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岸本尚毅の秀句鑑賞<青大将実梅を分けてゆきにけり>     高橋透水

2014年06月08日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
青大将実梅を分けてゆきにけり   岸本尚毅

  数年前、私の住まいに近い中野区の哲学堂公園のこと、いつも通り散歩していると、梅林の広場辺りに異変のあることに気付いた。木々にいる雀や目白が甲高い声で鳴き合っている。そっと近づくと、飛びつ戻りつ、叫びあい、何かを警戒しているようだ。一本の梅の木の下の方に鳥たちの眼は集中している。あたかも今からそこで、宇宙の転変がはじまるように。よく見ると、するすると動くものがある。私の眼が凍った。そう、蛇である。かなり大きい青大将だ。紅く燃えるような裂けた舌。なにか自信のありそうに警戒することなく這ってゆく。鳥の騒ぎを達観したかのように、やがて草むらから樹林へと消えた。

 さて鑑賞句は、岸本の第二句集『舜』(平成四年刊)に収録されている。
多分穏やかな天気の良い日だろう。鈴なりに実った梅を押し分け、青大将が幹から枝へ獲物めがけてするする進む情景が目に浮かぶ。
小林恭二の「青春俳句講座」によれば、『俳句研究』で飯田龍太の絶賛を浴びた句と述べ、「写生の見本みたいな句である。これと言った技巧はこらしていないが、均整のとれた句姿をしている。梅の実の間をはってゆく蛇の擦過音がきこえてきそうな句である。これはひとえに『実梅』という確かな言葉を使った功績による。『青大将』と『実梅』は視覚的にも触覚的にもよくマッチしている」
と句評している。

 これをもう少し、私なりに分析してみると、「実梅を分けて」の実梅は樹に生っている景より、むしろ落ち梅の情景が句の広がりが出ると思う。実際に樹上の梅のころはまだ青大将が出るに早いし、鈴生りの梅を青大将が分け入ることに無理がある気がする。
 先ず音感であるが、実際は音などなく、五感は蛇を見る目に集中し、無音の世界。しかし蛇の長い形態とくねくね進む動作から、乾くような音が脳を震わせる。
 次に空気感であるが、なによりも赤く裂けた炎のようなベロであろう。その炎がなぜかひんやり感を漂わせる。眼も鋭いわけでないが、確かな目つきをしている。急に襲ってくるわけでないのに、恐怖感に固まってしまう。
 そして色彩の効果として、青大将と云う語感から青を、実梅から色付いた赤みの射した黄を思い浮かべる。更に梅の木の青葉、空の青まで脳裏に行き来する。句は季重りともいえるがそれも気にならず、青大将と実梅を超えた動画でありながら静止画像の一点を拡大した世界が展開されてくる。いつまでも耳に残り眼に動く句である。

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