裏手は断崖になっており海が見渡せる、

ブランド品の城下カレイはこの城の下の入り江で

取れることから名づけられた、

城主の木下家は秀吉の正妻ねねの実家でもある、

写真撮影をしていると和服姿の娘が二人近づいてきた、

城をバックに桜を入れて撮らせてくれ

と言うと快く応じてくれた、

           杵築城

19時15分出航に間に合わせるために

15時頃この地を離れた、

大分港までは40Kmほどの道のり、

ところがナビが入らない、

港の待合室では大分市在住の友人タケシ君が

待っていると連絡が入った、

あちこちで大分港を聞いたが要領を得ない答えばかり、

焦りに焦った挙句到着したのは出航の1時間前、

取りあえず乗船手続き、

旅行支援で船賃が1万円引き:40,650円(2人)

兵庫県で使えるクーポン券:4,000円(2人)

有難きことこの上なし、

待合室でタケシ君と暫しの旧交を温めて

サンフラワーに乗船した。


帰省旅,第五話(高千穂に行く)

2023-04-03 06:46:18 | 老いの暮し

妹夫婦の暮らす実家に荷を解いて翌日兄を見舞った、

胃を三分の二以上切除したと言う体調は

想像以上に厳しいもののようだった、

ソファーに横たえた体を起こすのも大変な様子、

思わず 

❝そのままでいい、

起きなくてもいい❞ 

と声をかける程弱弱しくなっていた、

健康を自慢していた身体も85才を過ぎて

一旦病気に見舞われると

こんなにも弱弱しくなってしまうのかと

思わずわが身を振り返った、

翌日 妹夫婦に誘われて高千穂峡に行った、

前々から行った事がないので行きたい旨は告げてあった、

義弟の運転する車で4人7時頃出かけた、

高千穂は大分や熊本の県境にも近い宮崎県の

山奥にある、

東九州自動車道を南に走って大分市を過ぎて

内陸方向に向かう、

数年前に訪れた竹田城址や原尻の滝の標識をしり目に

ナビの案内に沿ってひたすら走る、

飛び飛びに集落が現れて秘境らしい雰囲気になってくる、

更に進めばさながらテレビ番組の

❝ポツンと一軒家❞を訪ねるような細い道、

冒険心をそそられる、

そんな山中にもポツンぽつんと家がある、

どんな暮らしをしているんだろうと

思いを馳せる、

やがて広い道に出た、

高千穂町の標識も現れた、

5時間程もかかったろうか?

高千穂峡の駐車場に車を停めた、

観光名所の真名井の滝は駐車場からすぐだ、

深い渓流に流れ落ちる様は風情がある、

名瀑100選に選ばれるだけのことはある、

悔いが残らないよう様々に写真を撮った、

土産も買った、

2時頃高千穂峡を後にした、

帰りは内陸ルートを北進した、

阿蘇の外輪山に沿う道を走った、

阿蘇神社にも寄った、

道は全く分からない、

義弟任せだ、

その内に阿蘇の景勝地大観峰の標識が現れたが

霞んで見えそうにないので素通りした、

小国町から玖珠町を経由し耶馬渓まで来て

温泉に入浴した、

何とそこはすでに中津市で市が経営する

温泉施設であった、

耶馬渓の景色もカメラに収めて

19時頃帰り着いた。

 


帰省旅、第四話(山口市~中津市)

2023-04-01 17:14:50 | 老いの暮し

8時頃ホテルを出て瑠璃光寺に向かった、

同じ山口市内だけど距離がある、

新山口は新幹線の駅が出来て開発された地域だ、

通勤時間帯と重なって少々混雑、

ナビに導かれて瑠璃光寺に9時頃到着、

瑠璃光寺は知らなかったけど山口市を検索して

国宝の五重塔があることを知った、

歴史が有り雰囲気のあるいい寺だ、

五重塔の佇まいは素晴らしい!

これまで五重塔は幾つも見てきたけれど

ここのは国宝だけあって洗練されている、

池に映りこむ構図は写真にもってこいだ、

池に泳ぐ緋鯉とコラボさせて撮った、

裏手に若山牧水の歌碑があった、

歌碑には次のように刻まれていた、

❝はつ夏の 山のなかなる 古寺の

 古塔のもとに 立てる旅人❞ 

司馬遼太郎の「街道を行く」の

一節が刻まれた碑も立っていた、

観光客は少なく静かな境内は

しばし池の鯉でも眺めながら

思索にふけりたい気分にさせた、

1時間半ほど居て角島に向けて出発した、

これ又距離がある、

田舎道を延々と2時間程も走ったろうか、

坂を下ると漁村らしき風景となり

標識に導かれて進むと一変して海の景色が広がった、

先ずは小高い丘に登って橋を眼下に

写真を撮った、

透明感のあるマリンブルーの海の色がいい、

橋が映える、

島が映える、

1,780Mの橋を渡った、

角島灯台を目指した、

その間2Kmほど人家はない、

島の人口は900名ほどだと言う、

灯台に登った、

ほどほどの観光客がいた、

充分堪能して角島を後にした、

海沿いの道を関門橋に向けて走った、

夕方5時頃中津の実家に到着した。