9月7日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
徳性を養う
人間が人間を動かすことは、なか なか容易ではない。力で、あるいは理論で動かすことも、できないことではない。しかしそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても 大事なのは、徳をもっていわゆる心服させるということだと思う。指導者に人から慕われるような徳があってはじめて、指導者の持つ権力その他もろもろの力も 生きてくる。
だから、指導者はつとめてみずからの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも、反対する者、敵対する者をみずからに同化せしめるような徳性を養うため、常に相手の心持をくみとり、自分の心をみがき高めることを怠ってはならないと思う。
筆洗
2013年9月6日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)
▼米国の大統領は、その決断次第で、世界中の人々の運命すら変えかねない力を持つ。世界最強の軍の最高司令官でもある人物が、こう考えているとしたらどうだろうか。「大統領が行うことなら、それは不法ではない」
▼これはニクソン元大統領が実際に口にした言葉だ。歴史的な告白を引き出したのが、先日、七十四歳で急死した英国のテレビ司会者デービッド・フロスト氏だ
▼ ウォーターゲート事件で辞職した三年後に、元大統領はフロスト氏のテレビインタビューに応じる。「トークショー司会者なら与(くみ)しやすし」と考えての ことだったが、ニクソン氏は追い詰められ、ついに心情を吐露する。「私は米国民を失望させた。その重荷を一生背負っていく」
▼その息詰まるやりとりは、四年前に公開された映画『フロスト×ニクソン』で再現されたが、真実が解き放たれる瞬間に居合わせた番組プロデューサーは「出産に立ち会ったような思い」がしたそうだ
▼そんなフロスト氏が自ら会心の出来と考えていたのは、ジョン・レノンにこう迫ったインタビューだという。「ヒトラーがチェコに進軍した時に人々が『平和と愛を』と言ったとしても、何も変わらなかったのでは?」
▼ジョンは答えた。「うん、でもヒトラーがこの世に生を受けた瞬間から、みんなが彼に『平和と愛を』と言い続けていたら、どうだったろう」
2013年9月7日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)
天声人語
▼ 二十四節気にも「格」のようなものがある。主役級は立春に立夏、立秋、立冬、さらには夏至、冬至といったところか。準主役級が大暑に大寒、啓蟄(けいち つ)は大物の助演俳優だろう。きょう7日は白露(はくろ)だが、これは風情のある名脇役を思わせる。野の草に宿る露に秋を感じる頃、である
▼こよみの上では早くも仲秋だが、実際には夏が逝(ゆ)く季節。東京から近い鎌倉の海もこの週末でシーズンを終える。〈江ノ島のやや遠のける九月かな〉。俳人中原道夫さんの一句は、にぎわいの去った浜辺を想起させる。夏の終わりの心象風景である
▼鎌倉に近い葉山に暮らした詩人、堀口大学の一節も胸に浮かぶ。つまみ食いの引用をお許しいただくとして、〈美しい瞳でしたよ 八月の海のまぶしさ……ひと夏の海水着(みずぎ)の流行(はやり) 夕空の花火のあかり……風に似て行ってしまった〉
▼灼(や)ける太陽の下、非日常めいた休暇や避暑はさまざまなできごとを生み、特別な記憶となって胸底に沈んでいく。沈み切るまでのさざ波が、いわば晩夏の感傷なのだろう
▼白露に戻れば、この日は二百十日と二百二十日(はつか)の間にある。風雨の厄日をはさんで関東など各地で竜巻が暴れ、豪雨は道路を川にした。大気という海の底に暮らす人間、ひとたび天が牙をむけば、たちまち弱い生き物に返る
▼きのう最寄り駅までの道すがら、紫の花をつけ始めた萩(はぎ)が、露ならぬ雨滴をのせて光っていた。花の盛りの頃に降る雨を「萩散らし」などと呼ぶ。荒れず暴れずに、降ってほしい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます