西京極 紫の館

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戦国武将の御宅拝見12 - 戸田氏鉄 / 大垣城 -

2011年07月04日 22時11分32秒 | お城探訪
岐阜県、愛知県にはいっぱい有名なお城がある。
大垣城もその一つ。
行った事がないのでどんなお城か楽しみだ。

名神高速の関ヶ原ICから下道を約10Km程度。
JR大垣駅の程近い市街地のど真ん中に位置している。
お城の近くまで車で行けるが併設の駐車場がない。
大垣公園の周辺道路は違法駐車されまくり。
僕らはおりこうさんなのでちょっと離れた駐車場に停めて、
歩いてお城を目指します。



この日は大垣駅前のメインストリートはイベントが開催されていて賑わっていた。
道路は歩行者天国でフリーマーケットやらなんやらやってます。

その大通りから狭い路地に入るとお城に入れる門があった。
 つきあたりが旧柳口門

こじんまりした旧柳口門をくぐると、これまたこじんまりした天守閣が姿を現す。


大垣城は約460年前(天文4年/1535年)宮川安定が築城したといい、
当時も水門川の流れを外堀に利用して造られた規模の小さな城であった様です。
天守閣が造営されたのは慶長元年(1595年)伊藤祐盛によるというから秀吉の治世。

その後、大垣城にまつわるエピソードとしては
関ヶ原の合戦の際、西軍・石田三成らが本拠とするも、
東軍の総帥・家康の陽動作戦にまんまとひっかかり、
城を出て関ヶ原へと向かい敗戦の憂き目に遭ったのが最も有名。
もし三成が大垣城から動かなかったら、
日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

関ヶ原の合戦後、城主が石川家3代、松平家、岡部家と続き、
寛永12年(1635)戸田氏鉄(うじかね)が播州尼崎より移封され、
以降明治維新まで戸田家が代々城主を務めた。

元々の天守閣は国宝にも指定されていたそうだが、昭和20年(1945)戦災で焼失。
今の天守閣は復興天守で昭和34年(1959)に再建されたものだそうな。
天守閣の中は歴史博物館になっていて入場料100円(この日はさらに割引されてて50円でした)。
展示品の鯱
天守閣最上階から西方向、乾隅櫓方面を望む。

まぁ平城なもんで最上階からといってもそんなに展望はよろしくはない。

今でこそ埋め立てられて堀っぽいものは周囲にあまりないが、
元々は西美濃の輪中地帯を利用した縄張りだったようだ。


西門から外へ出ると、戸田氏鉄が騎乗している銅像がある。
 戸田氏鉄と大垣城天守、なかなか良いアングル

 すぐ近くには乾隅櫓

 乾隅櫓横の塀

城を後にして駐車場へ戻る途中の堀っぽい水路も撮っておこう。


戦災で焼失する前の天守や昔のままの掘割りを見たかったなぁ。

そして岐阜県城巡り、続いて斎藤道三&織田信長の城、岐阜城へ。
それはまた明日以降に♪


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