西京極 紫の館

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戦国武将の御宅拝見20 - 神保長職 / 富山城 -

2012年06月03日 13時51分55秒 | お城探訪
富山という土地は戦国時代有力武将に囲まれ、
さらには当時一大武装勢力でもあった本願寺の拠点でもありました。
まさに戦国時代の縮図の様な土地柄なのです。
その点ではもっと有名なお城や史跡が残っていても良いはずですが、
実はあまり古いお城など残っていません。

富山城も明治期の廃城政策によって破却解体され、
昭和29年に再建されたものです。
戦後の復興事業の記念イベントとして富山産業大博覧会が開催された際、
シンボルとして建設され、その後郷土博物館として使われています。

JR富山駅から少し南に下った辺りに位置する富山城祉公園。
県庁や、テレビ局、高層ホテル群に囲まれた富山市街のど真ん中です。
駐車場の入口がお城の御門風になっていてかっこいい。
駐車場にはみえないけど駐車場
この駐車場作られて間もないのか、とてもキレイ。
城址公園に上がれるエレベータも設置されています。

城址公園はまだ部分的に整備中でしたが、巨大な石碑と石像があります。
 
写真左/殉職警防団員の碑、右/前田正甫像


亡くなった消防士さんらの慰霊碑です。
で、銅像の方は越中売薬の考案者・富山藩2代藩主・前田正甫(まさとし)の像。
いわゆる越中富山の薬売りの創始者ってことね。

 鉄筋コンクリート製の模擬天守

富山城は天文12年(1543)神保長職(じんぼ-ながもと)によって築かれ、
その後一向一揆、上杉謙信との攻防を経て、織田家家臣・佐々成政が入城。
その成政も、小牧・長久手の戦いの際、家康に味方したものの、
家康が秀吉と和睦してしまい、秀吉から征討され、城は破却されたという。
当時のデザインはきっと今の天守とは違っていただろう。

成政といえば、秀吉との和睦を家康に撤回陳情する為、
冬の立山を軍を率いて越えたさらさら越えが有名です。
結局、家康は成政より秀吉との関係を重視した訳ですが…可哀想な人。

成政が富山から転封された後は
お隣の加賀藩の支藩として前田家が入封し、明治期まで続きました。

郷土博物館である天守の中はとてもキレイ。
入館料は併設されている美術館の入館料とセットで300円とリーズナブル。
 北陸独特の釉薬つきの鯱
 館内から観た内堀


外観は3層最上階は望楼構造。
内部は石垣部分が1階なので最上展望台は4階。
平城の上に天守自体もそんなに高さはないので富山市街を一望…という訳ではなかったです。


天守の石垣は石と石がコンクリで固められていてちょっと興醒め。
上の写真の右側の石垣もきれいに切り揃えられ過ぎて不自然。
もうちょっと造る時繊細にしてくれれば良かったのになぁ。

 復元された千歳門

城址公園の北東角にあるのが佐藤記念美術館。

外観は櫓っぽい凝った作り。
中の展示品の撮影は出来なかったので割愛します。
古今東西数々の書、茶器、工芸品は創設者・佐藤助九郎の趣味の収集品の様です。

例によってサンガの応援の関係で
あんまり時間に余裕がなかったのでレポートはこんなところですが、
最後に意図しない失敗撮影したら面白いショットが撮れたので載せときます。
 ピントの合わせ方の関係でミニチュアっぽく写りました
 こっちが本来のショット、比較したらわかりますよね?


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