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Today is a gift.

昨日はヒストリー、明日はミステリー、今日はギフト。
That’s why it’s called a present.

本 “チャンスがやってくる15の習慣”

2007年07月10日 23時21分49秒 | こだわり

先日の日曜日、仕事を早く切り上げて、久しぶりに得意の「立ち読み」へ大型書店へ行った。

北九州市の小倉にあるクエスト。
あいにく駐車場はいっぱい。
しかたなく黒崎のクエストへ。
ここにはよく立ち寄るのですが、かたっぱし乱読する僕を目のかたきにしている女性店員さんがいるのです。

この日は、20冊は読んでやろうと意気込み、仕事の調べごとから経済書をまずは手に取る。
速読なので本の正確な題名を覚えていないのがたまのキズだけど...。

調べごとは、来年度の決算から適用される「強制低価法」。
いくつかわからないことがある。 日本の上場企業は、全社低価法へ変更しなければならないが、その約8割が原価法を採用しているので、みんな大変だろう。
少なからずも利益の算出がシビアになる。
これもグローバルスタンダードの一環だろうが、次から次によくやってくれる。
システム担当兼新規案件担当なので、お役がまたまた回ってきた。

それは良いとして、2冊ほど買い込んでレジを離れるとき、下りエスカレータの横にある話題書のコーナーでこの本、「チャンスがやってくる15の習慣」を目にした。

読み易く、あっというまに終わりまでいったのですが、
「待てよ。 読み飛ばすだけではもったいないな。 ポイントを手帳に書こう」
そう思うほどうまくまとめられている。

確かにこの習慣を身につければ“人”とのコミュニケーションにおいて “いい人!” “信頼できる人!” “好感が持てる人!” と言われるだろう。
「でも待てよ? これでいいのか? そんな人になりたいのか?」 という疑問が湧いてきた。

だからこの本を買うことにした。

仕事仲間の協業先の社長さんへもこの本を紹介しよう。
「この本で紹介される習慣は確かに素晴らしいのですが、あなたの個性は今のままがあなたらしいのですから、そのつもりで読んでみてください。」 と。

「コミュニケーションの達人として期待される人物像」 と 「自分自身の愛すべき個性を見つめなおす」 いいきっかけになるのかもしれない。


バベルを観て

2007年05月26日 23時46分35秒 | こだわり

「バベル」

この映画は、映像と音を特殊な効果として利用している作品だ。
セリフより象徴的な実写映像の連続をそのリアルな音を織り交ぜ、見るものを時には引き込み、時には目を逸らさせる。
音は静寂であったり、叙情的な音楽であったり、乾いた発射音であったりする。
映像はどこかサブリミナルな効果を狙い、その音とあいまって感情のどん底を味合わせる。
あまりにも恣意的な映画だと思う。 もちろん映画は、どんな作品にも監督の意思が反映されているのだろうが、ここまで意図的に気分を落ち込ませなくともいいだろう。

物語は、「一人の善意」から「バベルの塔」のように螺旋状に因果していく。
登場人物に悪人はいない。 みなささやかな善人たちである。
ワールドワイドに展開されたストーリー。 よく考えられたものである。
不幸にも一人の少年の死があるのみで、エンドはハッピーに描かれている。
しかし、そこに展開されるドラマは、自分自身に起こる思いがけない出来事なのだ。
僕のブログタイトルにもなっているがその「些細なこと」から人の運命が変わって行く恐ろしさ。 これがバベルそのものだ。

そもそも「バベルの塔」は、『旧約聖書』の『創世記』に出てくる伝説上の巨大なである。
古代メソポタミアの中心都市であったバビロンにあったといわれ、古代メソポタミアに多くみられたジッグラトという階段状の建造物だとも言われている。
実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれる。
人はもともと一つの言葉を話していたが、神が、この塔によって全地のおもてから免れようとしたことを知って、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。 このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていったそうだ。

日本人が善意で与えたライフルが発端だった。 彼の妻は自殺し、その子供はコンプレックスを抱えた聾唖者で母親の死から立ち直っていない。
そのライフルがモロッコの放牧民の少年たちに渡り、兄を超えたい弟が自慢げに観光バスを狙う。 コヨーテを追い払い羊を守るために父から預かっているライフルなのである。
心に亀裂の入った旅する夫婦の片割れに偶然にも命中。 ガイドの善意で村の獣医が縫合。 国際的な問題となり救出に戸惑う。 夫は必死になり妻を助けようとする。 彼らは夫婦の溝をなんとか埋めようとしていただけである。
その夫婦の子供たちをあずかるメイドは、メキシコからの不法入国者。 メキシコにいる息子の結婚式に預け先の無い夫婦の子供たちを連れて尋ね、大宴会のあと、甥の車で国境を越える。 飲酒運転と不法入国を免れたい甥が強制突破。 砂漠に取り残されたメイドと子供たち。 彼女は彷徨ったのち逮捕され強制送還される。 

主人公すべてが、悪意を持った人たちではない。 むしろ善人ばかりである。
その「人」たちがひとつのいたづらから人生を翻弄されてしまう。 その些細なことからすべてが取り返しの効かないことへ追い込まれていくのだ。 

恐ろしいといえば恐ろしい。 人の運命はこうも容易く変わるのか。 いやそれよりも運命の意図を感じる。 
人は、運命という試練を用意されているのかもしれない。

 


バラの誘惑

2007年05月07日 23時33分22秒 | こだわり

お友達のブログから感動の記念に拝借してきた写真です。

ミスティーパープル
ブルー系のバラです。
はじめて見てそのエレガントさに魅了されちゃいました。

花の名前もほとんど知らなかった僕ですが、だんだん興味がわいてきました。
次は園芸と庭弄りに取り組もうかな。
そんな思いにしてくれる一品です。


車が来ました

2007年03月08日 22時35分12秒 | こだわり

今日、待ちに待った車がきました。

先月、フロントを潰された車検前の愛車オペル、ベクトラワゴン。
彼は、ほとんど悲鳴をあげるがごとく少しずつ故障していきました。
走行距離は20万キロ。そろそろお疲れ様と言ってあげましょう。
そう思い、ネットで探し始めたのです。

出会いは、埼玉に。
埼玉から福岡まで陸送費7万5千円を掛けてもこちらの相場より30万ほど安いのです。
その車は、トヨタ アベンシスワゴン。

トヨタの欧州戦略車です。イギリス工場で製作されました。
ドイツ車に長年乗っていましたが、その頑固さも少し感じられます。
乗った瞬間気に入ってしまいました。 あばたもえくぼですか。(笑)

初めての助手席に誰を乗せようか?
その助手席の人は、「けっこういいじゃん。高級感あるね。」と言ってくれました。

これから彼と大半を一緒に過ごすことになると思います。
きっと様々な想い出を作ってくれるでしょう。
僕らの足とはいえ、命と希望を少なからず担っているのですから。
これからよろしくです。


受験生

2006年12月12日 02時04分58秒 | こだわり

今日、家庭教師に行ってきた。

スーパー家庭教師のつもりが、ただのおせっかいオヤジだったかもしれない。
知り合いの娘さんで関東の国立大学を目指している。
文系で数学が不得意ということで、数Ⅰならなんとかなると思い意気込みで安請け合い。
すると、来年から数Ⅰ・数Aの1教科だけじゃなく、数Ⅱ・数Bも含めた2教科200点になったそうだ。
文系も大変である。 こう考えると、理系も文系もあまり変わらない。
理科と社会の違いだけみたいだ。

ところで話を戻すと、その娘さん、3時間じっくり問題を通しながら話していくと、
ほとんどが解けるのである。 200満点中150点は取りたいのだそうだ。
今日見た限りでは、160点は取れそうだ。
問題は、時間配分と自信を持つくらいのことだけだった。
「オジサンの方が自信過剰でした。申し訳ありません。」
そう言っても過言ではない。

彼女の賢さに比べ、自分の浅はかなことが、情けない。
少しの自慢は、時間を掛けたらほとんどの問題が今でも解けることだ。
覚えることが不得意で、勉強に時間をかけたくなかった学生時代。

数少ない定理や公式を覚え、そのいくつかを使うことで本質は何かを理解する。
その組み立てだけで解けてしまう。
後は、試験時間の制約の中で解くことだけだ。
時間がかかっても、理屈を知ると解けるのが数学のある意味簡単さと面白さだと思う。

それだけが伝わればいいと思い娘さんの家を後にした。


千秋楽

2006年11月26日 23時59分26秒 | こだわり

今日は千秋楽

横綱 朝青龍 が全勝優勝を飾りました。
予想通りの優勝。 まったく隙がなかったですね。

来年、頑張ってもらいたい力士たちを応援するためにも、
今回撮影できたとっておき写真を掲載します。

地元、福岡の星、“魁皇”関。 引退なんか考えずに頑張ってください。
「今場所、お疲れ様でした。」

もう一人の地元九州が生んだ暴れん坊。 千代大海関。
「来場所は頑張ってください。」


素質はあるのに相撲が小さくなっている、琴欧州関。
「なんか元気ないぞ。 来年は横綱へ挑戦してほしいです。」

それに土俵を沸かせるもう一人のパフォーマー。 北桜関
「あなたの時間前に見せる、手を突き上げ天から気を貰う動作、
それに制限時間いっぱいでの塩まきと気合の入れ方、好きです。」
「来場所は出直しですが、頑張りましょうね」

それではおやすみなさい。


画像ショットで垣間見る大相撲

2006年11月22日 22時44分42秒 | こだわり

大相撲の続きです。


中入り後の取り組み。 電光掲示板。



外国人力士。 入館を撮影です。 
バルト! ちょっと気合抜けてないか? 浮ついてる目でした。



高見盛は本当にロボット君、コマーシャルそのものでした。
今日も絶好調。 かなりの近眼君なんですね。 でも愛嬌があります。



負けて8勝2敗目となった無念 栃東。 引き上げていくときは、足を痛めた模様です。
今日はその影響もあったのか3敗目をきしてしまいました。



やはり最も輝いていたのが、東の一人横綱 朝青龍。
横綱 朝青龍 の集中力は誰をも上回るものでした。



そして、横綱の後ろ姿、堂々として惚れ惚れする輝きがありました。
肌艶も良く、綺麗な肌をしてました。 これがオーラでしょうね。



写真はいっぱい撮りましたが、このへんで。


おまけです。 虚ろな表情の貴乃花親方をどうぞ。 退屈そうでしたね。



大相撲 九州場所

2006年11月22日 02時24分51秒 | こだわり

九州場所 10日目

晩秋の晴れ間に叔父叔母を連れて枡席最前列へ
思い出に残る一日だった。

やはり実物の迫力は凄いものがある。
勝ち負けは体や表情へ如実に現れている。
そんな妙をうかがい知ることが出来た。

また、一瞬の気合と立会いが勝敗を分けることも知った。
若手の取り組みは、静の中で行われる。
息遣いが聞こえてこない。体のぶつかる音とすり足の音だけだ。
力士は力を出す瞬間は、息を止めていることに気づいた。
立会い後は、しばらくまったくと言っていいほど声を出していないのだ。

心・技・体 そのものなのである。

それにしても横綱、朝青龍の気合と横綱らしい姿の美しさには正直驚いた。
その圧倒的な強さはその輝きからもうかがい知れる。
日本人にも彼のような力強さを持った力士が育って欲しいものだ。


ヘアーカット

2006年10月29日 22時29分44秒 | こだわり

仕事帰りに髪を切りに行った。

後輩が親子で営んでいるヘアーサロンへ。
ここに行きだしてからかれこれ15年になるだろう。
彼は東京で修行し、カットの勉強のためイギリスへも留学した経歴がある。
腕は確かだ。 カットの時は髪を45度の角度で丁寧にハサミを入れる。
東京で修行した割には決して派手ではない。
直方の田舎でカットハウスを営むにはもったいないが。
学校で知り合った奥さんとともに親子仲良くやっている。

9月1日(金)に思うところあって、髪を短くしてから2ヶ月振りだ。
8月の末に心のショックがあり、ばっさりと昔に戻りたくなった。

1日は、年に2回ある社長へのシステムプレゼン。
部にとっても会社にとっても大事なポイント。
傷心の中でも変わるんだという強い心で切り抜けた。

2日(土)は、休みを取って、大きなうねりのあるビッグサイズの波に乗る。
その日はとても晴れて絶好のサーフィン日和だった。
自然と対峙し、「受けてみるか?」と言いたげな大波に久しぶり充実感を味わった。

3日(日)は、朝一再度海につかり、その後残した仕事を少しした。
4日(月)は、芥屋ゴルフクラブで仲間たちとゴルフに興じた。
久しぶりに90台前半でラウンドできた。昔は80台前半で回ることもしばしばだったが、向上心が無くなってから常に90台。
最近は、100の大たたきをすることもしばしばあった。

ささやかなターニングポイントだったのかもしれない。
何事も心の持ちよう。そう言いきかせながら頑張ってきた。

癒されない傷を抱えながら時間は流れ、またたくまに10月。
振り返ることも許さず時間だけが過ぎていく。
サラリーマン部長は感傷にふけるまもなく仕事をするしかない。

しかしながら人生も捨てたもんじゃない。
明らかに何かが変わりそうだ。そんな10月も終わろうとしている。
よし、髪を切りに行こう。今月内に。
僕は、注文を付けた。
「今日は短くするのは止めた。これからの秋・冬に備えて少し長めにするよ。」
彼は快くハサミを入れる。
カットされている自分が楽しそうだ。
カットされている自分の姿をもう一人の自分がかっこいいと言う。

最近のトレンドは、「可愛いという自分が可愛い」
「素敵という自分の姿を想像してそれを素敵という」
「かっこよくなったと思っている幸せそうな自分がまたかっこいい」
そんな自分現象。 僕も感じてしまった。

カット後、後輩に熱く語る自分がいる。
「今、どんな時代でどんなことが求められているか」
「顧客満足度100%とは何なのか」
「今の時代こそ“ことば”が大事、コピーが大事」
「その前に、商品の品質や技術の確かさが前提にある」ことなど。

散髪に理由は要らない。髪が伸びたかどうかだが。
しかし、そこに自分なりの想いと理由を足してみよう。

「付加価値」とはそんなものかもしれない。