今年も、はや10日経過。
11日 名東史跡の会 初会合。参加者8人。
昨年12月7日に旧一色村について神蔵寺、貴船神社及び一色城跡等の探査のまとめをした。
ほとんど会長がまとめてくれたものを、参加者一同確認するという形式。A4用紙11P分の資料になる。
まとめ終了後、会員の一人が「名古屋市遺跡分布図(名東区)」(名古屋市教育委員会編)という地図を縮小版にしてくれて、遺跡の分布が一目で分かるものに加工してくれた。
それに名東区埋蔵文化財包蔵地一覧(名古屋市教育委員会編)が添えられていて、大変興味深い資料。
一覧は遺跡番号、遺跡名称、種別(古窯・城跡)、所在地、立地・地目、出土遺物及び遺跡の概況、時代、備考(残存・滅の区分)等が記載されている。
他に、東山古窯址群(荒木 実著)ー1993-から東山古窯址群編年図の紹介と、これらをもとに名東区の古代遺跡の変遷案内を作成してくれた。
特に名東区の古窯跡は猿投山南西麓古窯跡群(猿投古窯)というが、古墳時代、奈良時代、平安時代前期、後期と時代が下るに従い、粘土・斜面・燃料等の関係で植田川東・西から天白川の南方へと移りその後、瀬戸・美濃方面に移ってゆく流れは大変興味深いものだ。
私は、燃料の枯渇が生産地の移動を促したと思っているが。
遺跡のまとめは次のようになっている。
古窯跡 38ヶ所(うち残存21/滅17)
城跡 5ヶ所(上社、下社、高針、一色、猪子石)
寺跡 1ヶ所 明眼寺跡(松井町/滅)
古墳 1ヶ所 猪子石1号墳(香坂/滅)
瓶井遺跡 縄文晩期の甕棺が単独出土(高間町499・501)
猪子石遺跡 美濃山茶碗、小皿片、須恵器片が散布(和示良神社南西)
ほかに県埋蔵文化調査で高針原1号窯(1996、牧の原1か2)
資料が大きくこのブログに取り込めないが残念だが、今後も折々に調べて見たいテーマ。
この後、昨年のセンター祭りで配布した「あなたも一緒に発掘しませんか?」が結構余った点の反省と入会希望者は現れずとの報告あり。
「名東史跡案内」で検索してもらえば過去の探査報告が掲載せてある。
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