漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

国を設計した人たち

2014年08月05日 | 

瀧井一博著、
「明治国家をつくった人びと」、

「伊藤博文の最後の旅」の章より。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~

彼(伊藤博文)は、満州問題解決のためにロシア政府の有力者であるココツォフ蔵相と胸襟を開いて話し合う心づもりだったのである。

25日、伊藤は長春に着いた。
清国側の歓迎宴席に臨んだ彼は、
「清国今日の不振は制度の幣にして、人を用いるの法を誤りたるに基づく、
もし為政にその人を得、積弊を除くを得れば、
事一つとして成らざるは無く、有為能才の士、奮励せざるべからず」とこれまたかねてよりの持論を説いた。

これが公の場での最後の言葉となった。

その後、記念撮影を請われた彼は
「私のごとき骸骨を写して何にしますか」と答えて大笑した。

翌26日午前9時、
ハルビンに到着した伊藤は、韓国人義士安重根によって狙撃され、約15分後に絶命した。

日本検察による尋問の際、
安は伊藤殺害の理由のひとつとして、
東洋平和を攪乱したことを挙げている。

東洋平和を胸に渡来した伊藤が、
東洋平和を信奉する者に殺されるとは、歴史の皮肉としか言いようがない。

  ~~~~~~~~~~~~~


伊藤の死より三年目に明治帝崩御、
ここに日本史の中でも特別な光芒を発する明治と云う時代が終りを告げた。

それにしても、一国の大統領が、
テロリストを英雄とし、その顕彰施設の建立に熱心なようすを見るにつけ、

今の日韓関係の不幸を思わずにはおられない。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。