東アジアが植民地化されていったのは19世紀です。
戦国時代はまだ植民地化の波は東アジアには来ていません。
黒船来航の後植民地化の圧力が日本に強くかかるには、いささか時間がかかります。
幕末からしばらくは、アメリカは南北戦争、イギリスはボーア戦争で新たな植民地獲得どころではありません。
それにとなりに植民地にするのにもっとおいしい対象、中国がありました。
その間に日本は富国強兵を押し進めた訳です。
当事植民地にするには中国のほうが豊かで、また日本は武士と呼ばれる野蛮で精猛な陸兵が跋扈する厄介な国です。
艦砲でちょっと脅せば屈服する国ではなかったので、この時期は中国のほうがおいしかったわけです。
その後ロシアがシベリア鉄道をつくり、東方進出に乗り出しました。
この圧力を強く受けたのは、日本と中国利権を持つイギリスです。
日本はイギリスと同盟を結びイギリスの尖兵となることでさらなる富国強兵をおしすすめ、日露戦争に勝利することによりやっと列強の一角にのし上がりました。
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