開拓の村に現存する昔の建物「武井酒造」で行われた七草粥でのもてなしは、主婦らのボランテァによるものです。
正月の七草粥もこうした神への感謝と、新年を無事に迎えられたことへの慶びを込めた行事なのです。
それはまた正月のご馳走に疲れた胃腸を休めるのにもとても都合がよく、理屈に適ったものです。
冬の季節は青野菜が最も乏しいときです。
古代、歌に詠まれているように、昔の女達はさあ春だとばかり野に出掛け、寒さの中に頭を持ち上げた若菜(七草)を摘みながらおしゃべりを楽しみ、ビタミン不足も補ったのでしょう。
十五日に行なう小豆粥の行事も同じ意味です。
白い粥に緑の若葉、清々とした美しさの中に、しっかりした合理性も入っているのです。
日本人は今でも熱がでた、胃腸の調子が悪いと言えば粥に梅干というのが一般的ではないでしょうか。
米の澱粉質(糖分)を消化よく取ることで体の活性化を計るわけです。
関東で粥と言えば病人食と思われがちですが、関西では「京の白粥、大和の茶粥」「朝粥昼飛び夕雑炊」の諺があるように日常食でした。
サラッと炊いたアツアツの粥から米の味と香りをじっくり味わったのでしょう。
今でも二日酔の翌日に食べる朝粥は効果的な薬食です。
味は全く淡白で現代風のものではありませんが、贅沢をしている現代人には良い舌の刺激になりました。
御代わりをしてしまい・・・ご馳走様でした。
本日は、当村では「鏡開き」と「どんど焼」が行われます。
北海道→サハリン
写真・開拓の村 手作りの七草粥