俺自身、罪が解けるように感じたことが2回ある。その中の1回目はこれから先、どうにもこうにも分からない気分が23才の時訪れた。人生いくらがんばっても、何とも出来ん時がある。何を思って行ったのか今でも分からんが、冬の高野山に出向き宿坊に泊まった。2月の寒い時で雪が積もっていた。奥の院まで翌朝歩いた。大師廟の橋を渡る右側に地蔵とか観音さんが祭られているが、その手前にお不動さんのお堂がある。そこで若いお坊さんが護摩を焚いているんだな。思わず「何と尊いことか」と心の中で思い、心底神仏や僧侶への帰依の念がこみ上げて来た。この日は天気も良く、参道の両側にかけ分けられた雪が朝日に照らされて美しかった。兎に角三宝に帰依したかったんだ。その坊さんの背後に回り、俺は心からお不動さんとこの僧侶を敬い、拝んだんだ。すると今までの罪がスーッと解ける感覚があったんだな。俺は別に今まで生まれてから悪いことをしたつもりはないんだけど、前世で引きずってきた罪とかあるんだろうな。ほんと、罪が解ける感覚を味わった。それからかな「何とか生きていける」と確信したのは。
世にお不動さんとか帰依三宝の霊験を軽んじる輩もいるが、正法への帰依は罪業消滅にも繋がるんだ。また僧侶も民衆救済の役割があることを十分理解して貰いたいな。
世にお不動さんとか帰依三宝の霊験を軽んじる輩もいるが、正法への帰依は罪業消滅にも繋がるんだ。また僧侶も民衆救済の役割があることを十分理解して貰いたいな。