オバマ米大統領のプラハ演説をどう読むか─私たちが選択すべき道についてのつづき
●「オバマジョリテイ」?
ところで8月6日の「平和宣言」で秋葉忠利広島市長はこうのべた。
《今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。
それに応(こた)えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。
最後に、英語で世界に呼び掛けます。
We have the power.(私たちには力があります。) We have the responsibility.(私たちには責任があります。)And we are the Obamajority.(そして、私たちはオバマジョリティーです。)Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.(力を合せれば核兵器は廃絶できます。絶対にできます。)》
新聞記者として長く原爆報道に携わり、広島市長を務めた平岡敬氏は、厳しくこう指摘している。
「なんと言ったかね、あれは、THE UNITED STATES HAS A MORAL RESPONSIBILITY TO ACT.行動に対する道義的責任っていう。ですから結局彼は認めていない。やっぱり僕は、謝らせなきゃいかんと思うんです。で、今、広島はですね、オバマに来てくれてなこと言ってますね。来て何するんですか。ああいう、その広島のね、甘ったっるさってのを僕は嫌いなんですよ」(8月6日の中国放送)
平和宣言について広島市立大学広島平和研究所の浅井基文所長はこう語っている。
「オバマっていうのはですね、核廃絶論と核抑止論の間の真ん中に立っててですね、ちょうど振り子の中心にいる、やじろべえみたいなもんで、どっちに行くかなあという状況だと思うんですよ。一番今求められていることは、核廃絶論の私たちの主張とか政策とか、そういうことを主体的に強める努力をするということであって、オバマ頼みっていうのはですね、むしろそういう努力に水を差す、私たちの主体的努力をも安易な楽観論でですね、弱めてしまうことすら懸念されるわけです」(出典、上に同じ)。
●対テロ戦略の一環としてのオバマ流「核廃絶論」
私たちはプラハ演説中の次の部分を、《今、続けている侵略戦争の正当化》として凝視し、声を挙げねばならない。
「米国が攻撃を受けたとき、(中略)、何千もの人々が米国の国土で殺害されたとき、NATOはそれに呼応しました。アフガニスタンにおけるNATOの任務は、大西洋の両側の人々の安全にとって不可欠なものです。私たちは、ニューヨークからロンドンまで各地を攻撃してきた、まさにそのアルカイダ・テロリストを標的とし、アフガニスタン国民が自らの将来に責任を負えるよう支援しています。私たちは、自由主義諸国が、共通の安全保障のために提携できることを実証しています。」(Ⅰ、19節)
オバマ大統領は米軍を増派して、アフガニスタンとパキスタンで戦火を拡大し、民間人を殺し続けている。その米軍に「呼応」しているのが、NATO軍で編成するISAF(国際治安支援部隊)である。米軍が拡大中の戦闘はブッシュ前政権以来の対テロ戦略の発動に他ならず、ブッシュ前大統領のイラク戦争に強く反対してホワイトハウスの主になったオバマ大統領は、イラクからの撤兵を遅らせる一方で、アフガニスタンを「主戦場」にしつつある。(本シリーズ「反戦の視点・その85 激化し拡大する「オバマの戦争」に正面から対決しよう!」を参照してほしい。)
「アフガニスタンにおけるNATOの任務」とはタリバーンの掃討作戦のことである。ブッシュ前大統領はブレア前英首相とともに、2001年10月、当時アフガニスタンを実効支配していたタリバーンがアルカイダをかくまっているとして、同国に先制空爆を始めた。それによりタリバーンは一時期支配力を失ったがすぐに復活し、米国政府の傀儡(カイライ)であるカルザイ政権を攻撃している。米軍やISAFが「アフガニスタン国民が自らの将来に責任を負えるよう支援」しているとは、戦後米歴代政権が使い古したレトリックで、拡大する侵略戦争の実相を隠すイチジクの葉にすぎない。ベトナム侵略戦争の際も米国政府はベトナムへの軍事介入の根拠を「南ベトナム国民の自立を支援するため」と繰り返し主張したのだった。
ちなみに、本年1月20日の大統領就任演説でオバマ氏はこう語っている。
「我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。」
「我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。」
「今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。」
オバマ大統領が「核兵器のない世界」を語るのは、「管理が不十分な核物質」がアルカイダの手に渡り、それで米国が攻撃されることを避けたいからである。パキスタンの「イスラム過激派」を無人武装偵察機で越境攻撃するのは、パキスタンが保有する核がアルカイダの手に落ちることを警戒しているからである。つまり彼の「核廃絶論」は米国を防衛するための対テロ戦略の一環であり、そこから一歩も出るものではない。彼の主張は徹頭徹尾、米国一国中心主義に基づいている。
湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などで戦費が爆発的に増大し、国家財政が破綻した「アメリカ帝国」はすでに一極構造の極たりえない。世界の多極化が進み、「ユニラテラリズム」(単独行動主義)など過去の夢のまた夢である。だからオバマ大統領は、ひたすら同盟諸国との連携を推進する協調主義を押し出さざるを得ない。だが、その外交戦略がめざすところは、「世界の安全保障」やら「共通の安全保障」などではない。NATO諸国を含む「自由主義(同盟)諸国」に米国防衛の責任を負わせることなのだ。
一方で「全世界的な不拡散体制が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性がある」とNPT体制崩壊の危機を説き、他方で「米印原子力協定」の調印によって同体制を骨抜きにして恥じることがないのは、米国だけが生き残ることにしか関心がないからである。いや、オバマ大統領の念頭にあるのは、米国とイスラエルだけが生き残ることと言うべきだろう。
●核廃絶に向けて私たちが進むべき道
だから私たちに問われているのは、言うまでもなく、「オバマジョリティ」(オバマ大統領を支持する多数派)に加わるか加わらないかではない。核廃絶の道筋は別のところにある。以下の記事を注意深く読んで欲しい。
《広島市の平和記念公園。原爆投下から52年を迎えた1997年8月6日午前9時前。原爆死没者慰霊式・平和祈念式が終わると、来賓として出席していた橋本龍太郎首相が広島市長の平岡敬に語りかけてきた。
「市長さん、気持ちは分かるが、そんなことできっこない。あなたは米国の怖さを知らないんだ」。平岡は「何が怖いんですか」と問い返したが、それ以上の言葉はなかった。
平岡はこの日読み上げた平和宣言で、日本政府に「『核の傘』に頼らない安全保障体制構築への努力」を呼び掛けた。平和宣言が「核の傘」脱却を求めたのは初めてだった。橋本は式典後の会見で「日米安保を基盤とした安全保障の仕組みは必要」と述べ、被爆地の願いを即座に拒絶した。
「これでは思考停止じゃないか。米国ににらまれると、日本の首相は務まらないということなのか…」と12年前のエピソードを回想する平岡。市長在任中の8年間で政府の圧力を感じたのはこの時だけではなかった。
95年11月、核使用の違法性を審理していたオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)で、平岡は長崎の伊藤一長市長とともに「国際法違反は明らか」と陳述した。
陳述のためハーグへ向かう数日前、平岡は外相の河野洋平から突然の電話を受けた。「市長さん、政府の方針をご存じですか」と切り出し、「国際法違反」の訴えを取り下げるよう求める河野。平岡は「そうは行きません。これは基本的な問題なので」と押し返した。
「日本の究極的な安全保障を米国の核に依存しておきながら、その存在自体が『違法』だと言うのは、どう考えても矛盾じゃないか」。平岡の陳述直前まで外務事務次官だった斉藤邦彦は、政府が核使用を違法と主張できなかった理由を、米国の核の傘に求めた。》
(2009年6月8日付『共同通信』)
本稿の筆者は本シリーズ「反戦の視点・その83、核実験を批判する資格について」でこうのべた。その引用をもって結語とする。
《(核クラブの)米英仏ロ中とインド、パキスタン、イスラエルの計8カ国が保有する核弾頭は2万3千3百発以上、うち使用可能な弾頭は約8千4百発だが(出典:スウェーデンのストックホルム国際平和研究所〔SIPRI〕の2009年版年鑑)、核が拡散する世界で、核廃絶の大義を主張できるのは、核兵器を保有しないか、他国の「核の傘」に依存しない国だ。日本は今は核武装していない。しかし韓国とともに米国の「核の傘」で守ってもらうことを、冷戦期も、冷戦後も、軍事的安全保障の根幹としてきた。自国は米国の核に依存していながら、近隣諸国の核武装は許せないというのは、いかにも身勝手な理屈である。/歴史に「if」(もしも…であったら)はないというが、仮に戦後日本が日本国憲法をそのまま実現して他国に少しも脅威を与えない平和な国であったなら、隣国の「ミサイル」の発射や地下核実験でいきり立って「戦争も辞さぬ」というような発言が(麻生)首相の口から飛び出すことはなかったにちがいない。「唯一の被爆国」神話はともあれ、この国はヒロシマ・ナガサキを経験した国として、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に核開発をやめるよう説得できる道義性を保ち得たはずである。/東北アジアの軍事的緊張をなくす方法はある。周辺諸国の軍備状況に一切かまわず、日本が一方的に武装を解除し、日米安保条約を破棄して米軍を撤退させることである。自衛隊を非武装の実現に向けてどんどん縮小し、沖縄からも「本土」からも米軍に出て行ってもらう。そうすれば、日本の前科を忘れない近隣諸国は、世界に向けて誓約した日本国憲法の前文と9条が空手形ではないことを確信して安心し、善隣友好を発展させるにちがいない。》
(2009・8・12記)
【追記】
8月9日、田上富久長崎市長が読み上げた平和宣言のうち、オバマ大統領のプラハ演説に触れた部分を紹介し、8・6ヒロシマと8・9ナガサキの中間、今年の8月8日に米軍が核抑止力の再生のために何をしたかを伝える記事を引用する。特にコメントは加えない。
■長崎平和宣言から
◎今年4月、チェコのプラハで、アメリカのバラク・オバマ大統領が「核兵器のない世界」を目指すと明言しました。ロシアと戦略兵器削減条約(START)の交渉を再開し、空も、海も、地下も、宇宙空間でも、核実験をすべて禁止する「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の批准を進め、核兵器に必要な高濃縮ウランやプルトニウムの生産を禁止する条約の締結に努めるなど、具体的な道筋を示したのです。「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」という強い決意に、被爆地でも感動がひろがりました。
◎長崎市民は、オバマ大統領に、被爆地・長崎の訪問を求める署名活動に取り組んでいます。歴史をつくる主役は、私たちひとりひとりです。指導者や政府だけに任せておいてはいけません。
世界のみなさん、今こそ、それぞれの場所で、それぞれの暮らしの中で、プラハ演説への支持を表明する取り組みを始め、「核兵器のない世界」への道を共に歩んでいこうではありませんか。
■8月9日付『朝日新聞』の記事「米軍 核軍縮とズレ」から
オバマ大統領が「核なき世界」をめざすと表明した米国だが、現場の米軍は、むしろ核抑止力をてこ入れする動きを見せている。8月7日にはミサイルや爆撃機による世界全域への核攻撃を統合する新軍団が発足した。一方、核戦略の司令塔となる戦略軍は、新たな時代の下での核抑止のあり方を探る異例のシンポジウムを開いた。オバマ政権の誕生で核軍縮路線が勢いづく中で、抑止力維持を理由に新たな核兵器開発をめざす「抵抗勢力」の思惑もちらつく。
幅7㍍もある巨大な星条旗が掲げられた。迷彩服に身を包んだ軍人たちが壇上に真剣なまなざしを向ける。式典会場わきの滑走路には、強い日差しが照り返す中、B52戦略爆撃機が駐機され、核搭載ができるというミサイルや爆弾が並んでいた──。
米南部ルイジアナ州のバークスデール空軍基地で8月7日(日本時間8日)、米空軍の「グローバル戦略攻撃軍団」の発足式典が行われた。
オバマ大統領は今年4月、プラハ演説で「核兵器のない世界」をめざすと掲げた。だが、7日の式典で空軍幹部らが強調したのは、プラハ演説の別の側面だった。「大統領は『核兵器が存在する限り、安全で効果的な核抑止力を維持する』と明言した。これこそ、我々にとって基本線となる任務だ」。新軍団司令官のクロッツ中将は、軍人ら約千人を前に力説した。
米空軍が新軍団を創設するのは28年ぶりのことだ。これまで別々の指揮系統下にあった地上発射型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)と、B52、B2といった戦略爆撃機による核攻撃を一括して指揮する拠点として設けられた。
ドンリー空軍長官は式典で、「我々の核攻撃態勢の再生にとって画期的な出来事になる。今日は歴史的な日だ」とあいさつ。冷戦終結とともに存在感が薄れた核抑止力の「再生」を誓った。
●「オバマジョリテイ」?
ところで8月6日の「平和宣言」で秋葉忠利広島市長はこうのべた。
《今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。
それに応(こた)えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。
最後に、英語で世界に呼び掛けます。
We have the power.(私たちには力があります。) We have the responsibility.(私たちには責任があります。)And we are the Obamajority.(そして、私たちはオバマジョリティーです。)Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.(力を合せれば核兵器は廃絶できます。絶対にできます。)》
新聞記者として長く原爆報道に携わり、広島市長を務めた平岡敬氏は、厳しくこう指摘している。
「なんと言ったかね、あれは、THE UNITED STATES HAS A MORAL RESPONSIBILITY TO ACT.行動に対する道義的責任っていう。ですから結局彼は認めていない。やっぱり僕は、謝らせなきゃいかんと思うんです。で、今、広島はですね、オバマに来てくれてなこと言ってますね。来て何するんですか。ああいう、その広島のね、甘ったっるさってのを僕は嫌いなんですよ」(8月6日の中国放送)
平和宣言について広島市立大学広島平和研究所の浅井基文所長はこう語っている。
「オバマっていうのはですね、核廃絶論と核抑止論の間の真ん中に立っててですね、ちょうど振り子の中心にいる、やじろべえみたいなもんで、どっちに行くかなあという状況だと思うんですよ。一番今求められていることは、核廃絶論の私たちの主張とか政策とか、そういうことを主体的に強める努力をするということであって、オバマ頼みっていうのはですね、むしろそういう努力に水を差す、私たちの主体的努力をも安易な楽観論でですね、弱めてしまうことすら懸念されるわけです」(出典、上に同じ)。
●対テロ戦略の一環としてのオバマ流「核廃絶論」
私たちはプラハ演説中の次の部分を、《今、続けている侵略戦争の正当化》として凝視し、声を挙げねばならない。
「米国が攻撃を受けたとき、(中略)、何千もの人々が米国の国土で殺害されたとき、NATOはそれに呼応しました。アフガニスタンにおけるNATOの任務は、大西洋の両側の人々の安全にとって不可欠なものです。私たちは、ニューヨークからロンドンまで各地を攻撃してきた、まさにそのアルカイダ・テロリストを標的とし、アフガニスタン国民が自らの将来に責任を負えるよう支援しています。私たちは、自由主義諸国が、共通の安全保障のために提携できることを実証しています。」(Ⅰ、19節)
オバマ大統領は米軍を増派して、アフガニスタンとパキスタンで戦火を拡大し、民間人を殺し続けている。その米軍に「呼応」しているのが、NATO軍で編成するISAF(国際治安支援部隊)である。米軍が拡大中の戦闘はブッシュ前政権以来の対テロ戦略の発動に他ならず、ブッシュ前大統領のイラク戦争に強く反対してホワイトハウスの主になったオバマ大統領は、イラクからの撤兵を遅らせる一方で、アフガニスタンを「主戦場」にしつつある。(本シリーズ「反戦の視点・その85 激化し拡大する「オバマの戦争」に正面から対決しよう!」を参照してほしい。)
「アフガニスタンにおけるNATOの任務」とはタリバーンの掃討作戦のことである。ブッシュ前大統領はブレア前英首相とともに、2001年10月、当時アフガニスタンを実効支配していたタリバーンがアルカイダをかくまっているとして、同国に先制空爆を始めた。それによりタリバーンは一時期支配力を失ったがすぐに復活し、米国政府の傀儡(カイライ)であるカルザイ政権を攻撃している。米軍やISAFが「アフガニスタン国民が自らの将来に責任を負えるよう支援」しているとは、戦後米歴代政権が使い古したレトリックで、拡大する侵略戦争の実相を隠すイチジクの葉にすぎない。ベトナム侵略戦争の際も米国政府はベトナムへの軍事介入の根拠を「南ベトナム国民の自立を支援するため」と繰り返し主張したのだった。
ちなみに、本年1月20日の大統領就任演説でオバマ氏はこう語っている。
「我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。」
「我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。」
「今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。」
オバマ大統領が「核兵器のない世界」を語るのは、「管理が不十分な核物質」がアルカイダの手に渡り、それで米国が攻撃されることを避けたいからである。パキスタンの「イスラム過激派」を無人武装偵察機で越境攻撃するのは、パキスタンが保有する核がアルカイダの手に落ちることを警戒しているからである。つまり彼の「核廃絶論」は米国を防衛するための対テロ戦略の一環であり、そこから一歩も出るものではない。彼の主張は徹頭徹尾、米国一国中心主義に基づいている。
湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などで戦費が爆発的に増大し、国家財政が破綻した「アメリカ帝国」はすでに一極構造の極たりえない。世界の多極化が進み、「ユニラテラリズム」(単独行動主義)など過去の夢のまた夢である。だからオバマ大統領は、ひたすら同盟諸国との連携を推進する協調主義を押し出さざるを得ない。だが、その外交戦略がめざすところは、「世界の安全保障」やら「共通の安全保障」などではない。NATO諸国を含む「自由主義(同盟)諸国」に米国防衛の責任を負わせることなのだ。
一方で「全世界的な不拡散体制が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性がある」とNPT体制崩壊の危機を説き、他方で「米印原子力協定」の調印によって同体制を骨抜きにして恥じることがないのは、米国だけが生き残ることにしか関心がないからである。いや、オバマ大統領の念頭にあるのは、米国とイスラエルだけが生き残ることと言うべきだろう。
●核廃絶に向けて私たちが進むべき道
だから私たちに問われているのは、言うまでもなく、「オバマジョリティ」(オバマ大統領を支持する多数派)に加わるか加わらないかではない。核廃絶の道筋は別のところにある。以下の記事を注意深く読んで欲しい。
《広島市の平和記念公園。原爆投下から52年を迎えた1997年8月6日午前9時前。原爆死没者慰霊式・平和祈念式が終わると、来賓として出席していた橋本龍太郎首相が広島市長の平岡敬に語りかけてきた。
「市長さん、気持ちは分かるが、そんなことできっこない。あなたは米国の怖さを知らないんだ」。平岡は「何が怖いんですか」と問い返したが、それ以上の言葉はなかった。
平岡はこの日読み上げた平和宣言で、日本政府に「『核の傘』に頼らない安全保障体制構築への努力」を呼び掛けた。平和宣言が「核の傘」脱却を求めたのは初めてだった。橋本は式典後の会見で「日米安保を基盤とした安全保障の仕組みは必要」と述べ、被爆地の願いを即座に拒絶した。
「これでは思考停止じゃないか。米国ににらまれると、日本の首相は務まらないということなのか…」と12年前のエピソードを回想する平岡。市長在任中の8年間で政府の圧力を感じたのはこの時だけではなかった。
95年11月、核使用の違法性を審理していたオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)で、平岡は長崎の伊藤一長市長とともに「国際法違反は明らか」と陳述した。
陳述のためハーグへ向かう数日前、平岡は外相の河野洋平から突然の電話を受けた。「市長さん、政府の方針をご存じですか」と切り出し、「国際法違反」の訴えを取り下げるよう求める河野。平岡は「そうは行きません。これは基本的な問題なので」と押し返した。
「日本の究極的な安全保障を米国の核に依存しておきながら、その存在自体が『違法』だと言うのは、どう考えても矛盾じゃないか」。平岡の陳述直前まで外務事務次官だった斉藤邦彦は、政府が核使用を違法と主張できなかった理由を、米国の核の傘に求めた。》
(2009年6月8日付『共同通信』)
本稿の筆者は本シリーズ「反戦の視点・その83、核実験を批判する資格について」でこうのべた。その引用をもって結語とする。
《(核クラブの)米英仏ロ中とインド、パキスタン、イスラエルの計8カ国が保有する核弾頭は2万3千3百発以上、うち使用可能な弾頭は約8千4百発だが(出典:スウェーデンのストックホルム国際平和研究所〔SIPRI〕の2009年版年鑑)、核が拡散する世界で、核廃絶の大義を主張できるのは、核兵器を保有しないか、他国の「核の傘」に依存しない国だ。日本は今は核武装していない。しかし韓国とともに米国の「核の傘」で守ってもらうことを、冷戦期も、冷戦後も、軍事的安全保障の根幹としてきた。自国は米国の核に依存していながら、近隣諸国の核武装は許せないというのは、いかにも身勝手な理屈である。/歴史に「if」(もしも…であったら)はないというが、仮に戦後日本が日本国憲法をそのまま実現して他国に少しも脅威を与えない平和な国であったなら、隣国の「ミサイル」の発射や地下核実験でいきり立って「戦争も辞さぬ」というような発言が(麻生)首相の口から飛び出すことはなかったにちがいない。「唯一の被爆国」神話はともあれ、この国はヒロシマ・ナガサキを経験した国として、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に核開発をやめるよう説得できる道義性を保ち得たはずである。/東北アジアの軍事的緊張をなくす方法はある。周辺諸国の軍備状況に一切かまわず、日本が一方的に武装を解除し、日米安保条約を破棄して米軍を撤退させることである。自衛隊を非武装の実現に向けてどんどん縮小し、沖縄からも「本土」からも米軍に出て行ってもらう。そうすれば、日本の前科を忘れない近隣諸国は、世界に向けて誓約した日本国憲法の前文と9条が空手形ではないことを確信して安心し、善隣友好を発展させるにちがいない。》
(2009・8・12記)
【追記】
8月9日、田上富久長崎市長が読み上げた平和宣言のうち、オバマ大統領のプラハ演説に触れた部分を紹介し、8・6ヒロシマと8・9ナガサキの中間、今年の8月8日に米軍が核抑止力の再生のために何をしたかを伝える記事を引用する。特にコメントは加えない。
■長崎平和宣言から
◎今年4月、チェコのプラハで、アメリカのバラク・オバマ大統領が「核兵器のない世界」を目指すと明言しました。ロシアと戦略兵器削減条約(START)の交渉を再開し、空も、海も、地下も、宇宙空間でも、核実験をすべて禁止する「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の批准を進め、核兵器に必要な高濃縮ウランやプルトニウムの生産を禁止する条約の締結に努めるなど、具体的な道筋を示したのです。「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」という強い決意に、被爆地でも感動がひろがりました。
◎長崎市民は、オバマ大統領に、被爆地・長崎の訪問を求める署名活動に取り組んでいます。歴史をつくる主役は、私たちひとりひとりです。指導者や政府だけに任せておいてはいけません。
世界のみなさん、今こそ、それぞれの場所で、それぞれの暮らしの中で、プラハ演説への支持を表明する取り組みを始め、「核兵器のない世界」への道を共に歩んでいこうではありませんか。
■8月9日付『朝日新聞』の記事「米軍 核軍縮とズレ」から
オバマ大統領が「核なき世界」をめざすと表明した米国だが、現場の米軍は、むしろ核抑止力をてこ入れする動きを見せている。8月7日にはミサイルや爆撃機による世界全域への核攻撃を統合する新軍団が発足した。一方、核戦略の司令塔となる戦略軍は、新たな時代の下での核抑止のあり方を探る異例のシンポジウムを開いた。オバマ政権の誕生で核軍縮路線が勢いづく中で、抑止力維持を理由に新たな核兵器開発をめざす「抵抗勢力」の思惑もちらつく。
幅7㍍もある巨大な星条旗が掲げられた。迷彩服に身を包んだ軍人たちが壇上に真剣なまなざしを向ける。式典会場わきの滑走路には、強い日差しが照り返す中、B52戦略爆撃機が駐機され、核搭載ができるというミサイルや爆弾が並んでいた──。
米南部ルイジアナ州のバークスデール空軍基地で8月7日(日本時間8日)、米空軍の「グローバル戦略攻撃軍団」の発足式典が行われた。
オバマ大統領は今年4月、プラハ演説で「核兵器のない世界」をめざすと掲げた。だが、7日の式典で空軍幹部らが強調したのは、プラハ演説の別の側面だった。「大統領は『核兵器が存在する限り、安全で効果的な核抑止力を維持する』と明言した。これこそ、我々にとって基本線となる任務だ」。新軍団司令官のクロッツ中将は、軍人ら約千人を前に力説した。
米空軍が新軍団を創設するのは28年ぶりのことだ。これまで別々の指揮系統下にあった地上発射型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)と、B52、B2といった戦略爆撃機による核攻撃を一括して指揮する拠点として設けられた。
ドンリー空軍長官は式典で、「我々の核攻撃態勢の再生にとって画期的な出来事になる。今日は歴史的な日だ」とあいさつ。冷戦終結とともに存在感が薄れた核抑止力の「再生」を誓った。