07年末。例年と違うことは直前に韓国ツアーを実施したことです。
《韓国ツアー主な旅程》
●最後の王朝“朝鮮”の宮廷料理(ソウル泊)~●日本の歴史教科書改竄問題をきっかけに国民からの募金により建設された独立記念館~竹林温泉~●全州民主化運動者との交流~李朝時代の伝統民家保存地区宿坊泊~●光州民衆蜂起の当事者の案内で現場追体験と518記念墓園(光州泊)~
《写真と感想》
只今、韓国ツアー参加のみなさんから感想と写真を募集中です=順次公開予定。
●韓国旅行の「言いだしっぺ」になって得たもの
(KDAK)
年末の12月8日(土)~11日(火)に週刊金曜日練馬読者会と株式会社金曜日の共催で韓国旅行が行われてから、早いもので3ヶ月半が過ぎた。 きっかけは、今回の旅行の企画、現地での案内などをしてくださった萱沼紀子さんに、一昨年10月の温泉読者会で初めてお会いし、そこで私が韓国の民主化運動などについて質問したことだった。それについて、萱沼さんや韓国の人達は感激されたそうで、それを受けて萱沼さんが企画して下さったのが、今回の韓国旅行である。
8日(土)午後に成田から韓国の仁川国際空港に着いて、そこから最初の見学場所である景福宮(キョンボッグン)へ向かうバスの中で、私のことを「言い出しっぺ」と紹介された時は、韓国旅行を企画するようにお願いしようといったようなことは考えたこともなかったので、少々面食らったものだった。
しかし、初日8日夜に韓国の人間文化財(日本の人間国宝に相当)になっている方に来ていただいて作って下さった「チャングム」のドラマに出てくるような朝鮮王朝時代の宮廷料理を戴いたり、独立記念館(写真1)、1919年の三・一運動の直後に万歳運動という独立運動の中心になり総督府当局に逮捕され獄死した少女でジャンヌ・ダルクのような存在といえる柳寛順(ユ・グワンスン。1902~1920)の生家(写真2 手前の建物)
、光州事件で犠牲になった市民を祀る5・18国立墓地(写真3)など、独立運動や民主化運動に関係する場所を訪問したり、全州(チョンジュ)や光州(クワンジュ)で1980年5月の光州民主化運動(光州事件)に参加した方々の体験談を聞くことを通じて、韓国の独立運動や民主化運動を深く理解し、また、韓国の家庭料理を食べ、さらには、高速道路のサービスエリアに立ち寄ったりすることなどを通じて、単に独立運動や民主化運動にとどまらず、食文化など有りのままの韓国を広く理解できるように、萱沼さんがスケジュールを組んでくださったことを、旅程が進む中で次第に感じるようになっていき、今回の韓国旅行の「言いだしっぺ」になれたことを、心から誇りに思えるようになっていった。それだけに、非常にお忙しくされている中で、我々のためにお時間を割いて、今回の旅行を企画し案内して下さった萱沼さんには、感謝してもし切れないものがある。
ところで、韓国旅行で感じたことであるが、一番感じたのは、韓国の民主主義が日本の民主主義を追い越したばかりか、置き去りにすらしたのではないかということである。このことは、独立記念館が、内外に住む韓国国民の寄付で、しかも、東京ドームが何個も入るような広さで作られたり、光州事件の時に、金大中や金芝河のような有力な政治家や知識人、民主化運動家の関与なく、主体的に市民が自分のできることでお互いに協力し合って軍に立ち向かったり、その光州事件の犠牲になった市民を祀り、讃え、記憶するために、政府が国民の税金で、東京ドームが何個も入りそうなほど広大な墓地を整備したりするのを聞いたり、目の当たりにしたのを通じて感じたものである。このようにして、韓国では、植民地支配や軍事政権による人権弾圧やそれに立ち向かった事実を社会全体で記録し共有することによって、二度と同じ過ちを繰り返さないようにし、また、同じような事態が万が一起きたとしても立ち向かえるようにして、自分達で勝ち取った民主主義を何としてでも守ろうとしている。これに対し、日本では、朝鮮はじめ周辺諸国への侵略だけでなく、沖縄の「集団自決」など「自国」の人権侵害ですら、社会全体で記録し共有しようとしないどころか、政府がそれらの事実を忘れさせようとしているのを批判しない上、それを助長するような人物(名前を挙げれば、小泉純一郎、石原慎太郎、安部晋三、麻生太郎、橋下徹など枚挙に暇がない。彼らの名前を入力するだけで五臓六腑が煮え繰り返ってくる。)を支持するようなことすらし、折角手にした民主主義を守ろうとしないばかりか、壊すようなことすらしている。これでは、韓国の民主主義が日本の民主主義を追い越したばかりか、置き去りにすらしたのではないかとされても、やむを得ないのではなかろうか。
加えて、日本に比べ、社会全体が地に足が付き、温かい感じがしたことも印象に残った。
例えば、仁川(インチョン)国際空港はじめ、仁川港沿いは、
干潟を埋め立てて港湾や工業団地などの建設が進められているが、日本のように埋め立てて1,2年くらい寝かせただけで建設工事に着手するのではなく、埋め立てた後草を植えて(写真4)地盤を強くしてから建設工事に着手する話を聞いたときには、時間をかけて建設することで、地盤沈下や液状化といった問題が生じないようにすることを感じ、特に、地震の多い日本は大いにこの点を見習うべきだと思ったものだった。
また、高速道路のインターチェンジやサービスエリアの建物も、
日本のように無機質で派手な原色の建物ではなく、自然や地域の歴史との調和を意識し、景観が損なわれないようなデザインになっていたことが印象に残ったものだった。特に、全州のインターチェンジでは、料金所の建物やインターチェンジの建物が瓦屋根になっていて(写真5)、大いに落ち着いた気分にさせてくれたものだった。
その他、公共施設や店などのトイレがどこも綺麗だったり、店などのスタッフが我々観光客にとても親切に接してくれたことなども強く印象に残った。
他にも感想はあるが、以上の韓国社会についての感想を総合すると、韓国社会では人間が大切にされており、我々外国人にも社会全体に温かみを感じることができるということではなかろうか。やはり、その要因としては、戦前の日本による植民地支配や戦後の軍事政権によって、人間を痛めつけた時代が長かったことで、人間を大切にしようとする意思が韓国社会全体に強くあるのではないかと思えてならない。だからこそ、以上述べたように、植民地支配や軍事政権の犠牲になった人々に共感して悼み、立ち向かっていった人々を称えることで、事実を社会全体で記録し共有しようとするのではなかろうか。
また、旅行では半分くらいが初対面であったが、年齢、居住地、職業、生活信条、来歴なども違う、参加者の方、さらには韓国の方と、お互いに胸襟を開いて、これまでの経験、日常生活、旅行で感じたこと、さらには時事問題などを語り合ったことで、今まで自分が知らなかったことやなかった視点を知ることができたので、自分自身この点でも多くのものを得ることができたものだった。
このように、韓国の民主化運動や植民地支配だけでなく、社会全体の理解に資するようなスケジュールを企画し案内して下さった萱沼さん、株式会社金曜日の担当者として、半ば練馬読者会のために旅行を企画し参加者を引率して下さった田中さんはじめ、参加者の皆さん、韓国で案内をして下さった添乗員や運転手の方々、韓国でお会いした皆さんには、心から厚く御礼を申し上げずにはいられない。
皆様の多大なるご厚意により、今回の韓国旅行を、とても意義深い、実り多いものにすることができました。どうも有難うございました。
そして、今回の韓国旅行の甚大なる成果を無にしないためにも、周りの人たちに今回の韓国旅行さらには時事問題について話すことなどをして、自分のできる範囲でいいから、日本の民主主義が1日でも早く韓国に追いつけるようになることに取り組んでいきたいと思う。そのために現時点で具体的にしなければならないことは、日本の民主主義を歪めに歪めてきた自民党を1日も早く政権から引き摺り下ろすことであるが。それはともかく、日本の民主主義をより実りあるものにし、韓国に再び追いつくために取り組みことこそが、萱沼さん、田中さんはじめ今回の韓国旅行でご一緒し、また、お会いした方々から賜ったご厚意に応えるためにしなければならないことだと思うからである。
●韓国ツアーに参加して
(BAMBOO)
いつでも行けるからと思っていて、その機会がなくついに訪れることが出来た韓国。週刊金曜日と練馬読者会の共催韓国ツアーの広告が目に留まったとき、応募締め切り間際だったためあわてて参加申し込みをしていました。
六十歳の還暦を迎えたばかりの私にとって、最隣国でありながらいままで一度も行っていないことが気にかかっていたため、「民主化20年の歩み」というフレーズで躊躇することなく決断しました。その理由は、終戦直後生まれの世代として、戦争を経験した親たちから直接伝言で得た知識を使って、戦争の悲惨さの一端を子どもに教え伝えていたつもりでいたことへのショックからでしょうか。
ある日、高校生の娘から「戦前の日本がどんな国だったか、隣の国がどんな気持ちでいるのか知らないで、適当なことを言わないほうが良い。もっと勉強しなさい。」とたしなめられました。子どもたちを長崎や広島へつれて行き、機会あるたび戦争の悲惨さを教えたつもりでおりました。そのことを鮮明に覚えている彼女が、修学旅行で韓国の独立記念館を見てきて言った言葉だったのです。広島や長崎で経験した、言葉だけでは言い表せない何ものかを感じとってきたのでしょうか。日本の戦前の過ちをまことしやかに語っていた親の言葉から連想していたものと比べ、韓国国民の思いがいかにかけ離れていたかを知り、真実に目を向けなさいと言いたかったのだと思います。
今振り返ると、韓国や中国の人の立場にたたないで、戦前の日本の過ちを断片的に子どもに伝えようとしていたことを、子供から指摘されたことで恥じらいの気持ちが潜在化したのでしょうか。猛烈サラリーマンを気取って自己陶酔していた10数年前の出来事で、そのときの子どもに対する気恥ずかしさを、どんな返事で隠したか今は思い出せません。
そのことが潜在意識となったいたのか、「民主化20年の歩み」からヨン様ツアーとは異なった内容を期待して、少しでも韓国の空気を読みたい思いになり、突如参加する気になったのかと思います。
光州民主化運動の体験者から当時の証言を直接聞いたことと、当時の報道との乖離を比べると情報の歪曲や世論操作の公式は万国共通であると感じました。より真実に目を向けるよう努力しなくてはいけない、それを体感!出来たツアーだったと思い、次回の企画を楽しみにしております。
ツアー参加の縁で知ることが出来た金曜日読者会「練金術」の皆さんに感謝。
●練馬読者会と本誌の共催旅行で韓国の「民主化20年の歩み」体感
(田中裕司・金曜日編集部)
『週刊金曜日』練馬読者会と本誌の共催ツアー「体感!韓国民主化20年の歩み」が8日から4日間の日程で開催され、民主化運動を追体験、市民交流の大切さを肌で感じた。
1980年の光州民主化運動の影響を受けた民主化の萌芽は7年後に開花し、民主的な大統領選を導入させた。20年後の今年は、その大統領選の年。投票日が目前に迫っていたが、ツアー2日目の居酒屋交流会には、運動経験者ら10人超が駆け付けた。
ツアー最大の山場は、3日目の光州民主化運動体験者(元小学校教師)の証言を聞く会だった。市民軍本部の置かれた全羅南道旧庁舎に案内された一行15人は、冷え切った室内で戒厳軍による虐殺と市民軍の戦いについて聞き入った。その後、犠牲者らが手厚く葬られた共同墓地に移動。自由を求めて散った学生と市民の勇気に想いを馳せた。
ハードな行程だったが、宮廷料理から街の食堂のごはんまで味わえ、ホッとする1時のあるツアーでもあった。
『金曜アンテナ』12/21日号より。
《韓国ツアー主な旅程》
●最後の王朝“朝鮮”の宮廷料理(ソウル泊)~●日本の歴史教科書改竄問題をきっかけに国民からの募金により建設された独立記念館~竹林温泉~●全州民主化運動者との交流~李朝時代の伝統民家保存地区宿坊泊~●光州民衆蜂起の当事者の案内で現場追体験と518記念墓園(光州泊)~
《写真と感想》
只今、韓国ツアー参加のみなさんから感想と写真を募集中です=順次公開予定。
●韓国旅行の「言いだしっぺ」になって得たもの
(KDAK)
年末の12月8日(土)~11日(火)に週刊金曜日練馬読者会と株式会社金曜日の共催で韓国旅行が行われてから、早いもので3ヶ月半が過ぎた。 きっかけは、今回の旅行の企画、現地での案内などをしてくださった萱沼紀子さんに、一昨年10月の温泉読者会で初めてお会いし、そこで私が韓国の民主化運動などについて質問したことだった。それについて、萱沼さんや韓国の人達は感激されたそうで、それを受けて萱沼さんが企画して下さったのが、今回の韓国旅行である。
8日(土)午後に成田から韓国の仁川国際空港に着いて、そこから最初の見学場所である景福宮(キョンボッグン)へ向かうバスの中で、私のことを「言い出しっぺ」と紹介された時は、韓国旅行を企画するようにお願いしようといったようなことは考えたこともなかったので、少々面食らったものだった。
しかし、初日8日夜に韓国の人間文化財(日本の人間国宝に相当)になっている方に来ていただいて作って下さった「チャングム」のドラマに出てくるような朝鮮王朝時代の宮廷料理を戴いたり、独立記念館(写真1)、1919年の三・一運動の直後に万歳運動という独立運動の中心になり総督府当局に逮捕され獄死した少女でジャンヌ・ダルクのような存在といえる柳寛順(ユ・グワンスン。1902~1920)の生家(写真2 手前の建物)
、光州事件で犠牲になった市民を祀る5・18国立墓地(写真3)など、独立運動や民主化運動に関係する場所を訪問したり、全州(チョンジュ)や光州(クワンジュ)で1980年5月の光州民主化運動(光州事件)に参加した方々の体験談を聞くことを通じて、韓国の独立運動や民主化運動を深く理解し、また、韓国の家庭料理を食べ、さらには、高速道路のサービスエリアに立ち寄ったりすることなどを通じて、単に独立運動や民主化運動にとどまらず、食文化など有りのままの韓国を広く理解できるように、萱沼さんがスケジュールを組んでくださったことを、旅程が進む中で次第に感じるようになっていき、今回の韓国旅行の「言いだしっぺ」になれたことを、心から誇りに思えるようになっていった。それだけに、非常にお忙しくされている中で、我々のためにお時間を割いて、今回の旅行を企画し案内して下さった萱沼さんには、感謝してもし切れないものがある。
ところで、韓国旅行で感じたことであるが、一番感じたのは、韓国の民主主義が日本の民主主義を追い越したばかりか、置き去りにすらしたのではないかということである。このことは、独立記念館が、内外に住む韓国国民の寄付で、しかも、東京ドームが何個も入るような広さで作られたり、光州事件の時に、金大中や金芝河のような有力な政治家や知識人、民主化運動家の関与なく、主体的に市民が自分のできることでお互いに協力し合って軍に立ち向かったり、その光州事件の犠牲になった市民を祀り、讃え、記憶するために、政府が国民の税金で、東京ドームが何個も入りそうなほど広大な墓地を整備したりするのを聞いたり、目の当たりにしたのを通じて感じたものである。このようにして、韓国では、植民地支配や軍事政権による人権弾圧やそれに立ち向かった事実を社会全体で記録し共有することによって、二度と同じ過ちを繰り返さないようにし、また、同じような事態が万が一起きたとしても立ち向かえるようにして、自分達で勝ち取った民主主義を何としてでも守ろうとしている。これに対し、日本では、朝鮮はじめ周辺諸国への侵略だけでなく、沖縄の「集団自決」など「自国」の人権侵害ですら、社会全体で記録し共有しようとしないどころか、政府がそれらの事実を忘れさせようとしているのを批判しない上、それを助長するような人物(名前を挙げれば、小泉純一郎、石原慎太郎、安部晋三、麻生太郎、橋下徹など枚挙に暇がない。彼らの名前を入力するだけで五臓六腑が煮え繰り返ってくる。)を支持するようなことすらし、折角手にした民主主義を守ろうとしないばかりか、壊すようなことすらしている。これでは、韓国の民主主義が日本の民主主義を追い越したばかりか、置き去りにすらしたのではないかとされても、やむを得ないのではなかろうか。
加えて、日本に比べ、社会全体が地に足が付き、温かい感じがしたことも印象に残った。
例えば、仁川(インチョン)国際空港はじめ、仁川港沿いは、
干潟を埋め立てて港湾や工業団地などの建設が進められているが、日本のように埋め立てて1,2年くらい寝かせただけで建設工事に着手するのではなく、埋め立てた後草を植えて(写真4)地盤を強くしてから建設工事に着手する話を聞いたときには、時間をかけて建設することで、地盤沈下や液状化といった問題が生じないようにすることを感じ、特に、地震の多い日本は大いにこの点を見習うべきだと思ったものだった。
また、高速道路のインターチェンジやサービスエリアの建物も、
日本のように無機質で派手な原色の建物ではなく、自然や地域の歴史との調和を意識し、景観が損なわれないようなデザインになっていたことが印象に残ったものだった。特に、全州のインターチェンジでは、料金所の建物やインターチェンジの建物が瓦屋根になっていて(写真5)、大いに落ち着いた気分にさせてくれたものだった。
その他、公共施設や店などのトイレがどこも綺麗だったり、店などのスタッフが我々観光客にとても親切に接してくれたことなども強く印象に残った。
他にも感想はあるが、以上の韓国社会についての感想を総合すると、韓国社会では人間が大切にされており、我々外国人にも社会全体に温かみを感じることができるということではなかろうか。やはり、その要因としては、戦前の日本による植民地支配や戦後の軍事政権によって、人間を痛めつけた時代が長かったことで、人間を大切にしようとする意思が韓国社会全体に強くあるのではないかと思えてならない。だからこそ、以上述べたように、植民地支配や軍事政権の犠牲になった人々に共感して悼み、立ち向かっていった人々を称えることで、事実を社会全体で記録し共有しようとするのではなかろうか。
また、旅行では半分くらいが初対面であったが、年齢、居住地、職業、生活信条、来歴なども違う、参加者の方、さらには韓国の方と、お互いに胸襟を開いて、これまでの経験、日常生活、旅行で感じたこと、さらには時事問題などを語り合ったことで、今まで自分が知らなかったことやなかった視点を知ることができたので、自分自身この点でも多くのものを得ることができたものだった。
このように、韓国の民主化運動や植民地支配だけでなく、社会全体の理解に資するようなスケジュールを企画し案内して下さった萱沼さん、株式会社金曜日の担当者として、半ば練馬読者会のために旅行を企画し参加者を引率して下さった田中さんはじめ、参加者の皆さん、韓国で案内をして下さった添乗員や運転手の方々、韓国でお会いした皆さんには、心から厚く御礼を申し上げずにはいられない。
皆様の多大なるご厚意により、今回の韓国旅行を、とても意義深い、実り多いものにすることができました。どうも有難うございました。
そして、今回の韓国旅行の甚大なる成果を無にしないためにも、周りの人たちに今回の韓国旅行さらには時事問題について話すことなどをして、自分のできる範囲でいいから、日本の民主主義が1日でも早く韓国に追いつけるようになることに取り組んでいきたいと思う。そのために現時点で具体的にしなければならないことは、日本の民主主義を歪めに歪めてきた自民党を1日も早く政権から引き摺り下ろすことであるが。それはともかく、日本の民主主義をより実りあるものにし、韓国に再び追いつくために取り組みことこそが、萱沼さん、田中さんはじめ今回の韓国旅行でご一緒し、また、お会いした方々から賜ったご厚意に応えるためにしなければならないことだと思うからである。
●韓国ツアーに参加して
(BAMBOO)
いつでも行けるからと思っていて、その機会がなくついに訪れることが出来た韓国。週刊金曜日と練馬読者会の共催韓国ツアーの広告が目に留まったとき、応募締め切り間際だったためあわてて参加申し込みをしていました。
六十歳の還暦を迎えたばかりの私にとって、最隣国でありながらいままで一度も行っていないことが気にかかっていたため、「民主化20年の歩み」というフレーズで躊躇することなく決断しました。その理由は、終戦直後生まれの世代として、戦争を経験した親たちから直接伝言で得た知識を使って、戦争の悲惨さの一端を子どもに教え伝えていたつもりでいたことへのショックからでしょうか。
ある日、高校生の娘から「戦前の日本がどんな国だったか、隣の国がどんな気持ちでいるのか知らないで、適当なことを言わないほうが良い。もっと勉強しなさい。」とたしなめられました。子どもたちを長崎や広島へつれて行き、機会あるたび戦争の悲惨さを教えたつもりでおりました。そのことを鮮明に覚えている彼女が、修学旅行で韓国の独立記念館を見てきて言った言葉だったのです。広島や長崎で経験した、言葉だけでは言い表せない何ものかを感じとってきたのでしょうか。日本の戦前の過ちをまことしやかに語っていた親の言葉から連想していたものと比べ、韓国国民の思いがいかにかけ離れていたかを知り、真実に目を向けなさいと言いたかったのだと思います。
今振り返ると、韓国や中国の人の立場にたたないで、戦前の日本の過ちを断片的に子どもに伝えようとしていたことを、子供から指摘されたことで恥じらいの気持ちが潜在化したのでしょうか。猛烈サラリーマンを気取って自己陶酔していた10数年前の出来事で、そのときの子どもに対する気恥ずかしさを、どんな返事で隠したか今は思い出せません。
そのことが潜在意識となったいたのか、「民主化20年の歩み」からヨン様ツアーとは異なった内容を期待して、少しでも韓国の空気を読みたい思いになり、突如参加する気になったのかと思います。
光州民主化運動の体験者から当時の証言を直接聞いたことと、当時の報道との乖離を比べると情報の歪曲や世論操作の公式は万国共通であると感じました。より真実に目を向けるよう努力しなくてはいけない、それを体感!出来たツアーだったと思い、次回の企画を楽しみにしております。
ツアー参加の縁で知ることが出来た金曜日読者会「練金術」の皆さんに感謝。
●練馬読者会と本誌の共催旅行で韓国の「民主化20年の歩み」体感
(田中裕司・金曜日編集部)
『週刊金曜日』練馬読者会と本誌の共催ツアー「体感!韓国民主化20年の歩み」が8日から4日間の日程で開催され、民主化運動を追体験、市民交流の大切さを肌で感じた。
1980年の光州民主化運動の影響を受けた民主化の萌芽は7年後に開花し、民主的な大統領選を導入させた。20年後の今年は、その大統領選の年。投票日が目前に迫っていたが、ツアー2日目の居酒屋交流会には、運動経験者ら10人超が駆け付けた。
ツアー最大の山場は、3日目の光州民主化運動体験者(元小学校教師)の証言を聞く会だった。市民軍本部の置かれた全羅南道旧庁舎に案内された一行15人は、冷え切った室内で戒厳軍による虐殺と市民軍の戦いについて聞き入った。その後、犠牲者らが手厚く葬られた共同墓地に移動。自由を求めて散った学生と市民の勇気に想いを馳せた。
ハードな行程だったが、宮廷料理から街の食堂のごはんまで味わえ、ホッとする1時のあるツアーでもあった。
『金曜アンテナ』12/21日号より。