2010年GW・北東北の旅・その13:白山神社能舞台
金色堂を出て旧覆堂に向かうと、佇む人がいた。
奥州路・奥の細道と言えばもちろん「芭蕉」、各地で沢山の句を詠んでいるが、平泉ではやはり「五月雨の 降のこしてや 光堂」であろう。句碑が側にあったはずだが、残念ながら見落としてしまった。光堂を後に今少し登ると最奥にあったのは白山神社、見所は国の重要文化財指定「能舞台」だった。
茅葺の寄棟屋根、屋根はあっても壁はない、冬の雪はかなりであろう環境で、いわば風雪に耐えて建っていた。
お決まりの松の背景や(“鏡板に描かれた老松”というそうな)橋掛かりなど、重文指定とあって重厚華麗と行って良いが、東京の「観世」「喜多」の能楽堂は若い頃何度か訪れたが、いずれも家屋内に設えていたので、これほどの規模を感じなかった。
白山神社、本殿・拝殿が能舞台の先に見えていたが、どうも素通りしたようだ。先に朱色の小さなお社の並んでいるのが目に入ってしまい、真っ直ぐそちらに行ってしまった!!今様に言えば“カワイィ~”お社、十二社ある。と言うことは、・・・干支が揃っていた。解説に、「自分の干支にお参りすると、・・・(ご利益)が有る。」というような意味のことが書いてあった??・・・よく読まなかったが、多分当たっているだろう。
下りにかかった所少し高見にお堂が、とりあえず画像を残したが、看板が片隅に写っていたが読んでいないのでこれは何?案内図では鐘楼とあったが、本堂脇にはもっと大きな立派な鐘楼があった。全山を一寺として、統率するための鐘なのか?アチコチ探したが、資料は見つからなかった。それはそれで良しとしよう!
何気なく撮したお堂の画像がかなりの数あるが、中尊寺には17か院の子院があるという。確かに登ってくる間に多くに立ち寄ってはいた。どれがどれやら、碑や幟、扁額が写し込んでないと???となるがさて・・・。
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