きのうの続き。
相場と同じく、
勝ち負けのある処、賭けの対象となるのは、コレ又歴史が証明している。
囲碁、将棋、双六は云うに及ばず、
和歌の優劣を決める歌合せや、
花を比べる花合わせに、
豪華な景品が賭けられたとは、
平安時代の貴族が、日記などに書き残している処。
景品とは云っても、
まだまだ物々交換が主力で、貨幣流通の進んでない当時のこと、
銅銭より絹織物の方が、
交換するに喜ばれたであろうから、賭博と云って差しつかえない。
戯曲「王将」のモデルとなった坂田三吉は、
その素人時代、将棋が抜群に強かったにも拘わらず貧乏だった。
当時の将棋はカネを賭けるのが当たり前、
そうとなれば、
将棋の強い「俥引きの三やん」は、カネを儲けて当たり前のはず。
処がそうはならない、
なぜなら、負けると分かっていてカネを賭ける奴はいないから。
強すぎて相手が無ければ、
ハンディを付けるか、賭け金に差を付けて、相手を探すしかない。
将棋で云えば、
強い方が自分の駒を落とす、つまり自陣の戦力ダウンをする。
落とす駒の種類によって勝負の確率を調整する。
或いは賭け金を倍にしたり三倍にしたり、
ただし、それでも三やんが頑張って勝つと、
次は、もっとハンディをきつくしないと相手は勝負を受けない。
将棋を指したいと思えば、
常に「辛いメ」の勝負でも挑むことになるから、
将棋の強い三やんは、賭け将棋に強いとは限らない。
将棋を指すのが第一で、
カネは二の次の三やんは、カライめ、キツめの勝負にもすぐ応じる。
つまり、三やんは、
いつも自分より「やや強い」相手と指しているのと同じことになる。
将棋の上達法としてはこれは最も善い、
しかし、その分、掛けたカネは出て行くばかり、
これで、
「俥引きの三やん」の、、
将棋は強いが、「勝負には弱いカモ」と云う設定に無理が無くなる分けである。
相場と同じく、
勝ち負けのある処、賭けの対象となるのは、コレ又歴史が証明している。
囲碁、将棋、双六は云うに及ばず、
和歌の優劣を決める歌合せや、
花を比べる花合わせに、
豪華な景品が賭けられたとは、
平安時代の貴族が、日記などに書き残している処。
景品とは云っても、
まだまだ物々交換が主力で、貨幣流通の進んでない当時のこと、
銅銭より絹織物の方が、
交換するに喜ばれたであろうから、賭博と云って差しつかえない。
戯曲「王将」のモデルとなった坂田三吉は、
その素人時代、将棋が抜群に強かったにも拘わらず貧乏だった。
当時の将棋はカネを賭けるのが当たり前、
そうとなれば、
将棋の強い「俥引きの三やん」は、カネを儲けて当たり前のはず。
処がそうはならない、
なぜなら、負けると分かっていてカネを賭ける奴はいないから。
強すぎて相手が無ければ、
ハンディを付けるか、賭け金に差を付けて、相手を探すしかない。
将棋で云えば、
強い方が自分の駒を落とす、つまり自陣の戦力ダウンをする。
落とす駒の種類によって勝負の確率を調整する。
或いは賭け金を倍にしたり三倍にしたり、
ただし、それでも三やんが頑張って勝つと、
次は、もっとハンディをきつくしないと相手は勝負を受けない。
将棋を指したいと思えば、
常に「辛いメ」の勝負でも挑むことになるから、
将棋の強い三やんは、賭け将棋に強いとは限らない。
将棋を指すのが第一で、
カネは二の次の三やんは、カライめ、キツめの勝負にもすぐ応じる。
つまり、三やんは、
いつも自分より「やや強い」相手と指しているのと同じことになる。
将棋の上達法としてはこれは最も善い、
しかし、その分、掛けたカネは出て行くばかり、
これで、
「俥引きの三やん」の、、
将棋は強いが、「勝負には弱いカモ」と云う設定に無理が無くなる分けである。