写真は石井式漢字教育を実践している梅島幼稚園の例です。購入したSAPIOの記事より借用しました
・この石井式漢字教育では「漢字を教える教育」から「漢字で教える教育」への転換を勧めています。これは本来漢字で書くべき語は漢字表記をして教えるということです。
・たとえば論語は当時の人の生きる智恵を言葉の結晶にしたもの。
音読は、脳の働きを活発にするといわれています。論語はその特長ある文体が、文の意味が分からない幼児でも暗誦できるようになります。
・産経新聞社論説委員・塩原経央氏執筆の記事によると「国語政策・幼稚園児に「論語」まで読ませる石井式漢字教育の勧め」も掲載され、「文科省は国語劣化政策をいますぐ改めよ」と訴えている。
①その第一は、おもに耳を通してのみ言葉を教えていることです。
大脳生理学の発達でわかってきたことの一つに、耳より目のほうが知識を吸収する上で大きな役割を果たす、ということです。実験の結果では、その割合は耳の11%に対し、目は83%と、大幅な差となっていることが確められています。
また、人間の記憶力は、O~3歳をピークに7~8歳頃までがもっとも高く、言葉の教育はこの時期をおいてほかにないことも、常識となってきました。とともに、子供が目と耳の両方をはたらかせて学習すると、意識が常に一つのことに集中します。ですから、この時間をしだいに長く持続するようにすると、非常に高い集中力が身につくこともわかってきました。
☆記憶力には2種類有ります。
・機械的記銘
幼児期O~3歳が最も高く、丸暗記力とも言う。興味がわけば、何でも即座に記憶してしまう能力。漢字は意味のある言葉(語)なので、幼児の注意や関心を引き、また複雑な形をしているので記憶の手がかりが多く、幼児にとってやさしい。
・論理的記銘
8~9歳くらいから次第に育つ能力。ものごとを論理的、体系的に理解し、認識する能力。
先に手掛かりとなる記憶の骨格が出来るということだと思います。
②まず読みかたから教える。
・読みと書きは時期をずらして学習するのが自然。日本語の教育で、第二のまちがいは、読み書き同時教育です。
「読める字はすべて書けなければいけない」「漢字はひらがなよりむずかしい」という固定観念がわざわいし、漢字を教える時期を逸してしまっています。記憶する能力が低下する9歳頃から、つめこむ教育というものは、今日の小学校教育の根源的な誤りの一つと言っても過言ではありません。
・そのマイナス面として、先生の話しが理解できない、教科書の内容がつかめない―。これでは授業を進める上で、致命的です。落ちこぼれの第一段階は、国語力(漢字力)があるかないかで決まるのです。
・石井方式漢字教育の特色は、読み書き分離教育です。私どもの教育実践の結果からは、幼児にとって、書くことは読むことにくらべて、たいへん難しいことがわかっています。また、書く場合も、曲線の多いひらがなよりも、直線の多いカタカナや漢字のほうがやさしい、ということが明らかです。
・結論から申しますと、幼児にはまず読みかたを先に教えます。そして、自然に頭の中にその字の図形が浮かんでくるようになってから(図形認識)、字を書かせます。こうすると、短時間できれいな字が書けるようになります。
③すぐれた文章をたくさん読む 。
・第三のまちがいは、聞く力と話す力を重視し、読む力をないがしろにしたことです。読む力(漢字力といっても言いすぎではありません)は聞く力、話す力、書く力の基礎と考えて良いのです。まず読めることがたいせつです。 読める字すべてが書けなくとも、辞書があれば用は足ります。しかし読む力がなかったら大変です。新聞や本の内容も良くわからず、人の話しも正確に理解できません。また、自分の考えを正しく人に伝えることもうまくいきません。
すぐれた文章をたくさん読むことによって、自然に文章力がつき、話す力や聞く力が育つことは、周知のことではないでしょうか。
◆以上の現実をふまえ彼はこういっています
・こうしてみると漢字はひらがなよりやさしい。
かなは聴覚言語漢字は視覚言語なのです
漢字は一見複雑そうですが、それ故に識別しやすいのです。そして具体的な意味や内容を表わしていますから、幼児には絵を見るのと同じように理解されるわけです。つまり、“目”で理解する言葉(視覚言語)が漢字なのです。
一方、ひらがなやカタカナは抽象的で、一字一字には何の意味もありません。つまりは、耳で理解する言葉(聴覚書語)というわけです。 ですから、機械的に言葉を記憶する能力の盛んな幼児には、意味のないひらがなやカタカナより、漢字の方がずっと、憶えやすくて、興味のもちやすい文字ということになります。
・幼児期にこそ漢字教育が必要になる
日本語ではこの読書力の基礎となるのが漢字力なのです。漢字がよく読めることを前提とした、十分な国語力があれば、それを柱にものごとを理解する確かな基礎能力が身につき、算数や社会科、その他あらゆる教科の学習がスムーズになります。
・日本語は、音声で「はな」と言っても「花」もあれば「鼻」もあり、「はし」と言っても「橋」もあれば「箸」のあるように、世界で一番「同音異語」の多い言語です。したがって、幼児に言葉を教えるときに、口から発する瞬間に消えてしまう音声で教えるよりも、「目で見える言葉」、「一字で一つの言葉を的確に表す文字」=漢字を使って教えれば、正しい言葉を効率よく教えることができます。
・言葉は思考の土台になる
言葉を頭にたくわえ、その語意を理解し、ものごとの概念を正しく認識することが必要なのです。そして、この土台があってはじめて、思考力が育ち向上するのです。言い方を換えれば、ものごとの概念が深く、正確に認識され、かつその順序だてが緻密であればあるほど、比例して理解力や思考力は高くなります。
◆子どものときほど素直に理解力や思考力の骨格の手掛かりとなる記憶を学ぶいや真似ぶ時なのだと思います。
この教育方法は実は江戸時代までは当たり前のように寺子屋・藩校で行われていた伝統的な教育です。以下はその参考ブログです
・江戸の教育を探る-1-寺子屋の歴史と意義
・江戸の教育を探る-2-寺子屋のカリキュラム
・江戸の教育を探る-3-驚くべき教育水準
・この石井式漢字教育では「漢字を教える教育」から「漢字で教える教育」への転換を勧めています。これは本来漢字で書くべき語は漢字表記をして教えるということです。
・たとえば論語は当時の人の生きる智恵を言葉の結晶にしたもの。
音読は、脳の働きを活発にするといわれています。論語はその特長ある文体が、文の意味が分からない幼児でも暗誦できるようになります。
・産経新聞社論説委員・塩原経央氏執筆の記事によると「国語政策・幼稚園児に「論語」まで読ませる石井式漢字教育の勧め」も掲載され、「文科省は国語劣化政策をいますぐ改めよ」と訴えている。
①その第一は、おもに耳を通してのみ言葉を教えていることです。
大脳生理学の発達でわかってきたことの一つに、耳より目のほうが知識を吸収する上で大きな役割を果たす、ということです。実験の結果では、その割合は耳の11%に対し、目は83%と、大幅な差となっていることが確められています。
また、人間の記憶力は、O~3歳をピークに7~8歳頃までがもっとも高く、言葉の教育はこの時期をおいてほかにないことも、常識となってきました。とともに、子供が目と耳の両方をはたらかせて学習すると、意識が常に一つのことに集中します。ですから、この時間をしだいに長く持続するようにすると、非常に高い集中力が身につくこともわかってきました。
☆記憶力には2種類有ります。
・機械的記銘
幼児期O~3歳が最も高く、丸暗記力とも言う。興味がわけば、何でも即座に記憶してしまう能力。漢字は意味のある言葉(語)なので、幼児の注意や関心を引き、また複雑な形をしているので記憶の手がかりが多く、幼児にとってやさしい。
・論理的記銘
8~9歳くらいから次第に育つ能力。ものごとを論理的、体系的に理解し、認識する能力。
先に手掛かりとなる記憶の骨格が出来るということだと思います。
②まず読みかたから教える。
・読みと書きは時期をずらして学習するのが自然。日本語の教育で、第二のまちがいは、読み書き同時教育です。
「読める字はすべて書けなければいけない」「漢字はひらがなよりむずかしい」という固定観念がわざわいし、漢字を教える時期を逸してしまっています。記憶する能力が低下する9歳頃から、つめこむ教育というものは、今日の小学校教育の根源的な誤りの一つと言っても過言ではありません。
・そのマイナス面として、先生の話しが理解できない、教科書の内容がつかめない―。これでは授業を進める上で、致命的です。落ちこぼれの第一段階は、国語力(漢字力)があるかないかで決まるのです。
・石井方式漢字教育の特色は、読み書き分離教育です。私どもの教育実践の結果からは、幼児にとって、書くことは読むことにくらべて、たいへん難しいことがわかっています。また、書く場合も、曲線の多いひらがなよりも、直線の多いカタカナや漢字のほうがやさしい、ということが明らかです。
・結論から申しますと、幼児にはまず読みかたを先に教えます。そして、自然に頭の中にその字の図形が浮かんでくるようになってから(図形認識)、字を書かせます。こうすると、短時間できれいな字が書けるようになります。
③すぐれた文章をたくさん読む 。
・第三のまちがいは、聞く力と話す力を重視し、読む力をないがしろにしたことです。読む力(漢字力といっても言いすぎではありません)は聞く力、話す力、書く力の基礎と考えて良いのです。まず読めることがたいせつです。 読める字すべてが書けなくとも、辞書があれば用は足ります。しかし読む力がなかったら大変です。新聞や本の内容も良くわからず、人の話しも正確に理解できません。また、自分の考えを正しく人に伝えることもうまくいきません。
すぐれた文章をたくさん読むことによって、自然に文章力がつき、話す力や聞く力が育つことは、周知のことではないでしょうか。
◆以上の現実をふまえ彼はこういっています
・こうしてみると漢字はひらがなよりやさしい。
かなは聴覚言語漢字は視覚言語なのです
漢字は一見複雑そうですが、それ故に識別しやすいのです。そして具体的な意味や内容を表わしていますから、幼児には絵を見るのと同じように理解されるわけです。つまり、“目”で理解する言葉(視覚言語)が漢字なのです。
一方、ひらがなやカタカナは抽象的で、一字一字には何の意味もありません。つまりは、耳で理解する言葉(聴覚書語)というわけです。 ですから、機械的に言葉を記憶する能力の盛んな幼児には、意味のないひらがなやカタカナより、漢字の方がずっと、憶えやすくて、興味のもちやすい文字ということになります。
・幼児期にこそ漢字教育が必要になる
日本語ではこの読書力の基礎となるのが漢字力なのです。漢字がよく読めることを前提とした、十分な国語力があれば、それを柱にものごとを理解する確かな基礎能力が身につき、算数や社会科、その他あらゆる教科の学習がスムーズになります。
・日本語は、音声で「はな」と言っても「花」もあれば「鼻」もあり、「はし」と言っても「橋」もあれば「箸」のあるように、世界で一番「同音異語」の多い言語です。したがって、幼児に言葉を教えるときに、口から発する瞬間に消えてしまう音声で教えるよりも、「目で見える言葉」、「一字で一つの言葉を的確に表す文字」=漢字を使って教えれば、正しい言葉を効率よく教えることができます。
・言葉は思考の土台になる
言葉を頭にたくわえ、その語意を理解し、ものごとの概念を正しく認識することが必要なのです。そして、この土台があってはじめて、思考力が育ち向上するのです。言い方を換えれば、ものごとの概念が深く、正確に認識され、かつその順序だてが緻密であればあるほど、比例して理解力や思考力は高くなります。
◆子どものときほど素直に理解力や思考力の骨格の手掛かりとなる記憶を学ぶいや真似ぶ時なのだと思います。
この教育方法は実は江戸時代までは当たり前のように寺子屋・藩校で行われていた伝統的な教育です。以下はその参考ブログです
・江戸の教育を探る-1-寺子屋の歴史と意義
・江戸の教育を探る-2-寺子屋のカリキュラム
・江戸の教育を探る-3-驚くべき教育水準
>耳より目のほうが知識を吸収する上で大きな役割を果たす、ということです。
確かにそうだと思います。音読したほうが頭にのこりやすいですし。聞いたことの方が頭にのこってるし。
また
>言葉は思考の土台になる
というのも納得ですね。考えるときは言葉をつかってますし。
今からでも論語を勉強しようかな