漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

○ 越後の漁夫とその妻 ③

2011年02月12日 | Weblog
きのうの続き。

尚、以下の文中、
「松明(たいまつ)」は、火をつけて照明に用いるために木などを束ね物。
「棚」は、鮭を網ですくうため、崖に吊るした小型足場。

「僥倖(ぎょうこう)」は、思いも付かないほどの幸運。

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 ○ 越後の漁夫とその妻 ③

さるほどに妻は家に帰り、
炉に火を焼きたて、あたたかなるもの食わせんと、
様々にしつらえ持ち居たりしに、とき移れども帰り来たらず。

待ちわびて 再びかの所に至りしに、

かのはさみたる松明も見えず、
持ちたる松明をかざして下を見るに、
光りもよくとどかで、
夫のすがた見えわかたず、声の限りに呼べどもこたえず。

さては棚には居らぬや、
さるにてもいぶかしと、心をとどめて松明をふりてらし、

登りし足跡の雪にあるやと辺りを見れば、

さいぜん、木の又に差しはさみおきたる松明、燃え落ちてあり、

これにこころづきて、
持ちたるたいまつにて尚たしかに見れば、

棚をくくりたる命の綱、焼き落ちてあり。

これを見るより胸せまり、
たいまつここに焼け落ちて綱を焼ききり、棚おちて夫は深淵に沈みたるうたがいなし。

いかに泳ぎを知りたまうとも、
闇夜の早瀬におちて手足こごえ助かりたまうべき僥倖はあらじ。

「こはいかにせん、いかにせん、
 いかにしても姑に言いわけなし」、と目に涙をしずくに降らせて泣きけるが、

「我もともに」と松明を川に投げ入れ、身を投げんとしつるが、

また思えらく、
「我が亡きあとは、老いたる母さまと幼き子どもらを養うものなく、
 手をひきて路上に立ちたまうらん。

 死ぬるにも死なれざる身になりけるかな。
 ゆるしたまえ我が亭主どの」と、
雪にひれふし、
焼けたる綱にすがりつき、声をあげて泣きに泣きにけり。

かくても有られねば、
泣く泣く焼け残りたる綱をしるしに持ち、

暗き夜にたいまつも無く、
雪荒れに吹かれつつ、涙もこぼるばかりにて、立ち帰りしが、
夫が死骸さえ見えざりしと、

そこより遠からぬあたりの友が、
ちかき年のこととて、先年来た時に ものがたりしなり。

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