昨年9月から1年2ヶ月、生活支援相談員として閖上地区の方々が暮らしている仮設住宅の自治会のお手伝いや住民の見守りを行ってきたY.T.さんが、10月31日をもって退職されました。
退職に当たりメッセージをお願いしたところ、次のようなメッセージが寄せられましたので掲載します。
『ちょうど一年と2ヶ月前、生活支援相談員として配属になり、名取の仮設住宅8ヶ所の常駐を6名の支援員がそれぞれ担当するよう命を受けました。その後1名支援員が追加されて7名となり、事務所在駐の復興支援コーディネーター2名と共に、試行錯誤を重ねて歩み続けてきました。
何も土台がないところからスタートし、何が正解で何が間違っているのかも分からず、なかなか答えが見いだせないままの状態で、それぞれが歯がゆい想いを抱えながら進み、基盤を少しずつ作り上げていくことで毎日精一杯でした。
仮設住宅に入居されている住民の皆様は、被災をしたことによりたくさんの想いを抱えたうえ、これまでとは全く異なる生活を強いられ、現状に対する嘆きやこれからに対する不安感と日々向き合いながら暮らされています。それでも、現状を受け止めて前を向き、今の生活を少しでも意義あるものにしようと努力されている皆様と交流する日々の中、人間味溢れる温かさというものをたくさん感じることができました。
私自身も他地域の被災者であり、その立場に戻った時、どうしようもなく落ち込んだり、ほかを羨んだりするような感情と向き合うことは正直避けられませんでしたが、住民の皆様からいつも、逆に優しくお気遣いの言葉をかけていただき、その温かい気持ちに包まれ救われてきました。
この度、勝手ながら諸事情により、生活支援相談員としての草鞋を脱ぐことになりましたが、住民の皆様をはじめ、これまで関わらせていただいたすべての皆様のことは忘れません。本当に、ありがとうございました。』
新しい職場に早くなれるとともに、たまにはひよりにも顔を出してください。大変お疲れさまでした。
退職に当たりメッセージをお願いしたところ、次のようなメッセージが寄せられましたので掲載します。
『ちょうど一年と2ヶ月前、生活支援相談員として配属になり、名取の仮設住宅8ヶ所の常駐を6名の支援員がそれぞれ担当するよう命を受けました。その後1名支援員が追加されて7名となり、事務所在駐の復興支援コーディネーター2名と共に、試行錯誤を重ねて歩み続けてきました。
何も土台がないところからスタートし、何が正解で何が間違っているのかも分からず、なかなか答えが見いだせないままの状態で、それぞれが歯がゆい想いを抱えながら進み、基盤を少しずつ作り上げていくことで毎日精一杯でした。
仮設住宅に入居されている住民の皆様は、被災をしたことによりたくさんの想いを抱えたうえ、これまでとは全く異なる生活を強いられ、現状に対する嘆きやこれからに対する不安感と日々向き合いながら暮らされています。それでも、現状を受け止めて前を向き、今の生活を少しでも意義あるものにしようと努力されている皆様と交流する日々の中、人間味溢れる温かさというものをたくさん感じることができました。
私自身も他地域の被災者であり、その立場に戻った時、どうしようもなく落ち込んだり、ほかを羨んだりするような感情と向き合うことは正直避けられませんでしたが、住民の皆様からいつも、逆に優しくお気遣いの言葉をかけていただき、その温かい気持ちに包まれ救われてきました。
この度、勝手ながら諸事情により、生活支援相談員としての草鞋を脱ぐことになりましたが、住民の皆様をはじめ、これまで関わらせていただいたすべての皆様のことは忘れません。本当に、ありがとうございました。』
新しい職場に早くなれるとともに、たまにはひよりにも顔を出してください。大変お疲れさまでした。