創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

個人と社会

2015-10-21 15:54:22 | 思想
個人と社会
 欧米の思想、特に政治思想でも民主主義は個人を中心に置き、社会は個人の自己実現を助けることが中心となって考えられている。基本的人権も、個人の意思、個人の志向、個人の自由な発言や振る舞いが侵害されないように、それらを「権利」として保障して侵害されないことを法律に条文化している。
 しかし日本のようなアジア社会では、個人より全体あるいは共同性を重視するといえます。 西欧の考え方の影響が次第に浸透はしてきていますが、過去からのまさに集団的無意識や考え方の古い伝統的な保守層の考えは、いまだに滅私奉公的な自己犠牲が当然だと考え、逆に支配層の権力は、国民はお上に従い犠牲的な行動をとるべきだといった、お国ための自己犠牲を強いて、当然だと勘違いしてします。この西欧的な考えとアジア的な個人と共同体の違いの齟齬が、政治の世界では大きな矛盾、対立として現れてきます。
 その観念の見えないが具現化しはじめている戦いが、今回のような自公政権の政治支配の行動と、市民との対立を生んでいるといえます。つまり、観念という「幻想」のたたかいともいえます。
 こうした古い政治支配層と、新しく芽生えている個人を尊重しそれを民主政治に反映していこうとする市民層との対立は今後ますます激化します。古い層は政治と企業と官僚との一体的な支配をすでに握って胡坐(あぐら)をかいています。市民は集団として 集団行動の力を保守与党に対抗して訴えていくことが、自己実現の道につながります。自由と基本的な権利の保護を目的とした、権利闘争が戦後70年を契機とした日本の政治の新たな潮流といえます。
 

本当のマルクスの考えは

2015-10-14 14:45:51 | 思想
本当のマルクスの考えは
マルクスは社会主義から共産主義へと、いずれは世界は変わっていくなどといってはいません。むしろ不断の現在を超えていく挌闘に革命性があるのだといっています。革命とは、現実を超えていく努力の過程を指しています。革命的であるとは、今までの体制にすがり付き、従来の体制を絶対視して、あるいは固定化してとらえ、保守しがちで変化を嫌います。そのために現体制に不満が生じて、その体制を良くしたいから改革を行動にしていく。具体化して、良いあり方を求めて実体化するために、現体制堅持派とつばぜり合いを、変えていく努力をしていく。ここに革命性があるんだといっています。

全否定の思想

2015-10-13 14:43:14 | 思想
全否定の思想
  ある目的を貫くために、人の命を軽くしていく、あるいは人命を安く扱っていく考えは思想として敗北しています。いかなる論理付けをしても必ず負けてしまう敗者の論理だといえます。たとえ平和を名目としても、実態が戦争や戦闘行為であれは、すべてこの共同体のための価値を優先する論理であり、国家のためでも、民族や宗派のためでも、すべては普遍性のある思想ではありません。規律や統制を強めることで、人々の自由を奪ってしまう思想は、それ自体がダメな思想だということです。 強制力が強いほど強さの論理だと考えるのは、大間違いだということは歴史がすでに証明しています。 そうした思想を全否定することから、私たちは出発すべきです。

変革のための扉

2015-10-12 10:03:51 | 思想
変革の糸口
庶民でいることからの離脱は、現実の世界と自己意識との相関関係を通して論理化していく過程にある。これは同時に庶民の生活意識、生活感覚、生活情念から離れ、離脱していくとともに、孤立を深め、自閉し内向していく過程でもある。
 一方で、このして論理化していく内向過程には、次の段階で現実世界を論理化して、外向し、遠心的に外へと向かう逆の反作用が生じる。つまり庶民の生活意識からの乖離感を論理化することで、無自覚かつ無意識な社会的諸関係、社会的総体の秩序、庶民感情や習慣をとらえることで変革しようという欲求が生まれる。しかし、この意識過程だけでは、本質的な変革や革命の課題は生まれない。
 離脱していくとは、社会構造が重層的に蓄積された社会的総体の構造を紡ぎだし、古代から人が生み出してきた全体を分解して解体し、その構造を現実の行為として変革していく気の遠くなるような時間の実践がなされていかない限り、変革や革命の糸口は

フーコーの考古学とヘーゲル・マルクスの段階論

2015-10-10 17:43:37 | 思想
フーコーの知の考古学とマルクスとの接点は
 フーコーのいう考古学とは、知識に関連して出てきている観念は、考古学的に蓄積されている。その知識は層となって重層的に、ある場合には単層として、またある場合は混在して重なってきている。この層となって現在にいたる知識の考古学的な面がどこにあたるかを見つけていくことが重要視されています。
 一方ヘーゲル、マルクスの解釈は、宗教、法、国家へと移る段階を知識や歴史を抽象化し、普遍化することで段階化を見出すという理論になっています。
 この両者の考古学と段階論が、どこで接点を見いだせるかが私たちの大きな課題だといえます。