恵那・木曽路の旅 その6:この旅FIN
5月30日月曜日のこと、年に数回しかとらない臨時休業日を有効に使わなければならない。道の駅「きりら坂下」で昼食をとって国道19号線を塩尻へ向かった。昔の中山道も一部使っているのであろうが、自動車道は山から下りた川沿いを走り、市街地や集落はバイパスで避けているので信号も少なく淡々と走る。
「きりら坂下」の入り口は国道256号線にあるが、木曽川を越えるだけ、アプローチは19号線にあるので数に入れると19号線の道の駅はかなりの数になる。岐阜県境に「賤母」、長野県に入って「大桑」「木曽福島」「日義木曽駒高原」「木曽川源流の里 きそむら」「奈良井木曽の大橋」「木曽ならかわ」と続く。「道の駅」は国土交通省道路局の管轄であるからここまでは中部圏となり塩尻市に入ると東京からやって来た20号線と交わり関東圏となる。この先中山道は19号線として長野に向かうが、旧街道の中山道は和田・長門を通り佐久へ向かっていた。20号線を東京方面に向かい塩尻I.Cを通り過ぎ塩尻峠に向かうと「道の駅小坂田公園」がある。
まず立ち寄ったのが「賤母」であった。
どこか見たような雰囲気が漂っていた。馬籠、妻籠などの旧宿場町の町並みを模しているのではないか!!
べたべた貼られているポスターや看板をはずせば復元された宿場町の雰囲気に浸れるのに、何故に無粋な!・・・!
時間が足りない!全てに立ち寄ることは出来ないので「大桑」はスルーして「木曽福島」に入った。
ここも宿場の町並みであった。
木曽路といっても木曽の御嶽山が見える場所はそんなに多くはないと記されていた。そのスポットはこのウッドデッキ上にある。
が、有る筈・・・雲がなければ!!!
御嶽山を諦め次は「日義木曽駒高原」、何故か志摩市の海鮮市場が開設されていた。山の中で海の幸??旅行者相手ではないことは確か!山国の住民にとっては新鮮な海産物が何よりのごちそうであろうが、木曽町の交流自治体に志摩市が入っていたのでナルホドと納得!!
相変わらず古民家風が続くが、こちらはややモダンな「木曽川源流の里 きそむら」だが「きそむら」は何故か「木祖村」と書く。土産物、食事どころの「げんき屋」の由来は確かめられなかった。
新鳥居峠のトンネルを通り10分ほどで次の「奈良井木曽の大橋」に着いた。ここは二度目になるが他の道の駅と異なり土産店や物産館、食堂などはなくトイレとかなり広い広場とベンチくらいしかない。奈良井川にかかる木曽の大橋を渡り、中央本線の踏切を渡れば「奈良井宿」があり土産や食欲の欲求は満たされる・・・筈・・・?前回人混みの中を早々に逃げ出しているので、宿の中身様子は定かでない!
「奈良井宿」から先塩尻に続く19号線は奈良井川に沿って走っていることをこのレポートを纏めていて初めて知った。ずっと木曽川と思って・・・・!!!トホホ・・・。川の流れる方向が逆になっていることすら見ていなかった!注意力散漫!無事運転出来ているのが不思議に思える!
奈良井川は中央アルプス駒ヶ岳方面茶臼山辺りから流れ出し、松本で梓川と合わさり犀川となり、高瀬川とも合流して長野市辺りで千曲川にはいる。そして新潟県に入り信濃川と名を変え日本海に注ぐ。新鳥居トンネルを挟み車で十分程隔たっているだけの「きそむら」のある藪原駅から見える木曽川は太平洋に注ぎ、「奈良井宿」の木曽の大橋のかかる奈良井川は日本海に注ぐ、標高1,197mの鳥居峠のある木曽山脈が分水嶺となっているのか!!最もその又先権兵衛峠を越えると伊那谷となり、天竜川は再び太平洋の水系なのだ。
日暮れも近くなってきたので「木曽ならかわ」「小坂田公園」はスルーして塩尻I.Cから長野道へ、平日だから上限千円は適用されないが三週間前のGWのあの大渋滞もなく快適に中央道へ流入、またまた諏訪湖S.Aで夕食、その日も蓼科方面は雲の中だった。
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