私(自我)は潜在意識の中にいるのです。
それが何かにつけ、潜在意識から出てきて心を悩ますの
ですね。
それは幻想による執着からくるものです。
例えば、私(自我)の執着とは
・どうしても手放したくないものがあるから
・どうしても欲しくてたまらないものがあるから
・これは絶対に必要とするものがあるから
・これを手放したら終わりとするものがあるから
・これを失ったら生きていけないものがあるから
・これがなければ幸せにはなれないものがあるから
・これがなければ私ではないものがあるから
・これがなければ怖くてたまらないものがあるから
・これがあれば安心できるものがあるから
・これがあればすべてうまくいく
・これは絶対に手に入れなければいけない…etc
これらの幻想が無ければ、潜在意識の中は“空っぽ”で、
心は“自由自在”ということです。
ですから事実には幻想は無いのですから、頭の中に浮かび
上がってくるものはすべて幻の想いということです。
この元々無い幻想を、打ち消そうとやっているのが
“只なる実践”の持続です。
頭の中に浮かんで来る幻想を、念を相手にしないでスルー
するのです。
そのためにはどこからともなく出てくる幻想を、真剣に
見張り続けなければなりません。
根気のいることですが今、今、今と弛まぬ“実践”です。
それが何かにつけ、潜在意識から出てきて心を悩ますの
ですね。
それは幻想による執着からくるものです。
例えば、私(自我)の執着とは
・どうしても手放したくないものがあるから
・どうしても欲しくてたまらないものがあるから
・これは絶対に必要とするものがあるから
・これを手放したら終わりとするものがあるから
・これを失ったら生きていけないものがあるから
・これがなければ幸せにはなれないものがあるから
・これがなければ私ではないものがあるから
・これがなければ怖くてたまらないものがあるから
・これがあれば安心できるものがあるから
・これがあればすべてうまくいく
・これは絶対に手に入れなければいけない…etc
これらの幻想が無ければ、潜在意識の中は“空っぽ”で、
心は“自由自在”ということです。
ですから事実には幻想は無いのですから、頭の中に浮かび
上がってくるものはすべて幻の想いということです。
この元々無い幻想を、打ち消そうとやっているのが
“只なる実践”の持続です。
頭の中に浮かんで来る幻想を、念を相手にしないでスルー
するのです。
そのためにはどこからともなく出てくる幻想を、真剣に
見張り続けなければなりません。
根気のいることですが今、今、今と弛まぬ“実践”です。
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