漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

ゴッホと日蓮

2010年05月13日 | Weblog

四・五日前でしたか、
テレビで、ゴッホの画業とその人生を2時間近く掛けてやってました。

その中で、
彼の初期の名画、「ジャガイモを食べる人たち」を取り上げ、

絵と同じように内装した室内で、
人々も絵と同じような扮装をし、ジャガイモを食べると云う試みをやってましたが、

興味を引かれたのは、
農民たちが食べるジャガイモが「ゆでただけ」だったこと。

当時の農民は貧しくて、
食事はパン替わりのジャガイモだけ、それも塩さえつけずに食べていたのだそうです。

当時の農民にとって、「塩」は高価な調味料だったのでしょうか、

実際に食べた子供の感想は、
「案外おいしいけど、毎日じゃスグに飽きるよ」と正直でした。

ゴッホが「ジャガイモを食べる人たち」を描いたのは、
彼が30才を過ぎたころ、日本で云えば、明治の10年代ごろでしょうか。

当時の日本人も貧しかったが、
ヨーロッパの農民もそれに劣らず貧しかったのだと分かります。

絵の中のコーヒらしきものも、ホンモノのコーヒーではなく、
農民が収穫した野菜、チコリの根を煎じた飲み物だったそうですから。

考えてみれば、ゴッホは1853年生まれ、
日本で云えば、「江戸時代の生まれ」なんですよねぇ。

そう云えば、いま読んでいる「日蓮」に、こんな記述があります。

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日蓮が身延山の麓に庵室を結んだころ、
冬は十月に雪が降り、
四月にならなければ草の芽はふかず、
半年は五~六尺の雪の中に閉ざされている、

「身延山はしろしめすごとく、冬は嵐烈しく、
 ふり積む雪は消えず、極寒の処にて候間、
 昼夜の行法も膚うすにては堪へ難く辛苦にて候」

住居の甚だしさ加えて、衣食も困窮を究めたようである、

山中のことであるから米・芋はなく、
筍、蕨は季節になると生えるが、
塩がないので味は土のようだといっている 

甲州はもともと塩のない土地である上に、
人里遠く離れた身延の山奥であるので、塩には非常に難渋したらしく、

「塩なき処には、塩、米にもすぐれて候」といい、
塩一升を銭百で買い、塩五合と麦一斗と換えている。

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日蓮は鎌倉時代の人ですから、
ゴッホの絵と比べるのはムリだが、
それでも、内陸部で塩が貴重だったことだけは良くわかる。

塩をめぐる謙信と信玄の話なども、
案外、事実だったのかな、などと、思ったのでありますよ。

   
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「日蓮」 大野達之助著 吉川弘文館発行






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