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世界の総長ベーデン‐パウエル卿は、1857年2月22日イギリス、ロンドンで生まれた。生まれたときの名前は、ロバート・スティブンスン・スミス・パウエル。
パウエルというのは、B-Pのお父さんベーデン・パウエル教授の姓、スミスはお母さんヘンリエッタ・グレイス・パウエル夫人の旧姓だ。
B-Pが3歳の時、お父さんがなくなった。お母さんは、B-Pを始め7人の子供を抱え大変苦労した…
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パウエル夫人は子供達を熱愛した父でありかつ自分の夫をたたえ、その名を不滅のものにするため、姓を‘ベーデン・パウエル’に変えようと決意した。パウエル家の顧問弁護士、アーノルド氏はこのダブルネームが法的に認められるだろうと保証した。1869年9月21日、パウエル家の全員がベーデン・パウエルの姓になることが‘公に認知’された。
この新しい姓は、末息子を除いて心地よい響きであった。末息子のベーデン・ベーデン・パウエルは、ただその名前に我慢しなければならなかった。
その後間もなくベーデンとパウエルの間にハイフンがつけられ、事態はいく分改善された。今やファッショナブルなダブルネーム、ベーデン-パウエルのついた一家は、住所氏名録のPの項に二度と載ることはなかった。ベーデン-パウエル夫人が、友人や親類縁者達にこのダブルネーム使って名を呼んでもらうのに時間がかかったが、最終的には彼女のこの申し出に従うことになった。このことに関して彼女が非常に頑固だったので、一家の者たちはひやかし半分に彼女を「二つ苗字のおばあさん」と呼んだ。
そんなわけで、スティーブはロバート・スティブンソン・スミス・ベーデン-パウエルとなり、まもなく級友達から、そしてついには世界中の人々からB‐Pと略されて呼ばれることになったのである。』(ウィリアム・ヒルコート著「ベーデン‐パウエル 英雄の2つの生涯」p26)
B-Pのお母さんが、亡き夫の名を残すため、姓をパウエルからベーデン-パウエルに変えた。このときからB-Pは、ロバート・スティブンスン・スミス・ベーデン‐パウエルとなる。
B-Pは、BPとかB.P.と書くのは正しくない、「B‐(ハイホン)P」と書かなければならない。
もうわかっていると思うが、ベーデン-パウエルはそれひとつで「姓」あって、「名と姓」ではない。
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最近団会議や円卓会議で意見を言うと、「若いくせに生意気だ」とか「大人の考えがわかってない」とか「経験が浅いからダメだ」という風に、バッサリ切られて終わってしまいます。反論にも及ばないと言うことなのでしょうね。。。
もっと自分を磨かねばと思う一方、切り捨てるだけでなく話を聞いた上で「ここを直してみたら?」ということを教えていただけるとありがたいなと思ってしまいます。己に甘いですね、僕は(笑)。すみません、自分のブログに書くといろいろ問題が起こるので、こちらに愚痴らせていただきました。
ある点でどうして班が失敗したか、何をすべきであったかを確実に知っていた。そこでP班長はどうしただろう?すなわち、B君に次長という地位を与えて、彼の賢明さを善用したのである。』(「班長の手引き」から テキストは http://www.oge-tai.com/unibro01.html から引用)
僕の周りにもP班長みたいな方がいらっしゃれば、というのはゴーマンですよね(笑)。大学生という立場は、ホントに微妙です。かつ、「遊んでるだけで楽な身分だ」とカン違いされる一方で困ってしまいます。。。