参道を挟んで対の石柱が立っている。「 将軍標」といわれるものらしい。
「将軍標」は朝鮮・韓国の村落に見られる境界標(道祖神)。天下大将軍・地下女将軍と男女の標が対になったものである。 ①村を守る守護神 ②村と村の境界の表示 ③寺の守護神などとwebサイトにあった。
3日文化の日、久し振りに抜けるような青空なので紅葉にはやや早いが少しはと、飯能市秩父御嶽神社へやって来た。急な石段を登り参拝して下りてきたが、まだ日は高く帰りながら寄り道をと考えてきた。前々から興味のあった地名「高麗」が近いので由来を調べてみた。昔(西暦6~700年代)に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人が住み着いた土地の一つがこの地であった。“句”の字を省いたのは由来があるらしいが、「高麗郡」として一つのコロニーをなしていた、とあった。正に高句麗そのものなのだ。寺の名は院号まで入れると「高麗山 聖天院 勝楽寺」真言宗智山派寺院である。
参道の先には「雷門」があった。傍らの由来書きにはハングル文字が併記されていた。今でも韓国・朝鮮とは縁があるようだ。
雷門には「風神」「雷神」の像が収められていた。伽藍守護のために、風水害または火災からの除難を目的とするもので浅草寺の雷門と提灯まで同じであった。関係は??由来は???
雷門を入ると石段があり上に中門が見えている。あの中は拝観料がいる。普段は有料施設はスルーするのだが、中を見ずには帰れない。
中に入ると正面には庭園とその右奥に書院と庫裡があった。いずれも真新しい。
庭園も見事に設えられていた。庫裏の脇に低い塀があり、その奥に建物がありもう一つ庭があった。客殿なのであろうか。
庭園の池の畔からはるか見上げると屋根が覗いている。本堂は丘の上にあるようだ。
本堂へ向かう階段下に阿弥陀堂があった。
・・・この項つづく
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