只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

いつも“今”ばかりですね。

2016-11-23 09:56:21 | 日記

【幻想から“目覚める”とは思考癖が無いということです。】

ことわざ辞典を観てみました。
『明日ありと思う心の仇桜』

意味は、明日はどうなるかわからないという、
世の中や人生の無常を説いたことば。

正にそのとおりですね。その人生無常の中に入り
安住するのが“絶対安心”の境地 です。

昨日とか明日はどこを探してもありませんから、
“今この瞬間・無思考”に安住するだけです。

昨日とか明日は文字であり言葉ですから、
「昨日はあった、明日が在る」は幻想で存在しませんね。

ですから昨日のことや、明日の仕事のことを話すのは
幻想と言うことです。

このことは別にいい事でも悪い事でもありませんが、
そういったものは幻想と“自覚”していることで、
心配、不安、苦悩、恐れ等にならないということです。

もし、幻想と“自覚”していないと事実として捉えて、
除々に心配、不安、苦悩、恐れ等になるからです。

ですから、この“自覚”を完全完璧にするため
弛まぬ“只なる実践”の継続です。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


ただ縁に従って自然に模様される様子を法というのです。
 つまりその時その場の縁の様子です。しかも瞬時にその物は
 終わって無くなっている。無くなっているから、
 次の一瞬に縁に従ってどんな音も自由自在に出現しているでしょう。
 この留まらないが故に、あらゆる事が縁にしたがって現成し作用している。
 これを「空」とも法とも言い、又道とも言うのです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“今この瞬間・無思考”がその時その場の縁の様子ですね。

この世はまぎれもなく“縁と無常”です。
ここを理解すれば“何も無い”ということになりますね。

“何も無い”中に“縁”により雨になったり花が育ってきたりするのです。
そして晴れたり花が枯れたりするです。

この様に“今この瞬間”、“今この瞬間”と流れていくのが
“無常”です。

ですから生きたら死ぬのが当たり前です。
そして春になったら必ず雑草等の芽が誕生してきます。
生物も同じく“縁”により誕生してくるのです。

死があれば生になるのが当たり前です。
その繰り返しで“今”があり宇宙があるのですね。

生が無ければ死もありません、生があれば死があるということです。
そして死があるから生があるということです。

これは宇宙の仕組みであり“真の自分”の仕組みでもあり
“真実”ということです。

ですが、ここには思考がありませんから
何ひとつわかりません。

すべて『例え』ですので“只なる実践”の継続で
真実”を感じ取ってください。


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