新潟独り暮らし時代57「新潟大学卒業の日」
●新潟大学卒業の日 昭和62年3月上旬。新潟大学経済学部生としての卒業式の日がついにやってきた。 思い返せばあっという間の4年間。一人暮らしに関しては、スタートは神田川のフォークソ...
新潟独り暮らし時代56「大学最期の打ち上げは晩秋の秘湯宿」
●最期の打ち上げは晩秋の秘湯宿 立教大学水戸公教授ゼミとの合同ゼミ討論会が夏場にあったことと、私も含め4年生の就活も昭和の当時はお盆過ぎくらいが山場であったので、例年初夏に行ってい...
新潟独り暮らし時代55「立教大学との合同ゼミで完敗」
●立教大学との合同ゼミで完敗 昭和61年の春。客員教授としてドイツの大学に赴任されていた関係で一年の空白があった新潟大学経済学部の鈴木辰治教授のゼミも、復帰から2年目となり、私を含...
新潟独り暮らし時代54「深夜の研究室での就活試験勉強(その2)」
●深夜の研究室での就活試験勉強(その2) 当時の新潟大学は郊外の砂丘畑地へ移転新設されて年...
新潟独り暮らし時代53「深夜の研究室での就活試験勉強(その1)」
●深夜の研究室での就活試験勉強(その1) ふとした経緯で大学3年生の春休みから広告代理店でのフルタイムバイトを始めた私は、新潟県内をくまなく営業で回る中で県勢に寄与できる仕事をした...
ほのぼの鑑賞・テレビドラマ等2022.7.16
新潟県のとある地域には「ダメを拾う」という言葉がある。人のことを話す時に、その人の悪いところをあげつらって指摘したり皮肉を言ったりしがちな住民性を表す意味で、口の悪い相手とのやり...
新潟独り暮らし時代52「鈴木辰治ゼミで目覚める2年目」
●鈴木辰治ゼミで目覚める2年目 鈴木辰治教授がドイツ客員教授から新潟大学へ復帰されての2年ぶりのゼミは、先輩がおらず、教授も自主性尊重(放任?)主義ではあるもののゼミ長の私なりに暗...
新潟独り暮らし時代51「鈴木辰治ゼミ1年目の打ち上げ」
●鈴木辰治ゼミ1年目の打ち上げ 昭和61年の未だ寒い春先。鈴木辰治教授がご自宅に私のほかゼミ員の2人を夕食に招いてくれた。先日までの半年間のブラジル人留学生の対応や自身の著書の校正...
新潟独り暮らし時代50「鈴木辰治ゼミへの留学生(その7)」
●鈴木辰治ゼミへの留学生(その7) 時は昭和60年秋。新潟大学経済学部鈴木辰治ゼミのゼミ長と...
ほのぼの育児応援14(猛暑に負けるな夏生まれ)2022.7.9
●いよいよ二歳間近。猛暑に負けるな夏生まれ。 育児支援している幼子は、新型コロナ感染症が急拡大する社会情勢の中で生まれて早二歳になる。 コロナ禍は未だに収束せず、快活に騒げず全体と...