友達から来た「企業家精神」の中で、こんな言葉がありました。
誰かのために汗を流す。 それが成功への道
誰かのために涙を流す。 それが幸せへの道
自分を分かってくれないという人ほど
相手を分かろうとしていない
人との接し方、人への優しさ、物事の考え方や捉え方を示唆してくれています。
今日は、資料作り。 明日から会議と打合せが続く。
よく考えたら、仕事をさせられてないから楽しく仕事をしている。
どこからOFFでどこからONなのか分からない日常。 でも不満は無い。
友達から来た「企業家精神」の中で、こんな言葉がありました。
誰かのために汗を流す。 それが成功への道
誰かのために涙を流す。 それが幸せへの道
自分を分かってくれないという人ほど
相手を分かろうとしていない
人との接し方、人への優しさ、物事の考え方や捉え方を示唆してくれています。
今日は、資料作り。 明日から会議と打合せが続く。
よく考えたら、仕事をさせられてないから楽しく仕事をしている。
どこからOFFでどこからONなのか分からない日常。 でも不満は無い。
2月3日は節分。
明日からは立春。 旧暦では1年の始まり。
国税局の宿題がまだ出来てない。
ITに関する運用支援を費用に上げていたのだが、資産ではないのかと指摘され。
反論材料を用意しないと。
昨日は、金曜日の夜から行った宮崎からの出張から帰り、今日はちょっとグロッキー。
今も目はうつろでブログを書いています。
関東は雪でマヒか。 明日も寒いだろうね。 2月も楽しくやっていこう。
戊子(つちのえね) ねずみ年か
子は、陰陽五行でいえば「水」の「陽」、方位は「北」、季節は「冬」、意味は「ふえる」。 四神である北の「玄武」が守り、四天王のうち武神・守護神として『毘沙門天』が守る。
八卦でいえば「坎(かん)」、意味は「中に何かある」と捉え、重症・困難を示す。事の終盤を向かえ事の始まりを意味しているのかもしれません。<o:p></o:p>
戊は、五行でいえば「土」の「陽」、万物を育む土が集まった山や丘を象徴し、意味は「茂る」。
昨年は、「偽」で象徴され、色々な事が暴かれ壊され出直される一年でした。今年は、将来に渡って暖かい陽射しを感じるために一から準備する年になりそうですね。
この物質世界に与えられた「引き寄せの力」は、すべての人に平等に与えられているといいます。 いい思考とイメージが素晴らしいものを必ず与えてくれると信じて、今年も健康にがんばって行きましょう。
節分には早いですが、福徳を司る吉神である歳徳神がいる今年の恵方、南南東の少し南よりを向いて餅をほおばりますか。
今年も一年よろしくお願いします。
今“チーム”といわれるのもが熱い。
現在TV放映中の『医龍』。 チーム・メディカル・ドラゴン。
責任感のある医者として素晴らしい仲間に囲まれ、患者を手術によって救う外科“チーム”として十分なる力を発揮する。
人間味のあるプロの仕事人集団って感じですか。 嵌っています。
それに韓国戦で見た星野ジャパンの団結力と、各々の選手がプロとして自分の仕事を全うする姿。
感動しましたよね。
それに、記者から「会社を強くするには、組織を強くすることが先か、個人を強くすることが先か?」と聞かれたゴーン社長。
むっとして記者へ一言、「一人ひとりが弱くて強い組織が作れますか? 一人ひとりが強くないと組織は強くなれないでしょう。」と。
確実な成果を出すためには、仕事として考えると、クラブ活動でないかぎり「がんばったね」だけでは済ませられません。
そこには、「責任」が付いて回ります。
つまり成果(結果責任)です。
それを考えると、個々にパフォーマンスを持った個人が、“チーム”としてまとまると、凄いことをやってのけるのです。
来年は、“チーム”がキーワードになるでしょう。
誕生日の今日、いい話に出会う。 本屋での立ち読みに偶然出会い、友達からのメールでも偶然紹介された。
「燃える心で言葉と出会う」 同じ話を聞いても、その受け手の心構えで、 得るものはまったく変わってくるものです。
1960年代に、京都で松下幸之助氏が、数百人の経営者たちの集まりで講演をしました。 講演のテーマは、松下の持論である「ダム式経営」でした。
「ダムがいつも一定の水量で満たされているように、われわれも、人材も資金も蓄えを持って事業を経営していなければならない」という話です。
質疑応答の際、聴衆の1人が質問しました。 「ダム式経営をしたいのは山々だ。
しかし、自分には、余分な資金がない。 どうやってダム(蓄え)を作れば良いのか秘訣を教えてもらえないか」 と尋ねたのです。
松下氏は、じっと考えて言いました。「わたしにも、それは分かりませんなぁ」 その後、「しかし」と氏は続けました。
「まず、ダムを作ろうと思わんと、あきまへんのや」失笑が会場をおおいました。
「思うだけでできたら世話はない」 「馬鹿にするんじゃない」 と腹を立てた人もいたでしょう。 「せっかく話を聞きに来たのに損をした」 と失望した経営者もいたでしょう。
ところが、その中でただ一人、まっすぐに、燃えるような眼差しで松下氏を見つめる青年がいました。
「そうか。まず思わないとあかんのか・・・」松下氏の言葉にいたく感動していたのです。 それは、京セラを創業して間もない二十代の稲盛和夫氏です。
松下氏にしてみれば、 「自分には金がない。どうすればいいか、方法を教えくれ」 というような質問を受けたとき、次のような気持ちだったのかもしれません。ダム(蓄え)をつくる方法は、いろいろある。
その人の、個性にあったやり方があるので、「ただ、こうすれば良い」と一律に教えられるものではない。 私だって、何も蓄えがないところからスタートした。 うまくいく方法は知らなかったから、汗水たらし、知恵を絞り、試行錯誤でやってきた。 皆さんも、いいと思ったら自分からやってみる姿勢が大切だ。 そのためには、まず「やってみようと思う」こと。 「強い信念をもつ」こと。 それが、まず何よりも大切なのだ。
松下幸之助という稀代の名経営者の心中は後に名経営者となる稲盛青年だからこそ受けとめられたのかしれません。
ともかく、このとき稲盛和夫氏は、他の人が失笑した松下幸之助の言葉を聞いて、脊髄に火がついたように感動で心を燃やしました。 その火が彼の信念となりました。
京セラの創業時、セラミック製造の作業は、汚い、厳しい、きついの3Kでした。 深夜作業を終えると、うんざりした若い社員とともにラーメンをすすりながら、稲盛氏は信念をもって熱く語りました。 「いま自分たちがやっていることは、世界の誰もやっていないことだ。しかし、やろうと思えば必ずできるんだ」 松下氏から受け継いだ稲盛氏の信念は、その後、会社を大躍進させる原動力となり、現在に至っています。
自分の心構えいかんによって、言葉は宝になります。 心を燃やす原動力になります。 そして、生きていく信念になるのです。
11月に入り、この霜月はブログにどうもテンションが上がらない。
取り立てて載せられる画像も無いし、仕事も手一杯だし、合間の休みはゴルフのお付き合い。
10月と違い海の水は冷たくなるし、風も強くなってきた。
いつも11月になるとサーフィンは休眠状態。
12月初旬の誕生日には、恒例の体力検査で海にくりだす。
玄界灘はここからがいい。 うねりの波と、水も透明度が増してくる。
こんなときは、静かに考える仕事がしたい。
1日でもいいから明日は、次の案と構想をまとめてみよう。
僅かでも一つの事に集中を傾けると次の集中に繋がる。
連続技がかけれない時は、一発必殺で行くしかないか。
下半期の始まりである10月1日。
50年前の今日、5000円札(聖徳太子)が発行される。
へえ、ちょうどきりが良くて、そうなんだと。
40年前の今日、TVで「ウルトラセブン」の放送開始。
そして、ラジオ深夜放送の「オールナイト日本」の放送開始。
どちらも今のおじさんたちには原点かもしれないね。
ウルトラセブン
テレビで怪獣映画の始まりといえば「ウルトラQ」なのかもしれないが、「ウルトラセブン」は僕たちのヒーローなんだもんね。
長男 ゾフィー
次男 ウルトラマン
三男 ウルトラセブン
四男 ウルトラマンジャック(帰ってきたウルトラマン)
五男 ウルトラマンA
六男 ウルトラマンタロウ
七男 ウルトラマンレオ
八男 アストラ
九男 ウルトラマン80
十男 ウルトラマンメビウス
こんなにも兄弟がいるなんて。
しかし「ウルトラの父」と「ウルトラの母」の実子はウルトラマンタロウだけで、ウルトラ兄弟には血縁関係はないそうだ。
その中でもウルトラセブンの亡き母親は、ウルトラの母の姉である。
それじゃ他の兄弟は誓いを立てた義兄弟ということになるが、変な話だと思ったね。子供心に。(それが分かったときはずいぶん大きくなってたけど)
ウルトラ戦士だとかウルトラ兄弟だとかこんがらがっちゃうので、やはりウルトラ一族と呼んだ方がいいのかもしれないね。
ウルトラマンの父親は宇宙保安庁長官で、母親はウルトラ学校の先生。
本人は、宇宙大学の先生で宇宙警備隊銀河系局長というから凄い。
ウルトラマンはハヤタ隊員がベータカプセルを使って変身するのが特徴だが、これには訳があるらしい。
ウルトラマンがベムラーを追って地球にやってきたとき、誤ってハヤタ隊員を乗せたビートルに激突して死なせてしまったのだ。
これを責任を感じ申し訳ないと心優しいウルトラマンがハヤタと一心同体になって地球の平和のために戦うというもの。ちょっと考えるとオカルト的だけど、未知の戦士ウルトラマンだから「いいか」とも思ってしまう。
なんたって2万歳だからね。 ウルトラの父は16万歳ていうからほとんど神の領域だもん。
ウルトラマンは5000年前も地球の古代都市を救ったという伝説もあるそうだ。もっと知りたくなってきました、ウルトラマンのことが。
オールナイトニッポン
これは言わずもがな今も続く人気番組。
受験生にとっては忘れられない番組なのです。これについては団塊の世代のオジサンから僕たちの世代、それに今の世代にも受け継がれているものがあるかもしれないけれど、FM放送は今のようなバラエティーさは無かったし、学生にとってCDやラジカセ、ましてや今時のi-podや携帯ダウンサイトも無い時代に生きてた人には、これしか音楽番組と言えるものがなかったのです。
最初のファンは、現在55歳から60歳くらいの方々かな。
番組定着した次の世代が、50歳から54歳くらい?
70年代に世の中、コンパクトカセットなるものが記録媒体として登場してから、ラジカセなど爆発的に音楽を録音するようになったのね。
今では化石のようになってしまった「カセット」。
昔、自分の声と歌を録音して彼女に送ったことを思い出す。今ではどうなったんでしょうね。 聞く術もないでしょうが。
とにかく、ウルトラマンのように平和を愛し力強く、オールナイトニッポンのように歌を愛し粘り強く、がんばりましょう。
今回の夏の甲子園大会は、素晴らしかった。
佐賀の普通の県立高校である佐賀北高校が優勝をさらう。
佐賀県人ではない僕も久しぶりに応援してしまった。
以前、武田鉄矢が佐賀県についてこんなことを言っていた。
「佐賀県は、長崎県と福岡県の間にある非武装中立地帯みたいなものかな」と。
九州の中でもこれといって有名な観光地やお祭りがない。
有名人も今では「がばいばあちゃん」とお笑い芸人「はなわ」がいるくらいで、吉野ヶ里遺跡も世界バルーン大会も朝鮮出兵の名護屋城もイマイチ知られていない。
そんな中で今回は佐賀旋風が吹き荒れたのだ。
佐賀というと『葉隠』を思い出す。
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は余りに有名。
太平洋戦争中の軍隊教育に利用され、 玉砕や自決を推奨する理由にもなった事実もあり、戦後は軍国主義を推奨した悪書として理解されていた事もあった。
この部分だけ取り出して武士道精神と曲解され解釈されている事が多い。
しかし、葉隠は、武士道のマニュアル本で立ち振舞いからゲイ(衆道)の処し方まで書いてあるような、今で言う「いい男であるために」的なものであったようだ。 鍋島家初代藩主を模範に書いたそうだ。
佐賀鍋島藩というと「肥前の妖怪」、鍋島閑叟(かんそう)を思い出す。
佐賀藩を東洋一の軍事力を持つに至らせたが、激動の中央政界では、幕府、朝廷、公武合体派のいずれとも均等に距離を置き、政治力・軍事力ともに行使しなかったためにと警戒されてそう呼ばれた。
保守的な葉隠の風土の中で、勉学と武芸と工業技術には先進的だった。
しかし、閑叟は外には控えめなれど内なる情熱はあつく癇癪持ちであったそうだ。考え方も先進的だったようだが、どうもネクラだったのかもしれない。
それにしても、明治維新で佐賀は出遅れた。
遅れて新政府側についたが、五稜郭の戦まで戦功があり、閑叟が出しゃばりであれば、今どき薩長ではなく佐賀薩長になっていたかもしれない。
安倍首相よりも「はなわ」首相だったかもしれないのだ。
閑叟は明治4年に死去。ついてない。しかし、人材は多く育てている。
こんな佐賀の歴史の中で今回の佐賀北の快挙と明るさはなんなのだろう。
知り合いにも佐賀北出身者が二人いるので今度聞いてみよう。
学生スポーツはかくあるべきと思う佐賀北ナインの優勝である。
勉学とスポーツを両立させてこそ青春の醍醐味があるかもしれない。
それは、前述した武士道の精神にも通じるような気がする。
気がついたらお盆の一週間はとうに過ぎていた。
休みと仕事を織り交ぜ、なんだかとりとめも無い8日間でした。
何処へ行くともなく、イベントをこなすこともなく、仕事をはかどらせることもなく、
目的を見出せないまま散発的に休日を挟むと、後から考えるとどうもよくない。充実感が欠けているのである。
何故かお盆の週は毎年こうだ。
ご先祖様を敬ったあとはついついのんびりしてしまう。せっかくのこの一週間と思いどこかへ旅立つとしても人の多さに面食らうし、
友達を誘って遊ぶという年でもないな。
家族なんぞもってのほか。 各自予定は詰まっている。
今年は、夏の甲子園大会を結構見る機会があった。
それも広島の広陵高校と佐賀の佐賀北高校の試合を偶然何試合か見たのだ。
その2校が明日の決勝戦を戦うとは。
どちらも素晴らしいチームである。
広陵のピッチャー野村君は、憎らしいほどテンポがいい。
東福岡高校との試合は、馬鹿にしてるのかというくらいサインなしでポンポン投げる。
佐賀北のピッチャー馬場君は、軟投派でクレバーな感じ。
押さえの久保君は、なんで佐賀のお笑い芸人“はなわ”が高校生してるの?と思ったくらい良く似ている。それにしても無失点男、なかなか点はとられないのだ。
彼らは甲子園出場2回目。今回1回戦で初勝利だった。それが決勝戦までいくとは。
無欲な彼らは、野球を楽しんでいる。キャプテン自らも決勝戦を楽しみたいと言っていた。
無欲の中で純粋に野球を楽しむ気持ち、失うものがない佐賀北の諸君はことのほか強いかもしれないぞ。
最近の高校生はコメントに冷静さを感じる。ほんとにクレバーになったな。
しっかりとコメントの言える世代であるかもしれない。決勝戦は、接戦になるだろう。
佐賀北は序盤を最小失点に抑えることができれば久保でペースを作れる。
反対に、広陵はなんとか中盤までに3点以上先制したい。
どちらにせよ。攻守どちらも優れている。
久しぶりに楽しみな決勝戦だ。
夜は、サッカー日本代表の試合がある。
休みなので、スポーツ観戦三昧の一日を過ごしてみようかな。
今に始まったことじゃないけど、1週間が早い。 ひと月過ぎるのも。
1年なんぞもっと早い。
台風4号は各地に多くの被害をもたらしたようだ。
7月も半ば、これをきっかけにいきなり猛暑が訪れそうだね。
それでも夏はあっという間に過ぎてしまう。
暑さという点では、9月いっぱい夏といっても過言ではないが、
やはり海に裸で入れる時期が夏のような気がする。
そう考えると8月15日のお盆までかな。
それ以降は、くらげが出る。
くらげは、5月6月の産卵期に雨が多いと少ないのだが、今年の雨は7月からだから、
きっと多いのかもしれない。
異常気象であっても秋が訪れ冬も来る。
短い(?)夏をどうやって楽しもうか。
仕事が忙しいことを差っぴけば、僕にとっての夏は、数日かもしれないな。
よ~し。 秋はいっぱい波乗りしよう。
鈍った体鍛えなくては。 いい仕事もできないぞ。