それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

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『麦の会通信66(1991年11月24日)』…佐川和男死刑囚と田本竜也死刑囚のやりとり

2017-10-17 14:00:24 | 『麦の会』通信

 

死刑廃止団体『麦の会』が出していた会報。1991年11月24日発行。

 

上の可愛らしい絵は、佐川和夫死刑囚のオリジナルイラストです。

『麦の会通信』では、田本竜也死刑囚と、この佐川和夫氏の楽しいやりとりが、雰囲気を和ませている。

 

これは、1990年代当時の『麦の会』とか、死刑廃止運動に関わった方々しかよく知らないと思いますが(私も、良く知らない)、

獄中者同士とかで、色々、ゴタゴタやトラブルがあったみたいなんだよね。

その内容は書かない。

だって、死刑存置派だの差別主義者だのがここを読んだら、さっそく、ツイッターや大型掲示板等でネタにされるから(-"-;

 

佐川和男死刑囚に話戻します。

カワイイ字とイラストを描き、何やら、長髪で、LGBT(性的マイノリティ)だったかもしれないという佐川和男氏に、

私はかなり興味が出たので、「佐川和男」で検索してみたのだが…

悲しい情報がヒットした…

 

東アジア反日武装戦線を支援している『支援連』HPから、佐川和男死刑囚がどうなってしまったのかを知った。

以下、支援連HPより抜粋。

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12月27日、二人の死刑執行に抗議する

佐川さんは、大宮母子殺人事件(81年)で91年に死刑が確定。佐川さんも小野さんも事件からわずか1年で一審の死刑判決が出されています。確定前の佐川さんは、麦の会の会員であり獄中者組合の運営委員で、死刑廃止運動や対監獄闘争などに熱心に関わり、積極的に発言などもしていたそうです。ハイキングに行く男女が「死刑廃止への道はどちらですか」「この道をまっすぐに行けばいいのですよ」と会話しているほほえましい絵も描いています。

確定1年位前に書いた「守るべき者」という詩は集会で朗読されました。しかし、確定後、外部との交通が制限され、精神的に不安定になり、すっかり生きる意欲をなくしたようでした。

手紙も98年の夏以来途絶え、最近は「何もしたくない。再審請求も恩赦の出願もしたくない。今のままでいい」「死刑囚は外の人に手紙なんか書きたくないんだ」と言っていたそうです。「遺体は東拘にまかせる」と言わされたようで、家族の方は、東拘に逆らってまで、遺体を引き取る意志をなくしていたようでした。また、息子をこれ以上さらしものにしたくないとも思われたようで、結局、仲間内でのお別れ会はできず、ご家族と職員10人位で東拘内でお葬式が行われたとのことでした。

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佐川和夫氏は、1999年12月17日に、処刑されていた…というのは知ってはいたのだが…

私が悲しかったのは…

あんなに『麦の会』の会報で活発に発言し、カワイイイラストまで載せていた佐川氏が、

確定後は…最後は、誰とも連絡をとりたがらなくなり、気力を失った状態で処刑されてしまったということだ。

 

現在は、確定死刑囚でも、外部と連絡がとれたり、拘置所が認めている人に限りだが、

毎日、接見できるようになったらしいが…(全ての確定死刑囚がその待遇を得られているわけではないようですが…)

1990年代は、確定死刑囚の待遇は悲惨であったことがわかる。

 

 


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