nekomitu日記

ポンコツ日記

節度とマナー

2016-03-09 20:31:15 | 日記
夜23時過ぎの大盛チャンポンが胃袋に岩のように鎮座して…眠れないので(笑)
ふと。。今日思ったこと書いています。

私は、blogの中で何度も触れてきたように…とても厄介な性格です…。決して真面目な訳ではありませんし、やりたいことをやり、言いたいことをストレートに言います(笑)十分ふざけた生き方なんですが…(笑)

ですが、こんな私でも節度のない度を越えた「悪ふざけ」の言動はあまり好きではありません。

ここで…
何事にもほどほどに…という「節度「マナー」周辺へ気を配る「配慮」そして「モラル」が登場します…

■マナー とは…
客観(社会や集団)から形式付けられる行動パターン……つまりは「常識」を指します。

■モラル とは
個人の主観としての道徳・倫理(あくまで自分の体験、憶測から生じる)です

で…何が言いたいかというと…どれも人が生きてきた過程において、あるいは社会生活において認識していくものなのですが、厄介なことに「自分は理解している」と思い込んでる事です。

先に述べたように、モラルとは主観なので、簡単に言えば「自身が不愉快に感じること」が物差しだったりもする訳です。

よく、研修のなかで新卒に「言動の配慮や節度」を説明するときに、私はこんな風に例えて話ます…。

人の家に上がるとき、家主がゆっくりくつろいでいるにもかかわらず、家主に何の承諾も取らず、家主が嫌な顔をしているにもかかわらず、靴もぬがず、ズカズカと上がり込み、勝手に家の中を物色したり騒いだり、ひそひそ話をして爆笑…した挙げ句「自分が楽しけりゃいいんじゃ?!」と思っている人を見てどう思うかな?と問いかけます…

答えは勿論…「不愉快です」「怒りを覚えます…」なんです…。

ところが…そうやって例え話では解るのに、「想像力」と「指摘された経験」が足りないため、実際の言動には繋がらないんですね…。

公衆の面前で節度のない悪ふざけをすること
や、周囲に配慮がない言動
はその人の本質を問われるところでもあります。

それでも…感情ある人間ですから楽しいとついつい「あ…調子に乗りすぎた…」と、ふと…我に帰るということもあります…その時は「失礼しました」とか「申し訳ない」「ごめんなさい」と言葉で伝えたらよいのです。

しかし…残念なことに「内省力」が乏しい人は、自分を振り返り反省し、学習する事ができないので、同じ事を繰り返す…

これは、通常のコミュニケーションやSNSでのコミュニケーションも同じです…

例えばFacebookの友達申請一つを取っても、何の挨拶もメッセージもなしに申請を出される人がいますが…(私は、この場合基本承認しません)

何故ならば、会ったこともないのに自己紹介や挨拶もなく「承認して!」と無言で申請されても「何故?」と理由を知りたいと思うからです。これも一つのマナーだと思うのです。

無言の申請を会話に落とすとこんな感じ…

「会ったことないけど~共通の友達もいたりするからとりあえず承認して!いいじゃん!」そんなノリに感じてしまうのです。
だから…とても不快なので承認しないことにしています。(笑)

先日、久々に来たお友達申請で素晴らしい申請をしてこられた方がいらっしゃいました…
①はじめましての挨拶
②自己紹介
③共通の友達との関係性
④私に申請した理由
⑤共通の友達に自分の事を聴いた上でよろしかったら承認宜しくお願い致します…

という内容の申請だった…とても素晴らしいと思います。
会ったことがないにしろ
人柄が伺えますよね…

結局のところ…
節度、マナー、配慮、モラルって特に定義されにくいものですが、相手や周囲に対する思いやり「礼」なんだと思います。

各所でそれができる人は
どんなにストレートに言葉を発されても不思議と不快に感じないのです。

何か相手に対する配慮や気配りを受けたとき、
例えば…
エレベーターでボタンを押して待ってくれている方や落としたものを拾ってもらったときなど「すみませーん」といいがちですが、私は必ず「有り難うございます」と顔を見て伝えるようにしています。

外食したら会計の際に「美味しかったです…ごちそうさまでした…」と伝える…当たり前だけどとても大切な事だと思うのです。

これもマナーだと思っているからです。
基本的に自分がされて嬉しいことは相手にも…という事ですね…

強い言えば…
「礼には礼を、無礼には無礼を。」ということになってしまうのです。

あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない…となってしまうわけです。

最後に礼節にまつわる名言を二つ…

「人間関係は鏡のようなものです。相手の貴方に対する態度は、貴方の相手に対する態度そのものと考えなさい」
~ジョセフ・マーフィー~

「くだらない質問には答えぬがよい。ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。

くだらない話には耳をかさぬがよい。あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。

道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。」~荀子~

今一度自分を振り返り内省しよう…。と府に落ちたところでおやすみなさい。







自己開示

2016-03-01 23:33:30 | 日記

唐突ですが…

「自己開示」って言葉をご存知だろうか?…

自己開示とは…<self-disclosure>
 
自分の情報(感情、経験、人生観など)を他者に言葉で伝えることを指す。
自分のことを適切伝えられると、相手もそれに応えて思っていることを語りはじめ、そういう人現関係が深まっていくと、日常生活が生き生きしてくる。
 
自己開示には感情をはき出すことで浄化したり、話すうちに自分の態度や意見が明確にまとまったり、自分の能力や意見の妥当性を評価できたりなどの機能がある。
~上記文献より抜粋引用~


上記を踏まえて…
先日、ちと小耳にはさんで苦笑したこんな話がありました…。

それは…

「最近…順子さん精神的に不安定なんじゃない?」という…私のFacebookやInstagram、blogの投稿を見て、そんな話があったらしい…(笑)

心配して頂けるのは本当に有り難い事なのですが…

私のSNS活用の目的は以外とシンプル且明確なんです…

印象を操作する「自己呈示」ではなく「自己開示」なんですね…

田崎順子って人間は…日々こんなこと考えて、瞬間的にこんなこと感じて…こんなことやってるんです…どーぞどーぞ見てやってください…って感じなんです。
よって...当然の事ながら調子がいい時もあれば凹んでる時もある訳で...

特にオープンにする必要もないだろ…って突っ込み入りそうですが…(笑)
なので…完全なる自己満足にて自己完結。。

「いいね」の数やコメントを期待しているわけでもなく...。そしてSNS上での友達の数を増やす必要も特に感じず。。

余談だが、以前こんな事を質問してきた人がいる..「君はFacebookの友達何人いる?「いいね」はどれくらいの数付くの?」って。。
質問の意図がみえみえの下衆な質問をされ「頼むからそれ以上私に話しかけないで..」と思ったことがある(笑)

関心があれば見てもらったらい嬉しいし、見たくなければ見てもらわなくても全然構わない…。(そう..見て不愉快なら見なければいいんです..。)

投稿として、プライベートの様子や、感情の機敏を、世に放った以上、見た人がどんな風に私を捉え、解釈するかは、その人の捉え方次第...
それでいいんです…

見た人の自由に捉えて解釈してもらって一向に構わない...。そう思っています。
賛否両論あろうとも、それは、投稿した私の自己責任だし、そのくらいの覚悟や、批判されるリスクは、私の「目的」に対してなんでもないこと…

「見た人にどんな風にとらえられるか?思われるか?」を考えていたら自己開示なんて到底出来ないし…

SNSを見た人の中には「かまってほしいからじゃ?」とか「暇なんじゃ?」とか「精神病んでる?」など…捉え方は様々だろう…
だけど、それも予想の範疇なんですね..。それでいいんです...。

何故ならば…

目的はあくまでも自分の「今を生きた履歴を残す」ということに他ならないのだから…その目的は全くブレないのです(笑)

そして今回のように「最近の投稿気になるんだけど調子どお?」と、面と向かって事実を確認してくれる人もいれば、偏見や憶測で「あの人最近変だよね。。」みたいな噂として世間に放つ人もいます。

人との柵や評価ばかりが気になるんだったら初めからやらなければいい。。

時々…
自分を見失いそうになったら、心の中で「媚びるな!怖じ気づくな!ビビんな!」って自分に言う事にしている…(笑)

「自分の足で、自分の意志でしっかりと立て!選択しろ!」「勇気と覚悟をもて!」「自分の人生に責任をもて」と…
だから、誰かに守ってもらおうとか、責任取ってもらおう等と公私ともに一度も思ったことはないし、誰かの顔色を伺い、嫌われることを回避する様な生き方は自分に嘘をつく事になる…

「今を生きる」って、やりたいからやる…やりたくないならしない…「私はどうありたいのか?」「私はどうしたいのか?」全て「自分軸」で自問自答し、選択を繰り返すことだと思う。

自分に降りかかる全ての事象は、誰のせいでも環境のせいでもないのである。「自分が選択し行動した結果」に他ならない…。

娘にも、一貫してそう伝えてきたつもりだ…これがお母さんの生き方だと…
そして、娘にもそうあってほしいと願う…。

話はぐっと逸れるが、結婚前の娘が妊娠の報告に来た際..
「よかった!おめでとう!後は自分の人生だから覚悟をもって選択しなさい…」とだけ告げた…

そして、大切なのは、選択の際、決してパートナー(旦那様)に依存するなと…。

妊娠は、交際してわずか6ヶ月の出来事だった..。
仕事も順調で、やりがいを感じていたし、尚且つ仕事で昇進がかかっていた娘…不安だったろう…選択を躊躇したろう…

だけど覚悟を決めて選択したら、後は後悔のないよう前だけ向いて頑張ればいい…そう思っている…

結局..娘は「子供を産み育て、母親になる」という覚悟を決めて選択した訳です…。

これから娘は、自分の人生に責任を持つと同時に、親としての責任を果たしていかなければなりません…。
結婚したからといってパートナーに依存することなく、精神的にも経済的にも自立した女性であってほしいと思います。

たとえ一人でも子供を育てるという覚悟を持って生きてほしいと思います。
何故ならば、相手に依存すると期待してしまう・・期待が外れると腹が立つ..って訳で..上手くいかない事をパートナーのせいにしてほしくないし

我が子に、母として、一人の女性としての生き様をしっかり見せてあげてほしいと願います。

さてさて…随分横道に逸れてしまいましたが...(笑)

本題の自己開示...。

専門的に話すと、ちと小難しい…(笑)しかし、対人不安やコミュニケーションの問題に悩み、何だか生きずらさを抱えるクライアントへ
ソーシャルスキルトレーニングとして「自己開示」の方法を訓練していくこともあります…


私も以前は「そんなこと恥ずかしくてとても出来ない!人に何と思われるかわかんないし…笑われるのは嫌だ…」なんて
思っていた一人なんですが…(笑)

このスキルを身に付けることによって人生が楽になったのは確かなんです…♪そして「心を開放する」っていうのは
こういう事なんだと気が付いたのも確かです。