宗教・占い探玄  

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神仏への尊崇は罪業消滅につながる

2009-03-24 08:36:11 | 先祖供養
 俺自身、罪が解けるように感じたことが2回ある。その中の1回目はこれから先、どうにもこうにも分からない気分が23才の時訪れた。人生いくらがんばっても、何とも出来ん時がある。何を思って行ったのか今でも分からんが、冬の高野山に出向き宿坊に泊まった。2月の寒い時で雪が積もっていた。奥の院まで翌朝歩いた。大師廟の橋を渡る右側に地蔵とか観音さんが祭られているが、その手前にお不動さんのお堂がある。そこで若いお坊さんが護摩を焚いているんだな。思わず「何と尊いことか」と心の中で思い、心底神仏や僧侶への帰依の念がこみ上げて来た。この日は天気も良く、参道の両側にかけ分けられた雪が朝日に照らされて美しかった。兎に角三宝に帰依したかったんだ。その坊さんの背後に回り、俺は心からお不動さんとこの僧侶を敬い、拝んだんだ。すると今までの罪がスーッと解ける感覚があったんだな。俺は別に今まで生まれてから悪いことをしたつもりはないんだけど、前世で引きずってきた罪とかあるんだろうな。ほんと、罪が解ける感覚を味わった。それからかな「何とか生きていける」と確信したのは。
 世にお不動さんとか帰依三宝の霊験を軽んじる輩もいるが、正法への帰依は罪業消滅にも繋がるんだ。また僧侶も民衆救済の役割があることを十分理解して貰いたいな。
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仏壇とお札の話

2009-03-24 07:26:40 | 先祖供養
 全然、霊のこととは分からない若かりし時の体験。仏壇の位牌は新しい仏壇に引越しして、古い仏壇は空き家になっていた。それで聖天さんの御札をその中に入れてお祭りしたんだ。翌日、左目が腫れて、赤くなってるんだ。「これは罰を貰った」と思い、すぐに移し変えた。目薬とか差さずに2日後には治った。

 俺が小さい時引越ししたんだが、しきりに仏壇が前の家の庭先に斜めになって転がってる夢を時々見るんだ。大きくなって母親に聞くと「人に貰った仏壇があって、おとうさんがお炊き上げもせんとそのまま前の家に置いてきたんよ」とのこと。ちゃんと供養しろよな。
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死後30~50年は手厚く祭祀。浄化につれて要求も減る。

2009-03-24 06:58:12 | 先祖供養
 死後まもない霊には手厚い供養を行いたいものだ。生前の習慣が残ってるんだな。細い道をてくてくと歩く孤独な旅が続くんで、霊自体エールを欲すると言われている。魂の故郷に到着する孤独な旅の故人へのエールが先祖供養だ。
先祖供養していたら浄化している霊は名前を呼んでも仏壇に来ない時も多い。またきちんとお盆とかに祭祀をすると祭祀してるところに現れる。今から6~7年前おもしろい体験をしたことがある。仏壇で祭祀していると「四国から来たがここかな」と霊同士で話してるのを感じた。先祖霊は補助霊として子孫の守護のため誰にでも憑いているんで、祭祀に招霊を強くイメージしつつ呪文を唱えると彼岸・お盆は必ず遠い先祖も寄ってくる。俺のところに来たのは遠い親戚の、これまた遠い血縁先祖と思われた。
 供養には炊きたてのご飯と水、お茶、線香、灯明は欠かせない。特に未浄化の先祖霊は非常に喜ぶからな。これも20年近く続くとだんだんと浄化も進み、感応もそれほどではなくなる。「つまんない」と思わんようにな。いいことだと思わんと。
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密教こそ宗教

2009-03-23 23:19:52 | 吉野修験雑記
 映画「空海」で、「密教こそ仏教なのです」と空海が言うんだな。最澄は「仏教は円・密・禅・戒なのです」と四宗融合を説くんだ。結論から言えば両方とも正しいんだが、俺は「密教こそ宗教」と言いたい。理屈なんかは瓦礫だ。祭祀方法も知らない、理屈ばかり言う奴は宗教家ではない。霊学・瞑想法(イメージ法)・言霊を知識で知り、技法を知り、体感出来ている人間こそ宗教人だと思うんだな。
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霊学・イメージ法・言霊は密教

2009-03-23 23:03:10 | 吉野修験雑記
 宗教は密教と顕教に分かれる。仏教・神道・キリスト教・ユダヤ教も大きくこの2つに区別出来る。その中で、密教は霊学・イメージ法・言霊の3つが骨子である。招霊も密教に属し、この3つを活用している。先祖供養は招霊でも比較的簡単な部類である。何故なら補助霊に先祖霊は誰にでも憑いているし、先祖も供養を望んでいるからである。また先祖供養で霊と交信がうまく出来るようになると、今度はもっと高度な霊との交信も可能になる。基本は先祖供養にあるし、霊との交信の初級の勉強にもなる。逆もまたしかり。先祖供養が出来ていないと、いかに霊験あらたかな古社にお参りしても、霊験は少ないといわれている。高級霊の仲立ちは先祖霊等の守護霊から、社の眷族霊に。そして高級霊へと伝達されるからである。
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人間は憑依を常に受けている

2009-03-23 22:44:30 | 吉野修験雑記
 人間は常に憑依を受けている。特に子供は受けやすい。俺は実家に帰り祭祀を行うとやたらと眠くなる。霊が入り込む感覚も祭祀をすると体感出来るよ。いい霊との交信は前額部に来るんだ。悪いのは背部が多いな。「ぐぐ」と入り込む感覚も分かるよ。急にいらいらしたりするのは低級霊の憑依だな。これら憑依はその時々の想念に比例している。だから六根を鎮める習慣は祭祀者には絶対必要だ。テレビで昔、偉そうに霊落としとかしてる行者は、人品が卑しく人相も悪相が多かった。神霊との交信は人間性一番問われる。鎮魂法とか自分で自分の心の制御が出来ない行者は最後には哀れな末路を送る。人生と一緒だよな。
いらいらしたり、気分が乗らない時は、先祖の祭祀は一時中断した方が良い。
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霊と交信しやすい先祖供養

2009-03-23 22:30:49 | 吉野修験雑記
 神仏を祭祀する前に先祖供養で交信する訓練が一番安心である。ただし横死した霊は難しいので、普通の先祖霊を祭祀する習慣が霊学の初歩として勉強になる。
例えば蝋燭の動きで、霊の心情も分かるし、祭祀者の背部や首のツボの痛みや体に寄りかかる感覚など、体感しないと絶対分からない。
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招霊はイメージ

2009-03-23 22:07:55 | 吉野修験雑記
 真言宗八祖の一人、善無畏三蔵は玄宗皇帝の命で雨乞いを即興で所望された。龍を呼ぶため、お椀に水を入れ小さな刀でそれをかき混ぜると、龍が躍り出て大雨・突風をもたらした。ここで思うのは簡単なイメージ出来る道具があれば、招霊は可能であると言うことである。これと同じように先祖の招霊はイメージが大切である。密教の瞑想法自体、殆どがイメージであり、祈祷も殆どがイメージである。

 想念から現実化への働きかけこそ密教の密教たる所以であり、無から有を生む原動力である。祈りは必ず現実化するし、物質(物)を引き寄せるし、霊魂も招きよせることが可能であると説いている。
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江原・下の両霊能者の先祖供養で十分

2009-03-23 08:44:44 | 先祖供養
 江原さんや下ヨシ子さんの先祖供養で十分。よく本を読んで実践すればおかしな教団に入会する必要もない。江原さんはより想念を重んじ、下さんは物質的なものにも比重がかかってるが、双方のいいところを咀嚼して供養すればいいだろう。そうすると不思議にも神道で言う、顕祭・幽祭の概念に行き着くことが分かる。神道も長い期間に霊能者とか輩出もしたであろうし長い期間を経て体系化されたんだろう。
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命日に呼ばれる

2009-03-22 21:50:43 | 先祖供養
 祭祀要求は不思議とある。過去帳の日にちと仏壇の前に坐らされるのがぴったり合ったりして。十分まごころが届くように供養するべきなんだと思うな。
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