10月22日は聞きたい講座が2つ。前から予定に組んであった。
午前10時から瑞穂生涯学習センターで「名古屋城から学ぶ城の建築と技術の歴史」講座に。
午後2時から名古屋市博物館ではくぶつかん講座「ある浮世絵師の選択」を聴講。
明け方の激しい雨に外出躊躇(ちゅうちょ)するも8時ごろには雨も上がり、出かけることにする。
瑞穂生涯学習センターに9時40分到着。
部屋前の講座案内。
昨日の分国法講座はこの時間なら満員だったが、今日は朝の激しい雨に集まりが少ないようだ。
時間になっても用意してあった席が相当空いている。60%か。
講師は名古屋市立大学大学院芸術工学研究科 教授 溝口正人氏。
古代から中世までの戦による防御体制の変遷と城の役割が戦国から近世にかけてどうなってきたか解説。
名古屋城は近世城郭の確立の頂点。
講座のレジメは次の通り。
1.名古屋城はどのような城か?
・城の役割と城の歴史 (ア)城の意味 (イ)先史・古代の城 (ウ)中世武士の居館 (エ)城の役割の変化 戦国~近世 (オ)江戸時代
・天下普請と近世城郭つぃての名古屋城 (ア)名古屋城の立地 (イ)名古屋城の占地と城郭の構成
2.城のしくみ:名古屋城の防御の技術を学ぶ
・なわばり・・縄を張って利用計画を定める (ア)名古屋城の城郭の構成 (ウ)防御の技術
3.城のはたらき
・都市と城:見え方にみる城の存在意義
・生活空間としての城と御殿
4・やぐらに学ぶ城の建物の特徴
・望楼建築の歴史:日本では進まなかった楼閣建設
・空間の積層:天守成立の前提
*城にみる建設技術の発展 1規格化:生産
*城にみる建設技術の発展 2天守をくみ上げる建設技術
*城にみる建設技術の発展 3天守を支える建設技術
非常に多岐にわたる内容で、まとめが簡単ではない。
私にとってほぉーと思ったことを以下にまとめる。
名古屋城の本丸は将軍上洛時の宿泊施設であった。
名古屋城の天守の土台の土は北側の現名城公園の地を掘って土台にしている。
戦国時代の度量衡はばらばら。故に建設は棟梁の感覚で決まった。それが大建築になると問題なので規格化=木割=標準化になってゆく。現在の住宅建設の原型。
日光東照宮は建築家からみると最悪。それを防ぐための装飾。名古屋城の外壁も千鳥破風、唐破風などで飾っているだけ。
何回も焼けた江戸城は最後には財政難から飾りなしの城になっていた。
話は2時間だが盛りだくさんだった。
昼食を博物館近くでとってはくぶつかん講座に。
「ある浮世絵師の選択」副題は「魁・快・怪。浮世絵師歌川国芳」。
今年国芳没後150年で各地で国芳展が開かれているそうで、講師がほかの国芳展を見にいた方いますかと問うと10人ほど手を挙げていた。
最近国芳の人気が出てきているそうで、天保の改革時の奢侈(しゃし)禁止令に反抗する画家という評価があったようだが、学芸員津田卓子氏はさてどうでしょう?と疑問符。ただし風刺がが多いことも確か。
国芳は日本橋紺屋の生まれで、闊達磊落(かったつらいらく=物事にこだわらない)でべらんめー調だったそうだ。
結局、民衆が風刺画の中に幕府を風刺していると思い込んでいたのか、本当に風刺していたのかわからない。
座席を前に取ったので分からなかったが、終了後振り返ると、補助椅子が出るほどの盛況。
講座の梯子は初めて。