こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです◎
猫はなごなご鳴き始め、
ご近所さんの庭木や鉢植えの花が一斉に咲き始めました。
ピンク、きいろ、しろ、
眩しいくらいの陽射しに明るい色がよく似合い、
ああ春だなぁと感じます。
でも、風は冷たい…。
三寒四温、まだまだ冬のお尻は重たいようです。
ちなみに七十二候は、
霞始靆(かすみ はじめて たなびく)だそうですよ。
おお、春霞~♪
そこにどうにか、
猫始鳴(ねこ はじめて なく)
も入れてほしいなぁ(笑)。
いま時分になると、
わたしはどうにも、
からだの芯が落ち着かなくなります。
刻み込まれた怖さや諦め、
からっぽになった店や道や電車や気持ち……
いろんなことが季節の巡りのなかで甦り、
奥底で続いている震えがまた表に浮かび上がってきます。
2011年3月11日金曜日、14時46分。
わたしは、東京にいました。
週末に出張で韓国へ行き、
かなりハードなスケジュールで動き回って火曜日に帰国。
水曜日は荷物の整理と情報の整理と熟睡。
木曜日は打ち合わせ。
金曜日はまだ疲れが残っているなぁ、
からだが重いなぁと思いつつ、
午後から見逃していた映画を観に出かけました。
揺れは、強烈でした。
映画館の椅子が船に乗ってるように前後に大きく動き、
わたしは怖くて肘掛けを握りしめながら逃げようと思い、
でも誰も立ち上がらなくて、
誰も逃げないことがまた怖くてわたしは外に飛び出しました。
すぐにゾロゾロ人が出てきました。
道には、たくさんの人が呆然とした顔で立っていました。
並木の根っこのあたりのアスファルトが抉れ、
看板が落ちて割れ、
向こうに電車が駅の手前の高架の上で止っているのが見えました。
何が起きたの?
どこが震源??
いろんな情報が飛び交っていました。
映画館の人が出てきて、
「東北地方で大きな地震があったようです。
劇場の安全の確認をしましたので、
上映を再開します」
と告げました。
ええ?
上映再開?
じゃ、大丈夫なの?
気持ちの悪い揺れだったけど、
おおごとじゃないのね?
ぞろぞろと映画館に戻り、
さっきの続きが始まった途端、
もう一度、ぐわっときました。
すぐに外へ出て、家へ向かって歩き始めました。
これはただごとじゃない。
電車はたぶん動かないだろうし、
事態を把握するためにも早く家に帰りたい。
途中で銀行のATMに寄って、
お金をおろしました。
実家に電話をかけてもつながらず、
家族の携帯が一瞬、通じたものの、
何度リダイヤルしてももう反応はありませんでした。
学校やビルからどんどん人が出てきて、
歩いている。
車道はとっくに渋滞になり、
ほとんど止った状態。
歩きながら、ふとお店の中を見ると、
テレビが点いていました。
盛んにニュース映像が流れている。
横目でチラチラ見ながら何軒かやりすごし、
大きな画面が外向きに置かれているお店の前で、
思わず立ち止まりました。
足がすくんで立ち止まった、
と言ったほうが正確かもしれません。
自分が何を見ているのか、
すぐにはわかりませんでした。
この映像が何を映しているのか、
カメラの向こうで何が起きているのか、
うまく理解できなかった。
津波。
とにかくとにかくとにかく歩いて、
帰りに寄ったスーパーで卵を1パック買い、
3時間半で家に帰り着きました。
ガスが自動的に止まり、花瓶がひとつ落ちていました。
それだけ。
テレビを点け、
ネットで情報を追いました。
こわくてこわくてこわくて、
居ても立ってもいられなくなって、
ご飯を炊いておにぎりにし、
買って帰った卵をぜんぶ茹で、
自転車で最寄りの区役所まで行きました。
たくさんの人がまだまだ歩いていて、
でもコンビニにはもう食べ物が残っていなくて、
区役所でお味噌汁を配っている。
その横っちょで、
少ないけれどお握りと茹で卵を配りました。
「まだあったかい…」
東京も、寒い夜でした。
居ても立ってもいられない。
地震のあとの数日間、
わたしはまさにそんな状態でした。
何をすればいいのか、
何ができるのかはわからないけれど、
居ても立ってもいられない。
大きな地震が起き、
津波が陸を呑み、
原子力発電所が爆発した。
あのときの恐怖は、
シンプルだけど複雑に入り組んでもいて、
ものすごくつらい。
わたし自身も家も、身内や知人友人も、無事でした。
それでも、3月が近づくと、
たまらないものがあります。
あれからたくさんのことがあり、
わたしは長年住んだ、
離れるつもりのなかった東京を後にする決心をし、
関西へ移住しました。
原発が爆発したことで、
いまも避難生活を強いられている人たちがいます。
自分の家に帰れない人たちが、たくさんいます。
それなのに、
今日、福井県の高浜原発4号機は、再稼働されました。
3号機は既に再稼働され、
九州の川内原発も再稼働されています。
わたしは東京に住んでいる間、
福島県双葉郡大熊町、双葉町にある、
東京電力福島第一原発で発電された電気を使い、
暮らしていました。
楢葉町、富岡町には福島第二原子力発電所があり、
新潟県にも、わたしの使っていた東京電力の
柏崎刈羽原子力発電所があります。
でも事故が起きれば、
最も被害を受けるのは、
電気を使っている東京のわたしたちではなく、
原発の近くの土地、
そこに生きているものすべて、
そこに暮らしている、
ひとりひとりのいのちや健康、生活のすべて。
この事実は、
わたしにとって、
あまりにも大きかった。
間もなく、3月11日がやってきます。
また、つづきを書きます。
ぬけヨガ神戸の、しちみです◎
猫はなごなご鳴き始め、
ご近所さんの庭木や鉢植えの花が一斉に咲き始めました。
ピンク、きいろ、しろ、
眩しいくらいの陽射しに明るい色がよく似合い、
ああ春だなぁと感じます。
でも、風は冷たい…。
三寒四温、まだまだ冬のお尻は重たいようです。
ちなみに七十二候は、
霞始靆(かすみ はじめて たなびく)だそうですよ。
おお、春霞~♪
そこにどうにか、
猫始鳴(ねこ はじめて なく)
も入れてほしいなぁ(笑)。
いま時分になると、
わたしはどうにも、
からだの芯が落ち着かなくなります。
刻み込まれた怖さや諦め、
からっぽになった店や道や電車や気持ち……
いろんなことが季節の巡りのなかで甦り、
奥底で続いている震えがまた表に浮かび上がってきます。
2011年3月11日金曜日、14時46分。
わたしは、東京にいました。
週末に出張で韓国へ行き、
かなりハードなスケジュールで動き回って火曜日に帰国。
水曜日は荷物の整理と情報の整理と熟睡。
木曜日は打ち合わせ。
金曜日はまだ疲れが残っているなぁ、
からだが重いなぁと思いつつ、
午後から見逃していた映画を観に出かけました。
揺れは、強烈でした。
映画館の椅子が船に乗ってるように前後に大きく動き、
わたしは怖くて肘掛けを握りしめながら逃げようと思い、
でも誰も立ち上がらなくて、
誰も逃げないことがまた怖くてわたしは外に飛び出しました。
すぐにゾロゾロ人が出てきました。
道には、たくさんの人が呆然とした顔で立っていました。
並木の根っこのあたりのアスファルトが抉れ、
看板が落ちて割れ、
向こうに電車が駅の手前の高架の上で止っているのが見えました。
何が起きたの?
どこが震源??
いろんな情報が飛び交っていました。
映画館の人が出てきて、
「東北地方で大きな地震があったようです。
劇場の安全の確認をしましたので、
上映を再開します」
と告げました。
ええ?
上映再開?
じゃ、大丈夫なの?
気持ちの悪い揺れだったけど、
おおごとじゃないのね?
ぞろぞろと映画館に戻り、
さっきの続きが始まった途端、
もう一度、ぐわっときました。
すぐに外へ出て、家へ向かって歩き始めました。
これはただごとじゃない。
電車はたぶん動かないだろうし、
事態を把握するためにも早く家に帰りたい。
途中で銀行のATMに寄って、
お金をおろしました。
実家に電話をかけてもつながらず、
家族の携帯が一瞬、通じたものの、
何度リダイヤルしてももう反応はありませんでした。
学校やビルからどんどん人が出てきて、
歩いている。
車道はとっくに渋滞になり、
ほとんど止った状態。
歩きながら、ふとお店の中を見ると、
テレビが点いていました。
盛んにニュース映像が流れている。
横目でチラチラ見ながら何軒かやりすごし、
大きな画面が外向きに置かれているお店の前で、
思わず立ち止まりました。
足がすくんで立ち止まった、
と言ったほうが正確かもしれません。
自分が何を見ているのか、
すぐにはわかりませんでした。
この映像が何を映しているのか、
カメラの向こうで何が起きているのか、
うまく理解できなかった。
津波。
とにかくとにかくとにかく歩いて、
帰りに寄ったスーパーで卵を1パック買い、
3時間半で家に帰り着きました。
ガスが自動的に止まり、花瓶がひとつ落ちていました。
それだけ。
テレビを点け、
ネットで情報を追いました。
こわくてこわくてこわくて、
居ても立ってもいられなくなって、
ご飯を炊いておにぎりにし、
買って帰った卵をぜんぶ茹で、
自転車で最寄りの区役所まで行きました。
たくさんの人がまだまだ歩いていて、
でもコンビニにはもう食べ物が残っていなくて、
区役所でお味噌汁を配っている。
その横っちょで、
少ないけれどお握りと茹で卵を配りました。
「まだあったかい…」
東京も、寒い夜でした。
居ても立ってもいられない。
地震のあとの数日間、
わたしはまさにそんな状態でした。
何をすればいいのか、
何ができるのかはわからないけれど、
居ても立ってもいられない。
大きな地震が起き、
津波が陸を呑み、
原子力発電所が爆発した。
あのときの恐怖は、
シンプルだけど複雑に入り組んでもいて、
ものすごくつらい。
わたし自身も家も、身内や知人友人も、無事でした。
それでも、3月が近づくと、
たまらないものがあります。
あれからたくさんのことがあり、
わたしは長年住んだ、
離れるつもりのなかった東京を後にする決心をし、
関西へ移住しました。
原発が爆発したことで、
いまも避難生活を強いられている人たちがいます。
自分の家に帰れない人たちが、たくさんいます。
それなのに、
今日、福井県の高浜原発4号機は、再稼働されました。
3号機は既に再稼働され、
九州の川内原発も再稼働されています。
わたしは東京に住んでいる間、
福島県双葉郡大熊町、双葉町にある、
東京電力福島第一原発で発電された電気を使い、
暮らしていました。
楢葉町、富岡町には福島第二原子力発電所があり、
新潟県にも、わたしの使っていた東京電力の
柏崎刈羽原子力発電所があります。
でも事故が起きれば、
最も被害を受けるのは、
電気を使っている東京のわたしたちではなく、
原発の近くの土地、
そこに生きているものすべて、
そこに暮らしている、
ひとりひとりのいのちや健康、生活のすべて。
この事実は、
わたしにとって、
あまりにも大きかった。
間もなく、3月11日がやってきます。
また、つづきを書きます。
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