今日は弟の誕生日です。
私と弟は別段仲が悪いわけではないですが、弟は関西に住んでいるということもあり、
一年の中で会う事も殆どありません。
両親が高齢で、兄弟が一斉に実家に集まると、孫も連れてくるし疲れる、
ということもあり、正月や盆に集まる、ということもありません。
だから忘れているわけではないですが、特段意識しているわけでもないのが現状です。
でも誕生日が来ると、弟がいた、ということをやはり思い出します。
昨日ある人に、私は誕生日というのはその人の誕生を祝うのではなく、
その人の両親のためのお祝いだ、と言いました。
あるいは、自分が両親に感謝する日、だと。
私と弟は歳も近い、ということもあるのか、仲はとてもいいのですが、
よく喧嘩もしました。
生まれて来て、物心がついたときには弟がいたので、いる事が当たり前でしたが、
やはり離れていると、弟がいることを感謝する事があります。
もちろん、両親に、そして神にです。
人は自分で選んで生まれて来たのではなく、気づいたらこの世に居ます。
でもそれは両親が居たから、です。
それは当たり前のことだ、と思うでしょうが、当たり前すぎてそこを意識することも少ないとも思います。
だからせめて誕生日の時には両親に感謝しよう、と思っていますが、
今日は弟の誕生日。両親を感謝したいと思います。
私は、全ての人はこの世に生まれて来るべくして生まれて来た、
と常々思っています。
誰一人として、無駄に生まれて来ていない。
だって、現にそこに存在しているのですから。
でも一旦立ち止まって、なぜ自分がこの世に存在しているのか、
ということを考え始めると、自分の足下が急にぐらつく、
または足の下に暗い空間がわっ、と広がる、
そんな感覚になります。
なぜ、「自分」なのか。
「自分」が「他人」になる事はできませんが、
でも「自分」というのは一体なに??
と考えこんでしまうのです。
でも、どうしても考えがまとまらないときは、
「お父さん、お母さん、ありがとう」
と思う事にしています。