それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

(その2)『麦の会通信68(1992年4月14日発行)』藤波芳夫死刑囚の生い立ち語り

2017-10-18 15:20:26 | 『麦の会』通信

(その1)から続く

日本死刑囚会議=『麦の会』の会報

1992年4月14日発行

ちなみに、この表紙は、永山則夫元支援者で元反省=共立運動メンバーの武田和夫氏が描いたものだそうです。

※反省=共立運動というのは、永山則夫支援団体の名称です。

 

以下、上の会報に載っていた、

藤波芳夫死刑囚の『生い立ちを振り返って』を載せます。

藤波氏は、2006年12月25日に死刑にされました。(75歳没。執行当時は立つことができず、車椅子による移動だったらしい)

 

 

 

【管理人より】

死刑存置派や、被害者や遺族のことをやたら盾にして、死刑にしろしろ騒ぐ人達は、

「獄中者は、すごく国から守られている!三食昼寝つきで!」と、テンプレで言いますが、

藤波死刑囚については、相当、獄中で、体調を崩して、さらに、相当酷い待遇を受けていたようです。

また、どのみち、拘置所では、労働したくてもできません。

拘置所の被収容者には制服は支給されませんので、獄中者は下着も私服も、ボロボロになるまで着ます。獄中者は金がないんだから、新しい服や下着を買えるわけがない。

刑期がついて、刑務所に入った場合は、制服を支給され労働ができますが、刑務所で三食昼寝つきはありえません。なんせ、毎日、労働させられますから。

 

 

 

 



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