nekomitu日記

ポンコツ日記

心の傷

2016-01-26 20:18:55 | 日記
先日、知人の女性から「信じていた男の人に裏切られてとても傷ついている...」と相談を受けました。
今彼女は、とてもつらい時期だと思います。事実を受け入れられずにいるのですから...

なので..彼女に話した事も含め

今日は、あえて…じめ~っとした話をします…。

私も、過去の恋愛において恥ずかしながら..信じていた人から「傷つけられた」経験があります。

自分の存在価値を否定され、軽視され、ちっぽけに扱われたような痛み…
信じていた信頼や約束を裏切られた痛み…
お前には価値がない、お前の存在は小さい、別にどうでもいい…
お前とは付き合わなければよかった..もう面倒だ…

と受け取れる、自分にとって、とても強烈なメッセージを、ある日突然..目の前で突きつけられたことが、深く心の傷になりました。

そもそも、相手から「愛されている」と思い込んでいたことが勘違いだったのか?その場しのぎの甘い言葉を「愛されている」と信じていたのでしょう。
しかし、あまりにもショックで「相手の心が離れた」という事実を受け入れることは、本当に苦しかったし、当時は、頭が真っ白になり何も考えられませんでした。

完全に自信を失いました。その当時、暫くは「嘘つきで最低な男だ」と怒りの感情に支配されましたが、
怒りがおさまると、時間が経つごとに自分の心に深く刺さって来て、とても前向きになんて簡単にはなれませんでした…。
当然ですが、忘れてしまいたい。その人との想い出すら記憶から消してしまいたいと思ったほど。出会ってしまったことすら後悔しました。

で…なぜこの湿っぽい話をするかと言うと、「心って本当に傷つくのか?」という事を少しだけ掘り下げてみたいと思います。

今思えば当時の私は、自分の人生を歩いていくのにちょっと疲れて、どこかで「自分なんかどうなったっていい」
自暴自棄になってたところがあったのかもしれません。優しさや愛情に飢えていたのかもしれません。とにかくフワフワしていたんですね。。

そんな時、出会ったその人に、無意識に救いを求めていたのかもしれません…
相手から見ると、簡単に落とせる…隙だらけな女だったのかな..と思います(笑)

だから、見えるべきものが見えなくなってしまい自分を完全に見失っていたのです。

確かに幸せを感じた時期もありましたし、自分が女性として生き生きと輝いているような感覚にもなったのです。
何故ならば、その時は相手から「必要とされている実感」があったからです。

だけど、人の心は変わっていくものです...。時が経ち、心がすれ違うようになると、必死で相手の心を知りたい…取り戻したいと思うようになります。
所詮は他人なのですから、自分の考えや想いとは全く違うし、相手の本心なんて、掴めそうで掴めないのです。「想い」の強さに温度差があるのも当然なのです。

何より、問い詰めて事実を突きつけられたところで、受け入れる事なんてできなかったでしょう…。

そうなると、寝ても覚めても相手の事が頭から離れない。その事にこだわり続け
心にこびりついたように忘れられない…といった恋愛感情とはかけ離れた「執着」の状態になっていたのです。

相手に対する不信感は日々増していく…信じられなくなる…
何故自分に冷たくなったのか?距離を置くようになったのか?「理由」が知りたい…

執着心というものは、心に受けた傷が痛いほど、その傷にこだわり続けるのです。
それは、相手に対する「愛情」とは本来違うものなのですが、相手に対する「未練」だと勘違いしてしまうのでしょう..。

初めから遊びだったのか?適当に終わらせようとしてるのか?と…ネガティブな感情だけに支配されてしまいます。

では...何故そこまで相手の気持ちに拘るのでしょうか?

それは、自分の存在が、相手にとって「何の価値もなかった」と認めたくないからです。

だから、何故?何故?と「理由」にこだわるのです。

冷静に判断すれば、相手の人は、言動に責任などなく、とりあえず自分の欲求を満たし、今が良ければそれでいいと思う人だったのかもしれません。
いつもの自分なら相手の「誠実さ」くらい判断できるはずなのですが、相手に執着しているので、そんなことすら見えなかった…
という間違った判断をした自分自身の事も受け入れられない…。

自分にとって受け入れがたい事実を受け入れられないだけ...
そして、自尊心を傷つけられると、精神が不安定になりますから、ちょっとした相手の言動の変化にも過敏に反応するようになり、それを傷として認識するのかもしれません。

「お前には何の価値もない」と否定された…軽視された…と思い込んでる事を、「本当の自分じゃない」と事実として受け入れられず…
自尊心がザワついているだけなのです。

では、本当にそれは事実なのか?本当に何の価値もない人間なのか?そうじゃないはずです。どう捉えるかの選択肢は沢山あるのです。なのに
あえて、そこにこだわり、自分で自分の心を苦しめているだけなのです。

そうです…「心が傷つく」のではないのです。

心は自由なんです。
そもそも「心」というものは目に見えない…形がないから傷はつかないのです…


全ての事は自分が好きでやったこと…自分で選んだ選択肢のはずです。だから、誰のせいでもない…自己責任なんです。

辛いことかもしれませんが、ただ「心が変わった」「終わった」というあるがままの事実を冷静に受け入れるしかないのです。

忘れようとしても忘れられないのを無理に解決しようと抗わず、
そこからどうやって立ち直るか…「自分の存在意義を感じられる他の事」にこれからの時間を費やせば、自尊心のザワつきも時間と共に消えていくでしょう。

もう自分で自分を苦しめる必要はないんです。


恐らく、「信じていたパートナーに浮気された側の人」も同じような心境になるのだと思います。※実はこれも経験済です(笑)

たった一度しかない人生です。執着し続け泣いて時間を無駄に過ごすか?立ち直るための行動に時間を費やすかで随分変わってくると思います。







最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見返りや期待をしない (名無し)
2016-01-27 20:07:47
過去に裏切られたことはビジネスでもプラベートでもたくさんあります。
そして、私自身、プラベートで相手を裏切ったこともあります。ビジネスではありません。

いろんな経験を経て、期待や見返りを相手に求めるから裏切られたと思うもんだと解釈するようになりました。

35歳を過ぎたあたりから、人に期待や見返りをしないようになり、悲しむことも怒ることも、かなり減りました。

心のどこがで裏切られてもいいや、自分が好きでやってることだし、強制されてしているわけでもない。「自己責任」において
自分ができることを
できる範囲で
できる時に
相手側の役に立つことをするようになりました
よい言葉で表現すると、奉仕です
悪い言葉で例えると、非情です

自己犠牲という行為や思考を止めて以来、私のことを、心に余裕がある人と言われたり、冷たいという人も言われます。

ブログにもありましたように、心の傷とは意識の問題で、経験や勉強とも捉えられるのかもしれませんね。
こんなことを言えるのは、もしかしたら心に傷を負ったことがないからかもしれません笑
返信する
名無しさんへ (nekomitu)
2016-01-27 21:41:40
コメントありがとうございますU+263A
文面から察すると、傷を負った事がないのではなく、誰よりも深い哀しみと孤独を経験された方ではないでしょうか…。そう感じます。

夫婦生活も恋愛も、「いい意味で」相手に期待しなくなるととてもいい関係になるんですよね。近すぎると見えるものも見えない…
程よい距離感もある意味必要だと思います。

心の傷は捉え方です…。「この人に会わなければよかった」と捉えれば傷になりますが「この人に会えたおかげで」と捉えれば感謝にかわる…。

心は不思議…自由自在なんですよね。
返信する

コメントを投稿