指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

今日は、弟の誕生日

2012年09月20日 | Weblog
今日は弟の誕生日です。
私と弟は別段仲が悪いわけではないですが、弟は関西に住んでいるということもあり、
一年の中で会う事も殆どありません。
両親が高齢で、兄弟が一斉に実家に集まると、孫も連れてくるし疲れる、
ということもあり、正月や盆に集まる、ということもありません。
だから忘れているわけではないですが、特段意識しているわけでもないのが現状です。
でも誕生日が来ると、弟がいた、ということをやはり思い出します。
昨日ある人に、私は誕生日というのはその人の誕生を祝うのではなく、
その人の両親のためのお祝いだ、と言いました。
あるいは、自分が両親に感謝する日、だと。
私と弟は歳も近い、ということもあるのか、仲はとてもいいのですが、
よく喧嘩もしました。
生まれて来て、物心がついたときには弟がいたので、いる事が当たり前でしたが、
やはり離れていると、弟がいることを感謝する事があります。
もちろん、両親に、そして神にです。
人は自分で選んで生まれて来たのではなく、気づいたらこの世に居ます。
でもそれは両親が居たから、です。
それは当たり前のことだ、と思うでしょうが、当たり前すぎてそこを意識することも少ないとも思います。
だからせめて誕生日の時には両親に感謝しよう、と思っていますが、
今日は弟の誕生日。両親を感謝したいと思います。
 
私は、全ての人はこの世に生まれて来るべくして生まれて来た、
と常々思っています。
誰一人として、無駄に生まれて来ていない。
だって、現にそこに存在しているのですから。
でも一旦立ち止まって、なぜ自分がこの世に存在しているのか、
ということを考え始めると、自分の足下が急にぐらつく、
または足の下に暗い空間がわっ、と広がる、
そんな感覚になります。
なぜ、「自分」なのか。
「自分」が「他人」になる事はできませんが、
でも「自分」というのは一体なに??
と考えこんでしまうのです。
でも、どうしても考えがまとまらないときは、
「お父さん、お母さん、ありがとう」
と思う事にしています。
 
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世界最高峰の合唱

2012年09月19日 | Weblog
昨日、撮りためた中からスウェーデン放送合唱団演奏会の模様を聴きました。
2012年6月19日にオペラシティで行われたものです。
ヤン・サンドストレム作曲の「ヘラジカの歌」
は、さすがスウェーデン放送合唱団だな、と思わせる演奏でした。
曲が北欧という事もあり大平原を走り抜けるヘラジカが目に浮かんできました。
アンサンブル、バランス、声質、どれをとってもさすが一級品です。
フーゴ・アルヴェーン作曲の「夕べ」
も、同じくさすがの演奏です。
夕日が大地に沈んでいく様子が目に浮かびます。

他にスヴェン・ダーヴィッド・ヴィカンデル作曲「春の夕べ」、
スウェーデン民謡の「そして乙女は輪になって踊る」

言葉は全然わかりませんが、どれも北欧の大地、自然が目に浮かびます。

ホールで聴いた人は、そこが日本ではないという錯覚に陥ったのではないでしょうか。

さて、後半は「スモレンスキーを記念する夕べのミサ曲」となっていましたが、
要は、私が良く取り上げるセルゲイ・ラフマニノフの「晩祷」です。
これに関しては一見解を述べたいと思います。
ハーモニーや、アンサンブル、テクニックは抜群なんですが、
私には正直「晩祷」に聞こえませんでした。
理由は、まず、「演奏会」として歌っている、ということ。
私がミサ曲をやるときは、その曲が「祈り」である、ということを念頭において演奏しています。
美しい曲である、ということは当然間違いはないのですが、
美しさのみの表現だと、ミサ曲である、という本質から外れます。
指揮者の指揮ぶりは、演奏会のそれ、でした。

それから合唱団員が楽譜を見すぎている、ということ。
それまでの曲は楽譜は「チラ見」ですし、民謡は暗譜で歌っていました。
だから、表情も非常に豊かだったし、非常に訴えてくるものがありました。
楽譜を見ているから、といってアマチュアのコーラスの様にアンサンブルが崩れる、
ということはもちろん全くないのですが、
何か伝わってくる気持ちや、生命観のようなものが若干希薄に思いました。

それから教会スラブ語の意味をどこまで理解しているのか、
ということに若干疑問がある、という点。
もちろん、ヨーロッパの国ですので団員のほとんどがキリスト教徒だと思いますし、
その詩編の「教会スラブ語訳」なのですから意味は理解しているとは思いますが、
一語一語の伝わってくる意味の重さとか、深さに欠けているような気がしました。
発音はヨーロッパ人という事で、やはり日本人が発音するよりしっかりとした発音なんですが・・・

ということで、この公演模様からはたくさんの事を感じ、学ぶことができました。

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9月23日演奏会のお知らせ!

2012年09月18日 | Weblog
今度の日曜日に演奏会があります。
混声合唱団ショコラ むしの音コンサート
 
日時:2012年9月23日(日) 13:00開場 13:30開演
 

牛込箪笥区民ホール
東京都新宿区箪笥町15

都営大江戸線 牛込神楽坂 A1出口 徒歩1分
東京メトロ東西線 神楽坂 2番出口 徒歩10分
 
廣瀬量平作曲 混声合唱組曲「啄木による五つの函館のうた」
混声合唱のための「木下牧子アカペラ・コーラス・セレクション」
信長貴富編曲 混声合唱による美空ひばり作品集「川の流れのように」
 
信長貴富編曲 無伴奏混声合唱のための「アニソン・オールディーズ」
(友情出演:新都心男声&女声合唱団)
 


廣瀬量平さんの曲は、私の好きな啄木の詩を使った曲。
中には現代曲風に作られた曲もあり、5曲がそれぞれに強烈な個性を持っていて、
楽しめる一曲です。
木下牧子アカペラ・コーラス・セレクションは、以前にもやった谷川俊太郎作詩の「サッカーに寄せて」
のアカペラ版や、まど・みちお作詩の「うたを うたうとき」、「おんがく」など私の大好きなナンバーも含め、
抜粋で6曲やります。
美空ひばり作品集も、みなさんおなじみの曲ばかりを合唱にてお届けします。
以上、ショコラらしい選曲だと思います(笑)
 
それから、新都心女声合唱団&新都心男声合唱団の友情出演もあります。
演奏する曲は、信長貴富編曲の「アニソン・オールディーズ」から抜粋です。
これは、先に行われた白馬合唱祭で披露した曲で、ワンモアステージを勝ち取った曲です。
これに新たに「ゲゲゲの鬼太郎」を加えて演奏予定です。
 
いずれも気楽に楽しめる曲だと思いますので、ぜひお運び下さい!!
 
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有賀和朗展、開催

2012年09月17日 | Weblog
今日から私の敬愛する、有賀和朗画伯の個展が開催されます。
 
天の果実ー新たな共生の芸術をもとめてーvol.2
有賀和朗展
 
ギャルリー志門
中央区銀座6-13-7 新保ビル3F 03-3541-2511
今日から22日(土)まで
11:00~19:00(最終日16:00まで)
 
氏の画についてはこれまでもこのブログで何回も取り上げ来ましたが、
とにかくとても不思議な画です。
それは氏が画を描かれるときは、何かしらを対象に描くのではなく、
ロシア正教聖歌を聴きながら、頭に浮かんだ映像をキャンパスに写す、
という作業で描かれるので、氏曰く、
「脳みその中奥深くにある、生命の根源のようなもの」
を掘り出す作業をしていらっしゃるとか。
だから一見暗いですし、対象がハッキリしないものが多いので、
見た時にちょっと戸惑い、そしてその画を見ているうちに、
だんだん夢の中の世界に落ちていくような、
そんな感覚になり自分の視界がその画と一体化し、
まるで画の中に放り込まれたような、
孤独感というか、命そのものにさらされている、
という気持ちになります。
例えば、ブルックナーやショスタコービッチなどの音楽を聴くときは、
モーツアルトやハイドンを聴く気楽さで対することはできませんが、
氏の画を観る事も、何となくこれと似ている感じがします。
画に向かう時にある種の覚悟が必要、というか。
 
氏は画集も出されており、フジコ ヘミングさんのコメントなども入っていますが、
やはり画は本物を生で観るのが一番。
一気に生命感がなくなるので、私はガラス越しに観るのも嫌いで、
氏にその事を伝えたら激しく同意してくださいました。
だから今回の個展に出されている画の多くは、
ガラス張りではない、と思われますので、生の迫力が迫ってくると思います。
期間が6日しかないので、行ける時間にとにかく足を運びたいです。
今週来週と私も本番が続きますので、氏の画からエネルギーをもらい、
そしてインスピレーションをもらい自分の精神的なものの糧にしようと思います。
 
なお、要予約ですが、最終日にはシンポジウムも開催されるようです。
パネリスト/小泉晋弥(茨城大学教授・美術評論家)×有賀和朗 他
司会:西松典宏(元NHK日曜美術館プロデューサー)
日時:9月22日(土)16:00~18:00
テーマ:「共感(シンパシー)という力」
予約g-simon@bu.ii4u.or.jp または03-3541-2511
 
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小沢征爾/水戸室内管弦楽団

2012年09月16日 | Weblog
昨晩、録りためた番組から、今年の1月に行われた、
小沢征爾指揮、水戸室内管弦楽団の演奏会の模様を観ました。
この後小澤さんは指揮活動はされていないと思います。
松本の音楽祭にもお姿はあったそうですが、公演はひとつもなし。
来年の三月までは休止される宣言もなさっていますね。
 
さて、その公演の模様ですが、小澤さんの指揮ぶりは、病気を感じさせない、
とても溌剌とした、いつも通りの指揮ぶりだったと思います。
これが最後、というような気迫というか、悲壮感というか、決意のようなものもありませんでした。
楽章の間毎にちょっとだけ椅子に座られていましたが、
つまりやっぱり、いつも通り、という感じでした。
 
でもちょっと違和感があったのは、水戸室内管弦楽団の楽員。
明らかに、小澤さんに対して、「小澤さんのために」演奏をしていました。
と私は感じました。
もともと室内楽は演奏する自分達のためにやるもの、という感覚がつきまといますが、
この日の演奏はそういう感じでした。
終演後、予想通り「ブラヴォー」という声が出ていましたし、まあそういう内容の演奏だったろう、
とは思いますし、現場に居合わせた人の感慨もひとしおだったと思います。
でも正直なところ、演奏家の一人としてちょっと残念な演奏だったなぁ、
と私は思ってしまいました。
やはりプロである以上、お客様に対して演奏する、そして感動してもらうものだ、
と思っています。
私はこれまでも「演奏会の私物化」をする演奏家は数多く見てきましたが、
やはり私は、心から拍手する気になれませんでした。
自分がやりたい、という欲望のために演奏されたら、聴衆としては何か違和感を感じる、
と私は思っています。
だから今度のK-mio Chor もそうならない様に、細心の注意を払う必要がある、
と覚悟しています。
 
以前にギュンター ワントさんが最後に日本に来られた時に、幸いにも演奏会にいく事が出来ましたが、
その時は全く違う印象を持ちました。
舞台袖から指揮台に人が付き添って、一分以上かけて出て来られました。
これからブルックナーを指揮するのに、大丈夫だろうか、
と思ったのは私だけではないと思います。
しかし指揮棒を振り始めたら、そんな心配は一切無用だった、
と思うような演奏でした。
楽員も明らかに、「これが最後かもしれない」という気迫、覚悟を背負って、
ギュンター ワントさんのために演奏をしていましたが、
ギュンター ワントさんご本人がそれを許さない、
というオーラを出しておられました。
とにかく壮絶な演奏でした。
 
小澤さんが食道ガンの闘病生活から戻られ、
最初にチャイコフスキーの弦楽セレナーデを指揮される映像を見たのは昨年でした。
確か、松本音楽祭の時だったと思います。
あの指揮ぶりには確かに、壮絶感がありました。
出てくる一音一音に魂がありました。
それでギュンター ワントさんの事を思いだしたくらいです。
 
でも夕べ見た映像でも、昨年の映像でも、
音楽をやっていて良かった、音楽家でいられて良かった、
と思いはひしひしと伝わってきました。
「人間・小沢征爾」を感じました。
 
私もいろいろあって、音楽家をやめたい、と思う事はしばしばありますが、
あぁ、音楽をやっていられて幸せだなぁ、
と思えたら幸せだと思います。
 
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かけがいのない家族。

2012年09月15日 | Weblog
昨日珍しく、病院をハシゴしました。
といっても、一つは動物病院です。
私は鼻が悪く、アレルギーを抑制する薬や何やら、処方してもらっています。
昨日も抗生物質が一種類増えて、一日に飲む薬は12粒!
私は病院というところはあまり好きでなく、病院をいく日はオフ日と決めているのですが、
昨日はオフでしたし、予約を入れていたので先ずは自分の病院。
薬代を入れて4,320円でした。
私は国民健康保険加入者です。
正直、そんなに安いとは感じませんが、あちこちの病院を掛け持ちされている人にとっては、
月の出費のうちの結構な額を占めるのではないか・・・
と思います。
私は月に二回ここの病院へ行っています。
 
さて、動物病院に話題が移ります。
ウチの猫の、太郎君と花子ちゃんがお世話になっています。
先日花子ちゃんを初めて診てもらった時に、ノミとギョウ虫がいまして、
太郎君にも移っているかもしれない、ということで太郎君も診察してもらいました。
そして昨日は花子ちゃんの二回目の診察。
三種混合ワクチン接種と、ノミの薬の投与。
太郎君のも含め、家でつけるノミ用の薬をもらってきました。
以上で、9,360円。
太郎君は去勢手術をしましたが、その時の費用が約25,000円。
もちろん値段の問題ではないのですが、ペットとはいえ費用がかかるのは仕方ありません。
 
私が幼少の頃から飼って来た動物は結構あります。
もともと、実家が酪農、ということで動物に接するのは毎日の事でしたし、
動物は大好きでした。
一番最初に私が飼ったのは、やはりネコ。
行きつけの衣料品店で生まれたオスネコをもらってきました。
名前はヒロ君でした。
その後もそうですが、オスネコは去勢をしなければ何時の間にかいなくなりました。
次にフレンドという三毛のメス猫。
この子はその後たくさんの子を産みましたが、私がイヌをもらって来た後、ウチから姿を消しました。
ハツカネズミも飼いました。
でもフレンドがくわえてどこかに持っていってしまいました・・・
モルモットもウチで大分繁殖しました。
パンダウサギも繁殖しました。
イヌは東京に出てくるまでに四頭飼いました。
東京に出て来て最初に飼ったのは、結婚して飼い始めた雑種のイヌ。
離婚した時に人のうちにもらわれて、私が会いにいくと寂しがるので以来会ってませんが、
元気にしているようです。
子供ができて、ハムスターを数匹。
幼稚園でもらって来た金魚をきっかけに熱帯魚も飼いました。
それは今でも続いています。
インドシナウォータードラゴン、というトカゲも飼いました。
この子は生きたコウロギが餌なので、生きたコウロギを飼う事も余儀なくされました。
そういえば、市川の家では一時的にタヌキも飼いました。
子ダヌキを保護したのですが、保健所に連絡をしたら「元いた場所に戻して」
と言われました。
車のバンバン通る道に戻すことは忍びなかったので、夏まで飼育、
夏に小豆島に帰る時に連れて帰り、山へ放しました。
元気にしているでしょうか。
そして今のウチではネコが二匹、と熱帯魚というわけです。
動物達は心を癒してくれますし、生きる元気もくれます。
私にとってはかけがいのない存在です。
それはどんな命でも一緒です。
 
昔知り合いからこんな話を聞きました。
ある子供が飼っていたハムスターが具合が悪くなり病院へ連れて行きました。
先生が一目みて、これは助からないと思ったそうです。
そしてその子へひと言、
新しいの買った方が安いよ
本当かどうか知りませんが、ぜひ本当でない事を祈ります。

 
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K-mio Chor で目指したい事。

2012年09月14日 | Weblog

どうも、何人かと話していて、K-mio Chorに関しての誤解がある様ですので、
今一度釈明させていただきます。
私の発信方法が悪かったのか「相当高度な曲をやるため、相当高度な技術を要する」
ので、自分が参加しても足を引っ張る、とか、演奏会に参加させてもらえないんじゃないか、
という「誤解」がある様です。
 
そのために入会を躊躇している方がいらっしゃるとしたら、とても残念なことです。
 
高いレヴェルを目指す、ということはもちろんあるのですが、
単にそれを目指すだけでなく、ひと言で言えば今までになかった合唱団、
を作りたい、と思っています。
そう言われても却って分かりづらいかもしれませんが、
技術面を磨いていくのはある意味当たり前、として、
究極の表現方法、というのを目指していきたいのです。
皆が色々な意味で気持ちを一つにして、高い集中力で演奏をする、
「音楽」そのものにどれくらい向き合えるか、を目指していきたいのです。
もちろん私は日常的にそういう事を目指してやってはいます。
しかしながら、音楽以外の部分で集中力を削がれることもしばしばあります。
だから私が運営に関わる部分を全て請け負い、あるいは運営のみに集中する機関を立ち上げ、
団員はとにかく音楽のみに集中する。
一般的な合唱団は、運営も団員が行っていて、そのために総会をやったり、
団長の選挙をやったり、出欠の管理やら何やら、日常的に手を煩わすことが多かったり、
音楽以外の部分で神経を割いてしまいます。
しかしK-mio Chorは練習に100%集中する事によって、より高い次元の音楽をやっていきたいのです。
今まで団の方からいろいろなことについて、こちらが「お願いされる」事が多かったですが、
それもなし。
だから余計な事を考えずに、二時間という時間を高い集中力で臨む、
ということが可能な環境を作りたいと思っているのです。
極極稀に、合唱団の和を乱そう、とする人がいます。
合唱団の中にあらぬ噂を流したり、練習に参加しないで突然本番に現れたり。
今までは合唱団主体でなかなかそういう人を「クビ」にはできませんでした。
でもこれからはそれを私が自らやりますよ、ということなのです。
もしこれにひっかかる、と思った人は最初から入団はあきらめてください。
逆にある程度今までの経験でそういう傾向があると分かっている人は、
事前にこちらから入団をお断りするかもしれません。
人間関係のゴタゴタで音楽のクオリティを落とす事は極力避けたいのです。
 
そしてひとつの目標を持っています。
それは「毎回の練習が終わった時に、一人一人に心に感動を残した状態で終わって欲しい」
という事です。
今まで私の合唱団で目指していた事は、終わった時に、
「あぁ、楽しかった、今日も来て良かった!」
ということであり、これは結構実現できていたのではないか、と自負しています。
しかしそれは正直、「自分たちが」楽しい、ということであり、
それを聴いたお客様が心から楽しんでもらえるかどうか、はわかりません。
 
私は一回一回の練習で、感動を残して練習を終わる、という事を目指していけば、
お客様に与えられる感動は大きいのではないか、と思っているのです。
K-mio Chor はその実験の場でもあるのです。 
 
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「歌曲」の表現方法

2012年09月13日 | Weblog
「その役を演じる」ということは、映画でもドラマでも演劇でもオペラでも、
もちろんそうなのですが、歌曲を歌うことに関しても同じだと思っています。
歌曲には具体的に、私、という歌詞が出てきませんが、実際には含まれています。
例えば「ふるさと」
歌詞にはないけれど、(私がかつて)兎追いしかの山、(私がかつて)小鮒釣りしかの川
(私は)志を果たして、いつの日にか帰らん。
「赤とんぼ」もそう。
夕焼け小焼けの赤とんぼ、(私が)負われて見たのはいつの日か
無意識に歌っているかもしれませんが、それが事実です。
ということは、その歌に出てくる情景や心情を「私」が体験した事、
として思っている事が重要なことなのです。
ということは、歌に含まれている「私」をどれだけ演じる事ができるか、
ということなのです。
私が2010年にリサイタルをやった、「冬の旅」の時はこれが大きな課題でした。
「若者である私」が主人公なのですが、一曲目でいきなり愛する女性がいる家から出て行く事から始まります。
しかしなぜ出て行かなければならないのかはそこでは述べられていません。
ただ、「出て行かなければならない」とのみです。
そして、愛する人の家の扉に「おやすみ」と書いて行くのですが、
なぜそうするのかは述べられていません。
これらは後の曲や、「冬の旅」に関する研究書などをひもとき、「想像」するしかありません。
そしてその「想像」が「私」と一致した時に、その表現ができるのです。
しかし人によってその解釈が違う、ということも十分あり得ますし、
一度はそう解釈したけれど、後の「自分自身」の経験や、考え方の変化、
などによって解釈が変わる事も考えられます。
 
そして歌曲の面白い事は、それを「朗読調」に表現する事もできる事です。
つまり、「私は愛する人のそばから旅立った」と「彼は言った」
みたいな表現方法。
良く言われるのがフィッシャー ディースカウさんがそういう表現方法でした。
これはこれで味があったりします。
 
表現の世界って、本当に奥深いです。
 
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一本の松。

2012年09月12日 | Weblog

あの震災から1年と半年。
テレビでも再び被災地が取り上げられています。
がれきのまだまだ残る街並み。
いつ帰れるかわからない、福島の住民たち。
風評被害で苦しむ農家や漁師たち。
まだまだ復興を遂げた、とは正直言い難い状況だと思います。
もちろん完全に元通り、というわけには絶対にいきませんが、
少なくとも被災した人々が、笑顔で前向きに生きられないと復興した、
とは言えないと思います。
そんな中、津波でも流れなかった一本の松の木が、立ち枯れている、
ということで今日伐採、そして、保存の効く状態にして元の位置に来年二月までにもどす、
ということをやるそうです。
その松の木を見て折れそうになった心を支えて来た人はたくさんいるだろう、
と思いますが、それが保存される、ということはいい事だと思います。
 
震災のときの自分を振り返ってもそうでしたが、
そういう、復興とは一見関係なさそうなもの、
は本当に必要なのか?
と疑問に思ったこともありました。
もっと物資や、食料が必要な時に、時間もない時に、
いわゆる「心の栄養」は必要なのか。
 
しかしこの一年半で私の気持ち、考え方は変わりました。
先日の高倉健さんの番組を見ていてもそうでしたし、
今日のその一本の松もそうですし、
自分達のやる音楽もそう。
それらは「必要」なのです。
 
どんなに物資があっても、食料があっても、
前向きに生きよう、という気持ちが無ければそれらはムダなものです。
でも自分一人で「前向きに生きよう」と思う事は結構しんどいものです。
震災に遭わなくてもそれは同じです。
そんな時に心の拠り所になるもの、
それが一本の松の木だったり、
高倉健の映画だったり、
私達が演奏する音楽だったりする、
のだと思います。
 
人間は、やっぱり、一人では生きられないものだ、と思います。
だからこそ、元気な人間はその元気を、元気のない人に分け与える。
そうやって人は生きていくのだと思います。
 
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引き続き、高倉健。

2012年09月11日 | Weblog
昨日に引き続き、高倉健さんの事を書きます。
夕べ放送されたNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は
高倉健さんのインタビュースペシャルでした。
 
「高倉健という生き方」
高倉さんは、現場にいる時にスタッフの働きをじっと見ています。
スタッフから吹き出す「狂気」のようなものが高倉さんの心を動かすそうです。
「一番やっている人たちが、一番お金もらってない人たちなんだよね。
 おかしいんですけど。反省しますよね」
 
高倉さんは極端に私生活を見せません。
それは、私生活を見せたら映画俳優を見る目が変わってしまうからです。
他の俳優はバラエティー番組に出たり、週刊誌に色々書かれたりしますが、
高倉さんは、競馬のCMをやっても、自ら競馬場に行ったり、競馬馬を持ったり、
銀座でお酒を飲んだり、麻雀もされないそうです。
素顔をさらす事を極力避けています。
 
大滝秀治さんの台詞に、語り方に涙を流すきめ細かい感性。
漁師ではない大滝さんから、漁師の過酷さ、漁村を厳しさを感じ取ったそうです。
高倉さんが「負けたくない、追っかけたい」ひとだそうです。
「やっぱり人でしょうね、一番大事なのは。
 どういう人に人生で出会うか、そこで決まるんじゃないですかね」
心に突き刺さりました。
 
「気持ちは映らない、というけれどやっぱり映るんですよ。
 それがないやつはきっと、ちょっとキラッと光らないんだよね」
感性を磨く、ということが最も俳優にとって、大事なこと。
そしてそれは年齢も重ねないといけない。
 
御歳81歳。
今回の「あなたへ」は後進のためにも心を割きました。
若いスタッフを積極的に採用し、映画作りのノウハウなどを教える。
「映画をスタッフたちと撮る、ということは恋愛みたいなもの」
だからこそ、逆に孤高を目指し、高倉伝説を作り上げる。
 
確かに今回の番組で、私たちが思う「高倉健」とは違った部分、
ああ、やっぱり健さんも人間なんだなぁ、と思いましたし、
それが正直なところ、ちょっと残念な気持ちもしたりしますが、
でも私も一人の人間として、高倉健さんの人間としての姿を見られた事は、
ほんとうに意義のある番組でした。
NHKさん、高倉健さん、どうもありがとうございました。 
 
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