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今日のコラム

2015-02-25 06:14:45 | 日記
☆2月25日は夕刊紙の日

1969(昭和44)年、日本初の駅売り専門の夕刊紙「夕刊フジ」が発刊されたのがこの日です。
最近は新聞もタブレット端末や携帯で読めるようになり便利になりましたよね。世界で初めて発行された夕刊は、イギリスで1781年に創刊されたヌーン・ガゼット・アンド・デーリー・スパイといわれています。新聞の歴史は古いですね。

 ちなみに日本で新聞の夕刊が登場したのは1915(大正4)年の10月10日で、「大阪朝日新聞」と「大阪毎日新聞」が同時に発行を開始しました。☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


2月25日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

七十点以上の人間に

完全無欠な人間などあり得ないと思う。だから、お互い人間として、一つのことに成功することもあろうし、ときにはあやまちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないというか、いわば当たり前の姿だと思う。

しかしあやまちと正しいことを通算して、正しいことのほうが多くなるような働きなり生活を持たなければ、やはり人間として、望ましい姿とは言えないのではなかろうか。
かりに自分を点数で表わすとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが、少なくともプラスの面が七十点ある、というようなところまでには到達するよう、お互いに努力したいものである。



【コラム】筆洗

2015年2月24日 東京新聞TOKYOWeb

▼俳優、竹中直人さんの往年の形態模写の演目に「笑いながら怒る人」というのがあった。説明はいらぬか。顔はニコニコしているのに、「フザケンナ、コノヤロウ」と誰かを罵(ののし)っている。大笑いしたものである

▼カントやショーペンハウアーは笑いについて常識や秩序からの予期せぬズレに対する反応と説明している。なるほど、竹中さんのギャグもこの理論に適(かな)っている。怒るはずなのに顔が笑っているというズレ。これが笑いを誘発する

▼カントが気づいていたか、どうやら、この「笑い=ズレ」の理論には例外もあったようである。昨日、自民党の西川公也さんが農相をお辞めになった。業界との「癒着」が疑われかねない政治献金を批判されての辞任だろうが、頭を下げるどころか、胸を張っていらっしゃる。少なくともそう見える

▼「私がいくら説明しても分からない人は分からないということ」。こっちが怒られている気分さえする。閣僚を辞めるという褒められない「現実」と、西川さんの「態度」が大きくズレているが、もちろん笑えるはずもない

▼西川さんにしてみれば、やましいことはないという気持ちがあるのだろうが、批判され、その後に返金せざるを得ないような献金を受け取ったことも事実である

▼大臣を辞めながら反省どころか、威張っている人。この「珍芸」は国民に深いため息しか、もたらさない。


☆今日も晴です、花粉対策をしておでかけ下さい。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆